アイリアとカミラ
戦列歩兵の問題その2。それは戦列を保つことが大変であるということ。
想像してみてください。敵の銃砲火にほぼ生身で晒されながら敵戦列正面に立って射撃・装填を繰り返す作業が如何に勇気を必要とするかを。
そのため、戦列歩兵の訓練ではかなりの時間を割いて、この戦列を維持する訓練を行います。4列縦隊で行進し、戦闘態勢に入って2列横隊に移行。縦隊から横隊への陣形転換は思ったよりも難しいです。これが戦場となればもっと大変で……、
「へーいカミラー!」
「…………少佐、今は訓練中で」
「そんなことはいいから私の相手して!」
「ちょ、ちょっと引っ張らないでくださいよ自分で歩けますからー!」
ハーコート少佐がいると、なぜか訓練が捗らない。
マクナイト大尉がそう呟いていたのを、人狼族故の鋭敏な聴覚で聞き取れてしまいました。
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「うーんどうしよっかなー……どの辺が良いと思う?」
「何がです」
「決まってるじゃない。塹壕よ」
「……はぁ」
まぁ確かに塹壕は防衛戦には有利ですが……。
「どの辺が良いと思う? やっぱり街道沿い?」
「いやあの、街道に塹壕掘ったら邪魔でしかないと思うんですが……」
王国軍が攻めてくることを想定して訓練をする。これはまだわかります。そもそもの話少佐が訓練を怠っていたことの方が問題です。
しかし実際に塹壕を掘る、しかも交易路として使われている街道で掘るとなると話は違ってきます。街道に塹壕なんて作ったら通行の邪魔です。いかに王国と合衆国の中が悪いからと言ってここまで臨戦態勢を敷く意味は……。
「少佐、そろそろ本当のことを言ってください」
「んー? なにがー?」
「なにがじゃないです。平時の交易路に塹壕を掘るなんて、如何にハーコート少佐がサボり魔でセクハラ魔でクズのロクデナシで社会常識に欠けた女性士官だとしても」
「ちょっと待って聞き捨てならない言葉が聞こえたんだけど!?」
「だとしても! 急に勤労意欲が湧いて塹壕を掘るなんて言い出しません!」
私がそう指摘すると、ハーコート少佐はいつもと変わらぬ様子で困ったように頭をかいています。どこまで行っても少佐は少佐なのです。
でも、それだと今は困ります。正直に話してもらわないと士気に関わりますから。
「少佐」
「……あーもー、面倒だわ!」
「面倒な事をしているのは自分じゃないですか……」
「面倒事ってのは九分九厘川の向こうから勝手にやってくるの! 私望んでないのに!」
「少佐がもう少し自発的に行動していれば面倒事も減ると思いますが」
「面倒ね!」
やっぱりいつもの少佐です。話が進みません。もしかしたらこんなバカみたいな会話をしてお茶を濁しているのでしょうか。
「少佐、さっさと理由を言ってください。さもないと二度とご飯作ってあげません」
「それは困る!」
困るでしょうね。少佐は料理作れませんし、砦のご飯は美味しくないですし、サラゴサの町まで行くのも苦労が多いですし。
「さっさと吐いてください」
「なんか捕虜の尋問みたいね」
「いいから」
「なんか立場が逆……」
いつものことです。問題ありません。
「……本当に聞きたいの?」
「聞きたいです」
「突飛なことだよ?」
「いつも突飛な事言うじゃないですか」
「どういう認識なの……」
そう言って少佐は目頭を押さえます。私の言葉に辟易しているというよりはどう説明すればいいか、と悩んでいるようにも見えます。
仕方ありません。ここは私の方から話を進めてみましょう。
「もしかして、この前来た統合参謀本部からの報告書のせいですか」
「……まぁね」
「そして方面監部に何か送りましたよね。機密だなんだで見せてくれませんでしたが」
「うん」
どうやら当たっているようです。ですがそこから先へ突っ込もうとすると、少佐はなぜか口ごもります。
「……そんなに、私が信用できませんか?」
そんな風に思ってしまいました。もしかしたら私はやっぱりハーコート少佐の従卒でしかないんじゃないかと。確かに、今までが今まででしたから。そう思われても仕方ないです。
「違うよ。私はカミラの事、この国で一番信用してるもん」
珍しく少佐が、私の目を見て、そして真面目に答えています。
「なら」
「だから、言えないの」
「……なぜです」
「カミラを面倒事に巻き込みたくないもの。これを言ってしまったら、カミラは私以上に面倒なことに巻き込まれるんじゃないかって。だから言えない」
ハッキリと、力強く。少佐はそう言ってみせました。でも、
「余計なお世話ですよ。少佐以上に面倒な事なんてないですから」
「私ってそんなに面倒なの……?」
「はい。少佐の面倒臭さはこの国で一番信用できるものです」
「むー……」
先程格好つけたはずの少佐が、口を尖らせて拗ねました。
でもそのすぐ後に噴き出して笑い出します。格好をつける少佐と言うのはやはり似合いません。
「もう、カミラには適わないわね……。良いわ、正直に話す」
「はい。お願いします」
そうして、ハーコート少佐は喋りだしました。
王国が合衆国に攻めてくる公算が高い事、その根拠となる話。そして少佐の次に面倒なことになりそうなことも、全部話してくれました。
「……それは、本当なのですか?」
「6:3で真実だと思うよ」
「足しても10にならないのはなぜ……」
「残りの1は、方面監部からの増援の見込みがつくということかな」
「……」
それは確かに、突飛な話でした。これがいつものハーコート少佐の勤務態度だったら信じなかったでしょう。そんな気持ちになっているのはどうやら方面監部の偉い人のよう。そこから増援が来る確率が1割しかない事の方が、この際は重要だったかもしれません。
「つまり少佐のせい、と」
「……まぁ、3割くらいはそうかもしれないけど、6割くらいは王国のせいだから!」
「また足しても10にならないじゃないですか。今度はなんです?」
私が聞くと、ハーコート少佐は今度は間髪入れずに答えてくれました。
「カミラ」
と。
「………………えっ?」