合衆国の南
サラゴサ市街での喧嘩騒動から7日程が経ちました。
相も変わらず、ハーコート少佐は寝坊と遅刻とサボりを繰り返しています。
でもハーコート少佐は常日頃遊んでばかりのように見えますが、こんな形でも一応は軍人であり、サラゴサ砦の司令官です。ですので軍務を欠かすことはできませ……、
「ねー、カミラー。ゲームやらない? なんか暇なんだよねー」
……ごめんなさい間違えました。常日頃遊んでいます。
「少佐、ゲームをする前に仕事を片付けてください」
「えー……」
とまぁ、こんな感じで常日頃遊ぼうとしているハーコート少佐に蹴りを入れて(勿論比喩ですよ?)仕事をさせるのが私の仕事です。本来なら従卒ってこんなことしないんですよってこれ何度言わせるつもりなんでしょうか。
少佐は目を通すべき書類に適当に目を通して適当にサインして流します。こんな辺境の基地での書類仕事なんてどうせ大した内容じゃないから、というのは2年程ここにいて理解していますが、それでもやっぱり言わざるを得ません。
「もうちょっとちゃんとやりましょう」
「やってるよ。でも北第2堡塁の修繕工事は予算ないし、守備隊の装備更新も予算ないし、私の遊ぶ時間もないし……」
「予算を取ってくるのも司令官の仕事ですよ」
「いやね、南部国境方面管区の財務官の人めっちゃケチなんだよ! 『サラゴサ砦のような流刑地に与える予算なんてない』とかなんとか言っちゃって!」
流刑地ですか、言い得て妙ですね。サラゴサ砦は合衆国でもっとも南西にあるド田舎、戦略的価値もほとんどありませんから、軍人にとっては左遷先のようなものです。ハーコート少佐も左遷された口なのでしょうか。
「だから『否』としか書けないのよ……人件費払ったらもう予算カツカツだし……」
司令官職というのは大変なんだ、というアピールをしたいんでしょうけどハーコート少佐が言っても説得力が……。
「愚痴は後で聞きますから、さっさと書類を片付けましょう」
「ぶー……」
少佐は口を尖らせながら、でも文句は言わずに次の書類仕事に移ります。そのままいつものように適当にサインを……、今回はしませんでした。
「あら、これは仕事と言うより報告書だ」
「そうなんですか?」
「うん。本店さん、統合参謀本部からだね」
「……この間の監査報告書の続きでしょうか?」
だとしたらハーコート少佐のことを思い切り貶しているのでは、と思いましたがそうでもないようで。
「…………」
珍しく、本当に珍しく、少佐は「今日の夕食は何がいいですか?」と聞いたときよりも真剣に考えている風でした。こんなにも眉間に皺が寄っている少佐は見たことがありません。なにか書いてあったんでしょうか。
「うーん……」
「あの……少佐?」
私が聞いても、反応は暫しありませんでした。
「こりゃ、方面監部に報告しなきゃダメかな……」
「はい?」
明日は雪でも降るのでしょうか。
少佐が珍しく自分で仕事を思いつき、そして能動的に行動しています。
---
アイリア・S・ハーコート少佐が読んだ報告書の内容は、合衆国の南隣、つまりサラゴサ砦が守護する国境の南にある国のある情報であった。
南隣にある「王国」は、時代から取り残されたような絶対王政国家である。合衆国の宗主国である「帝国」でさえ近代憲法を制定し曲がりなりにも議会を有しているのにも関わらず、南の国は王権神授説を唱える国王が国を統治している。
そんな王国と合衆国の関係性は、良いとは言えない。
歴史的経緯は様々あるが、王国は過去数度にわたって合衆国に領土を奪われている。一番身近な例がサラゴサ砦があるロングストリート州であり、元はこの地は王国領だった。
そして現在、王国内部では積もり積もった不満がある形で爆発しようとしていたのである。
暦を遡り、新暦1746年3月9日のこと。
王国においてやんごとなき身分にある男が、この日軍の幹部と会談を行っていた。
「それで、余はいつ出征できるのかね?」
「あえて申し上げますがカルロス殿下、現在の情勢下において旧領土奪還のための戦をする余裕は、我が国にはございません。それに合衆国は列強の一角、生半可な戦力では太刀打ちが……」
軍幹部の言葉を、カルロス殿下と呼ばれた男が止める。
「余はそんなことを聞きたいのではない。いつ出征できるのか、と聞いたのだ。だから卿は黙って端的に答えればよいのだ」
王族という立場から出る大仰な態度は、ある意味では王族らしいものではあったろう。だが軍事の専門家の助言を無遠慮に一蹴する姿は、未来の統治者のそれではない。
だが如何に理論が欠けていると言っても相手は王子、軍幹部は質問に答えるしかなく、そしてその答えの選択肢に「出征しない」というものはあろうはずもない。
適当に答えてお茶を濁すという選択もなくはないが、それは未来、カルロスが失敗した時に責任をかぶせられることを考えるとリスクが高い行為だ。故に彼は返答に窮し、具体的な明言を避けるしかなかった。
「……現在、我が国のスパイが仇国の軍内部にて諜報・工作活動をしております。その結果が出次第、殿下自らが彼の国に赴けばよろしいかと存じます」
「ふむ……。その活動とやらはいつ結果が出る。言っておくが、余はあまり気が長い方ではなくてな」
「そ、それは……」
カルロスは一層いらつきを募らせ、軍幹部はより冷や汗をかいた。
目の前に偉そうに立つ男は武勲を求めている。絶対王政国家ゆえの弊害、王族による私利私欲のための戦争を彼は求めていた。自分がいつか王国の頂点に立つために。そのための行動は早い方が良い、そうカルロスは考えている。
よって軍幹部は遅すぎず、かつ工作活動の結果出て、合衆国相手に良い勝負ができる時期を頭の中で算定し、そして答えた。
軍幹部の言葉に、カルロスは満足げに頷いた。それを見た軍幹部もまた、やんごとなき身分の人間から嫌われることがなくなったと安堵した。
王子の笑顔と軍幹部の吐息が、細やかな歴史の狂いとなり、そしてある人物の運命を大きく動かした遠因となることを、この時はまだ誰も知る由はない。