カミラの上司
「あ―――も――――疲れた―――――!」
統合参謀本部からの査察団が城内を隈なく査察し、司令官たる少佐と会食し、そして多少のセクハラとパワハラをし、それに飽きたのか周辺地域の視察をし、一連の査察活動を終えたのは、17時のこと。
ハーコート少佐はその間、ずっと彼らに付き従い、そして愛想よく笑顔を振り撒いていました。ですが流石にそれを6時間以上もするのは骨の折れる作業だったでしょう。そのため彼女は今、自身の執務机にだらしなく突っ伏しています。
そんな状況下にいる少佐に毒を吐くほど、私は悪魔ではありません。
「……それで、査察団の方たちは何か言っておられましたか?」
「別に何も。改善点は後日報告書を送るとか言ってた。散々連れまわしたあげく仕事遅いし、言動は腹立つしで……」
「それはそれは、お疲れ様です。コーヒー淹れますね」
「うんと砂糖入れてね」
「わかっています」
この砦に来てから一番上達したのは、コーヒーを淹れる作業だと思います。豆を挽いて、ドリップして、そして少佐好みの氷砂糖4個とミルクをたっぷり入れて、そして敬愛する上司に渡します。
砂糖4個にミルクですから相当甘いでしょう。そのおかげか、先程までの疲れきった少佐の顔が嘘のように回復し始め、いつもの威厳なく情けない顔の表情の少佐に……って、さっきも同じような顔をしてましたね。
「あぁ、カミラお嫁に欲しい……」
はやくも1杯目を飲み干した少佐がそう言い放ちます。
「同性婚は神の意思に反する行為です」
私は、ある宗教の敬虔な信徒であると自負しています。とりあえず主日は基本的に教会で礼拝。もっとも、軍人と言う職業柄教会に行けない日もありますが。
「神様だってカミラの嫁力見たら考え直してくれるはずよ」
「……そういう問題ではありません。同性では子供を作れませんから」
「そこは科学がなんとかしてくれるよ」
当然、と言わんばかりの言葉です。
「科学はそこまで万能とは思えませんが……」
「信じる者は救われる。科学だってそうよ」
神父のように右手を掲げ、少佐は神妙な面持ちでそう言いました。言葉の端々には笑いが含まれていたのがわかります。神を冒涜したのではないのかと思うと……殺意が湧きます。恩人なので殺しませんが。
「科学を信じたところで銃弾は避けられません。戦死で昇進した方が早いのでは?」
そして私に財産を相続してくれれば色々と楽できるのに。と本気で思ってなんかいません。本当です。
「そうでもないわよ」
少佐はそう呟きながら、徐に執務室の脇に立てかけてある全長約1・5メートルの小銃を手に取って説明を始めました。
「私たちが現在主力にしている……もとい主力にせざるを得ないこの小銃、ウィンターヴィレッジ造兵工廠製M1694は命中精度が悪いから、神だか科学を信じれば、弾の方から避けてくれるわ」
「威力はありますから、当たれば致命傷ですけどね」
「それは言わない約束よ。だからみんなで横に並んで一斉に撃つのが基本戦術。命中率の悪さを数でカバーするのは、弓とかと一緒かな」
少佐が説明したのは、所謂「戦列歩兵」と呼ばれるもの。
再装填に手間がかかり、命中率も期待できず、射程も短い銃で、戦果を最大限に拡張するために編み出された戦術。
銃は威力だけは十分にありますから、容易に鎧や盾を貫通させる事が出来ました。その結果、古代より戦場を支配していた盾や鎧なんてものはありません。ですから兵士たちは銃弾に当たらないように祈ることしかできず、敵の目の前でひたすら射撃戦をすることが、もっとも効率的・合理的な戦法となったのです。
この戦術の最大の欠点は……、
「知らない人から見ると、バカっぽく見えます」
「まぁね。でもそもそもの話、戦争そのものがバカげた行為よ。そしてそのバカバカしい行為によってお給料もらうのが、私たち軍人の仕事なの」
そう説明しながら、少佐は執務室の端に立て掛けられている旗を見ました。泥沼の独立戦争によって失われた命と自由と解放を意味する、この国の旗。
そんな旗を、切なげな表情で見ている少佐の姿はハッキリ言って……変です。得点稼ぎにしか見えません。第一先ほどの話は大きく矛盾しています。
「でも少佐の場合、仕事してませんよね?」
「何言ってるのよ。ちゃんと見て、仕事してる!」
そう言って少佐は「執務机を見ろ」と言わんばかりに目一杯両腕を広げてみせます。そこには確かに、基地司令官としてやらねばならない大量の事務仕事がありました。でも、
「ほとんど手を付けてませんけどね」
「いいのいいの。どんなにサボっていても、最終的に終わっていればノープロブレム!」
「……」
「もう、せっかく可愛い顔してるのに、そんな目しちゃダメでしょー」
「はぁ……こんな目をさせたくなければ仕事してください……」
「わかったわかった。じゃあさ、カミラも手伝って!」
そう言って、彼女は膝の上をポンポンと叩きました。その行動が何を意味するかは言うまでもありません。
……まぁ、初めてではないですし。もう恒例行事というか伝統芸能というか、そんな領域に達しています。でも文句がないかと言えばそうではなく、
「……またですか?」
「その方がやる気が上がるからね。士気は大事よ」
士気と言う話ではない気もするのですが……でも、否定したところで少佐が仕事をする人間ではないことはわかっています。それに事務仕事を滞らせるわけにはいきませんし、その要請を受け入れるしかありませんね……。
仕方ないです。覚悟を決めます。
「本当に、仕事やりますか?」
「やるやる。蒸気機関車より早く終わらせる」
「……なら、少しだけ。少しだけですよ!」
そうして、私はちょこんと座ります。ハーコート少佐の、その、膝の上です。
ちょっと尻尾がむずむずします。は、早く終わらせてほしい。恥ずかしさで死んでしまいそうです。
「えっと、あの、早く仕事を……」
「えいっ」
「ちょ、ちょっと!? なにするんですか!」
私が羞恥心で前後不覚になっている隙をついて、少佐は全力で私にハグし始めます。
仕事をさせたいがために膝の上に乗ったことは、初めてではない、ですけど、座った直後に抱き締められるのは流石に始めてです! ていうか、そんなに触らないでください!!
「ふっふーん。前からずっともふもふしたいと思ってたんだよ! あのセクハラオヤジ共にああだこうだされたお返しだ!」
「お返しって、私にやったらただの八つ当たりです!」
「細かいことは気にしないで!」
「細かくありませ……ひゃんっ、あっ、ちょ、ど、どこ触ってるんですかぁ!」
「はぁ、やっぱり人狼族の耳はかわいいよねぇ……」
そう言いながら、少佐は私の全力の抵抗を物ともせずセクハラを続けます。なんでこういうときだけ能力アップするんですかね!
人狼族である私は、少佐のような普通の人間とは少し違った体をしています。狼のような耳を持ち、狼のような尾を持ち、白銀の大地に立つ孤高の狼のような輝く銀色の髪を持っています。
そんな私の大事なところが少佐に良いようにされています! これではお嫁に行けません!
「み、耳はデリケートなんです! そろそろやめてください!」
「じゃあ尻尾の方を……」
「尻尾もダメです!」
私は抗議の上少佐を突き飛ばし、なんとかして束縛から逃れることができました。
つ、疲れた……。なんだか、数百メートルを全力疾走したような感じです。
私に突き飛ばされて転んでいた少佐は、ゆっくりと立ち上がると。
「けちー」
とだけ呟きました。
ちょっと、お説教が必要なようです。