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サラゴサ砦の景色

 守備隊全員の訓練が一通り終わり、そして少佐が自信満々で「王国が攻めてくる」と言ってから暫く経った8月7日、主日。


 今日もサラゴサ砦は平和です。少し肌寒いということ以外は良い朝を迎えています。


「……少佐」

「おかしいなぁ、7月中に来ると思ったのに」


 ハーコート少佐はやはりポンコツなのでしょうか。

 教会で神に祈りをささげる日である主日は今週もやってきました。そして私は今週も仕事です。いやもう慣れましたけどね。先週お祈り出来たので今日はサラゴサ砦の中にある簡易聖堂でお祈りを済ませます。神父さんもいないですし十字架も簡素なのでちゃんと神様に祈りが通じているかはわかりませんが……。

 信教の自由と保護は合衆国憲法によって規定されていますので大丈夫でしょう、たぶん。


「と言うわけで少佐、私はお祈りしてきます。その間にちゃんと、ちゃ―――んと仕事してくださいね?」

「なんでそんなに念を押すのかわからないけど私は仕事サボったことないから!」

「息をするように嘘を吐かないでください!」


 こんなやりとりもするのも悲しいことに慣れてしまったので、私はさっさとお祈りします。讃美歌を一人で歌うのは流石に辛いですから、聖典を読み上げ、聖堂で跪き手を合わせて祈りを捧げます。パンも葡萄酒もありませんから、本当に簡易的な典礼です。


 ですが、私は真剣に神に祈ります。


 少佐が仕事しますように。

 少佐が毎日朝早く起きますように。

 少佐が料理を作れますように。

 少佐が自主的に動いてくれますように。


 祈り甲斐があります。悩みだらけですから。


 神様を信じない、無神論者であるところのハーコート少佐には、神という存在が良くわからないと言います。

 まぁ信教の自由は無神論者にも適用されるのでそれをどうこう文句つけることは私にはできません。なので、私の個人的な意見を言えば……、神様というのは『親』みたいなものです。


 身近にいて、そして悩みを聞いてくれる存在です。


 少佐に話したら、たぶん「それって神父のことでしょ?」とか言い出しそうですが。いやガワだけ見たらそうなのですけど、神父を介して神に祈っているのです。


 ……でも必死に祈っているのに、なぜか届かないのですよね。祈りが足りないのでしょうか。それともやはり教会に行かなくては効果が薄いのか。

 まぁ、悩んでいても仕方ありません。今日も仕事をしましょう。


「少佐の執務室に戻っても、少佐は仕事してない気がします」


 気がする、というか絶対なんですが。

 気が進みませんね。主日に仕事というのは特に。


「……少し、風に当たりましょうか」


 そう言うわけで私は少し仕事を少佐に任せて、砦にある監視塔で一息つきます。少佐に任せると言っても仕事をしていないのは目に見えていますが、たまには私だってこうやってのんびりしたい時もあるのです。


 砦の監視塔は中世の城のような狭間胸壁、つまり銃や弓を撃つために凸凹の形をした構造になっています。凸の部分は人間の頭の部分まで、凹の部分は胸のあたりまで壁があるのです。

 まぁ私は背が小さいので胸壁ではなく首壁になっていますが。


 しかし監視と外の空気を吸うのには十分。サラゴサは合衆国北部のように工場の煤煙に悩まされることはないので、空気が美味しいです。


「んっ……はぁ! 気持ちいいです」


 伸びをして、肺の中にある古い空気を一気に押し出し、新しい空気と入れ替えます。

 適度に掃除しているのに紙と埃の臭いが取れない少佐の執務室も結構クセになりますが、やはり自然の臭いは良いものです。元来人狼族は街中ではなく、こう言った自然の中に住んでいましたからね。


 砦の南を見れば、そこには森があって、丘があって、そして国境となる川があります。先週はあそこで訓練をやっていたんですね。初めて少佐の指揮で……と言ってもほとんどマクナイト大尉の指揮でしたが。

 あそこには訓練で掘った塹壕があります。王国軍が攻めてくる想定で掘った塹壕ですから、かなり本格的な作りになっています。当たり前ですが街道には何もありません。


 ですが塹壕があるのは森の中、ここからでは見えません。相変わらずいい景色のままです。このまま何もなく数百年経ったら謎の遺構として発掘されそうですね。


 うん。綺麗です。

 旧大陸の人狼族の住処と、合衆国の南部では気候も文化も街並みも何もかもが違いますが、ここも良いです。ずっと住んでいてもいいくらいには。


 こうやって眺めていると、時間を忘れてしまいそうになります。


 でも、仕事あるんですよねぇ……。

 少佐ではありませんが、なんとも嫌な気分になります。そもそもあれは少佐の仕事なのですから従卒の私がやるのは可笑しいんです。後で文句を言ってあげましょう。


「さて、戻りますか」


 胸壁から離れて、私は砦内部に戻……ろうとした時でした。

 視界の端に、ふと何かが映りました。遠く、本当に遠くに、何かが映ります。


 普段なら「気のせいかもしれない」と思って見過ごしたかもしれませんが、少佐から聞いた事が酷く頭に残っていました。


 砦の監視塔の高さは15メートルほど。つまり地平線までの距離は約15キロ。人狼族は普通の人間と比べて視力は優れますが、だからと言ってそんなに離れている地点まで見通せるほど良い目はしていません。


 そんな時は文明の利器。監視塔に備え付けられている双眼鏡を使います。


 と言ってもやはり15キロとなると双眼鏡でも探すのは大変です。普通なら諦めますが、しかし気になったのです。その「何か」に


 1分ほど双眼鏡を眺めて、そしてその「何か」をようやく見つけました。

 それがなんなのかは、すぐにわかりました。


 全身の毛が逆立ちます。

 戦意が高揚したというよりは、少佐の言葉が的中したことに対して。


 私は監視塔の伝声管に向かって、思い切り叫びました。


「方位180、敵襲です!」

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