アイリアの訓練
どうも、カミラです。
現在日時は新暦1746年7月25日9時30分。場所はサラゴサ砦の南。
森に住む小鳥たちの囀りはとても気持ちがよく木々は青々と生い茂り、また夏だというのに気温は丁度良く涼しくもあります。昼寝にはもってこいの、まさに夢のような現実……。
「ちょっとカミラ、なに呆けてるの! ほら動く動く!」
「わかりました動きます、だから叩かないでください痛いです。あといつも動かないのは少佐じゃないですか!」
「それはそれ、これはこれ。軍隊なんだからちょっとは痛みに慣れなさい! はーい訓練訓練!」
……少佐に叩かれた背中がジンワリと痛みます。あぁ、この痛みの存在が、これが現実なのだと教えてくれます。
ハーコート少佐が、あのサボり魔でセクハラ魔で寝坊助で遅刻常習犯なアイリア・S・ハーコート少佐が! 自主的に、能動的に、積極的に、砦の兵士を引っ張り出して実戦訓練をするなんてこと、まさか現実に起こるなんて!
事の始まりは、やはり統合参謀本部から送られてきた報告書なのでしょう。
推論の文章になっているのは、少佐がその報告書を私に見せてくれなかったからです。機密指定が架けられているからという理由でしたが、機密云々を気にする少佐ではないと思います。
その日のうちに少佐は手早く(!)手紙を書いて、方面監部宛てに届けました。中身は見るなと言う命令でしたので従いましたが……。
そして少佐の奇行はそれだけでおさまらず、その日の夕刻に唐突に言い出した「そうだ、訓練しよう」という言葉によって、現在のこのザマになるわけでして。
「ハーコート少佐直々の訓練なんて久しぶりですね。1年くらいやってないんじゃないですか?」
と言ったのは、サラゴサ砦のやる気のない司令官に代わって日々の訓練を指揮統率していたマクナイト大尉です。少佐よりも年上ですが階級にしては若い方で、なにより少佐よりも頼りがいがある好青年と言った具合の人物。
この人が司令官になればよかったのに、というのはサラゴサ砦守備隊全員の思いです。
「……小官の記憶が正しければ、ハーコート少佐が訓練指揮をしたのは砦着任後今回が初めてです」
着任直後のハーコート少佐が「マクナイト大尉が今まで統括してたならこれからもマクナイト大尉がやればいいと思うな!」という発言をしたために今日までマクナイト大尉が訓練を統括していました。当時の私はまだ少佐に言いたいことを言える人間ではなかったので、色々と悔やまれます。
「ウィールドンさんも大変でしょ、ハーコート少佐の相手」
「お陰様でもう慣れました」
慣れたくはなかったですけど。
「こらー!! そこ訓練サボってナンパしてんじゃないわよー! カミラは私のもんだからねー!」
いつもサボっている少佐にそう言われても、というわかり易い顔を大尉がしていました。面白いですがその気持ちよくわかります。というか今現在私が思っていることです。
「ほらほら、マクナイトは兵の統率! カミラは私と作戦会議!」
「あの、従卒が作戦会議っておかしいんじゃ……」
「それはそれ、これはこれ!」
勤勉なんだか適当なんだかよくわからない少佐は、ちょっと扱い辛いです。
マクナイト大尉が兵を指揮し、銃の基本的な扱い方から戦列を保ちながら行進する訓練まで様々なことをやっている頃、私と少佐は後方で地図を眺めながらの作戦会議です。
なんていうか、サラゴサ砦に来てから初めて軍隊みたいなことしてます。軍隊ですけど。
「ねぇ、カミラ。もしカミラが南からの侵略者、もとい王国軍だとしたらどうする?」
「どうすると言われても……」
少佐と違って士官学校に出てはいない私が戦術論なんてわかるはずもありません。私がわかるのはハーコート少佐好みのコーヒーの淹れ方くらいで……。
「そんな難しい事聞いてるんじゃないよ。もしカミラが南からサラゴサ砦に旅行しに行くなら、どの道通って行きたい?」
「え? そんな話なんですか?」
「そうだよ? さ、どの道がいいかな?」
机上演習かと思いきや机上旅行に変わっていました。
サラゴサ砦は後背、つまり北東にそれなりの広さを持つ川を持ち、橋によってサラゴサ市街に繋がっています。南東方向にも川があり、やはりそこも橋と街道があって王国へと至ります。それを使えば旅行は楽でしょう。ですがところどころ隘路であるために、軍隊のように人が多く通るには些か狭いのが難点。
それ以外の場所となると……丘と森と川しかありませんので相当迂回しなくてはいけません。サラゴサ砦を落とすのを諦めた方が良いくらいに。
あ、ダメです。答えが見つかりません。
「ふふん。カミラはダメな子だなー」
「し、仕方ないじゃないですか! 私に戦術論なんて……」
ハーコート少佐に頭の出来でバカにされるなんて今世紀最大の屈辱です。
でも地図だけを見ると難攻不落のように見えるんです。腐っても、旧式でも南部国境を守る砦ですから。
「答えは簡単。この街道を突っ切るの。旅行だからね」
「いや、あの、少佐? 軍隊が敵国の砦に旅行するなんてことないと思うんですけど……」
「何言ってんのカミラ。最初に聞いたじゃない。『旅行するなら』って。それに砦側としても決められたルート以外から来られても対応できないじゃないの」
「…………」
ハーコート少佐は意外と戦術家なのでは? と思った私がバカでした。
「いやん。そんな目で見ないでよ」
「……仕方ないじゃないですか」
だってこんな真面目な顔で敵国の旅行計画練るなんて思いもしなかったんですから。
ですが少佐はケロッと開き直ります。
「半分冗談よ」
「冗談に聞こえませんでしたが」
「これでも真面目に考えてるのよ。砦のこととかカミラの未来のこととか」
「砦はいいとして私の未来については余計なお世話です」
「えー……」
なぜか不貞腐れる少佐ですが、私はもう道を決めています。
この出来そこないの士官を更生させるまで、私は少佐に付き従うんです。




