《地下世界:モンスター救出編》 第一話:腐った不死者と大魔王の右腕
優しい光に輝く空間。
そこには蔦の彫刻が施された白いテーブルと、セットになった椅子が二つ、おかれていた。
椅子には彼女───といっても彼女と呼ぶには些か早すぎる見た目は年の頃十歳前後の、本当はまだまだ少女と言うべきだろう女の子が座っている。
床に届かない足をぷらぷらさせて、微笑んでいるようだった。
ようだった、と表現が曖昧になってしまうのは、
彼女の表情が具体的にはわからないからだ。
なんせ俺は、彼女の顔を見たことがない。見たと言えるほど近くでは、見たことがない。それでも、微笑んでいるように感じるのであれば、それでいい。勝手ながら俺はそれで満足なのだ。
テーブルには、ニンジンを刻んで天日で干して作ったという謎のお茶───
ニンジン茶が用意されている。
作り方はともかく美味しいので、文句は言うまい。
彼女も美味しそうに飲んでいる。
俺は、ここ一週間の話を手振り羽振りできるだけ面白おかしく、できるだけ滑稽におどけて話した。
やや脚色しつつ、愉快であればそれに越したことはないというように話した。
長い長い話だった。本当に一週間で起きた出来事なのか、不思議なくらいに長い話。
そう感じるのは多分、俺が長く彼女と話していたかったからだ。
もう行かなきゃ、と、彼女がそう言ったように思えた。
実際言ったのだろうけど、俺は彼女の声色も知らないので、
思うことしかできない。
引き止めちゃダメなんだろう。
誰よりも知っているつもりだ。だから───
「元気で」
と、努めて明るく軽く、また今度すぐに会えるかのように言った。
その言葉に答えるかのように彼女は、椅子からピョンッと飛び跳ね、後ろに手を組み弾むような足取りで、光の彼方へ消えて行った。
振り向かなかった。きっと彼女は、俺よりも大人なのだろう。
そういえば、彼女の顔も声色も名前さえも知らない俺だけれど、知っていることもある。
彼女の頭にはうさぎのような長い耳と、お尻には丸い尻尾と、
もふもふのおててがあるのだ。
つまり───人間じゃない。
瑣末な話だ。どうだっていい。人間かどうかなんて。
一人きりになって、そう吐き捨てるように思った。
心がささくれてしまう前に、声が聞こえてきた。俺の名前を呼ぶ声。
一人は、恐る恐る。
一人は、ハッキリとした声で丁寧に。
一人は、おっとりとした口調で。
途端にささくれそうだった心が落ち着いてしまうのは、俺が現金なのか、
それとも単純に子供だからか。
きっと後者だろう。
彼女のように大人ではない子供の俺は、だから彼女の行った先を振り向いてしまう。光の彼方。
けれど、歩く方向は逆。三人の声のするほうだ。
心配をかけてはいけない。目覚めるとしよう。この夢から。
最後に、目覚める前にもう一度、この一週間を振り返ろうと思う。夢うつつの波間の一歩手前で、もう一度。
夢は、目覚めてしまえば泡沫のように消えてしまうものだから。
一週間前、俺は城にいた。現代の建築基準法などこれっぽっちも考えてないような中世西欧風の石の城だ。
当時俺は、そこが城だとは思いもしなかったけれど。
長い長い一週間の始まりは、皮肉にも今と真逆。夢を夢だと気づいている今と違い、現実を夢だと思いたかった、まさにそのときからだった。
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信じられない出来事が起きたとき、人は頬をつねり、夢ではないか確かめるという。
やってみた。
そしたら千切れた。
頬の肉が、つまんだ分だけ。
「……ち、千切れたぁぁああぁぁっっ!?」
「ツラミというやつですね、ぷぷっ」
「焼肉みたいに言うなっ!!」
唇に手をそえて、失礼にも笑い吹いた彼女の名前は、アンリアラ。
ついさっき自己紹介を終えたばかりの───モンスターだ。
モンスターといっても、見た目は怪物や化物のそれではなく、白と黒を基調にした清楚なドレスを着こなし、琥珀色の髪をたなびかせる美人さんだ。
モンスターらしいところは、頭にヤギのような角が生えていることと、宝石のように赤く光っている瞳だけ。
「な、治せないの? これ」
「治せますよ」
アンリアラは回復魔法を唱えた。
千切れた頬が、もこもこと復元していく。
頬をなでると、陥没した部分はきれいに埋まり、治ってはいるけれど───
「腐ったまんまだっ!!」
「それはそうですよ。あなたは腐った不死者なんですから。……ぷぷっ」
「笑うなっ!!」
「あの……ちょっといいですか? あまり大声を上げないでもらえます?」
まゆをひそめるアンリアラ。
モンスターとはいえ、彼女も一応は女性。確かに怒鳴るのはよろしくない。
「ご、ごめん」
「自分の口臭を自覚して下さいね」
「口臭かよ!? ヒドイこと言われた!! 謝って損した!!」
「それでなくても、腐臭がすごいんですから……」
「俺を腐った不死者にしたのはお前だろうが!!」
彼女が言うには───
太陽の昇らない地下世界『アルムヘイム』では、大魔王ルグラン統治のもと、モンスターたちは平和に暮らしていた。
そんな平和を恐怖のどん底に突き落としたのは、地上世界から突如現れた勇者一行。瞬く間にモンスターたちは虐殺され、大魔王ルグランも八つ裂きにされたあと、各部位ごとに封印。
抵抗むなしくアルムヘイムは、勇者を使わした地上世界の八人の王によって植民地化された。
次々と地上世界から人間が送り込まれ、山や森を切り崩し、大規模な街をいくつも建設して、支配範囲を拡大。
生き残ったモンスターたちは死の恐怖におびえながら、逃走の日々を送っている。
───らしい。
「……なんか聞いたことのある世界観ではあるけど、いろいろと脚色されてる気がする。どうせ最初に戦争ふっかけたのはお前たちなんだろ? いまさら被害者ぶんな」
「敗戦国は蹂躙されて当然だと?」
「そうは言わないけど、イヤなら戦争なんてしなきゃいいだろ」
「適当な侵略理由をでっち上げ、資源豊かな領土を奪う。野蛮な人間たちの十八番でしょう?」
「……いや、俺も人間なんだけど」
「そんな腐った身体で人間を名乗るのですか? ぷぷっ、冗談は発酵する前に言って下さい」
「だから発酵させたのはお前だろうがっ!!」
「臭っ」
「鼻をつまむな!!」
そんな状況下、大魔王の右腕であったアンリアラが地下世界奪還の為に異世界から召喚した救世主が───
「どうして俺なんだ!? 俺は人間だ!!」
「聞き分けのない発酵体ですね」
「UFOみたいに言うな!!」
「前世の記憶はあるんでしょう? 第二の人生をモンスターとして全うして下さいな」
「助けてくれたのは素直に感謝するけど、せめて格好いいモンスターにして欲しかった!! あとモンスターに人生はおかしいだろ!!」
「ぷぷっ。でも、山で遭難して事故死なんて、笑い話にもなりませんね……ぷぷっ」
「じゃあ笑うなっ!!」
アンリアラの言うとおり、俺には前世の記憶が残っている。
前世というには、そんな感覚はまったくないのだけれど、山登りの最中、突然の嵐に襲われ、あえなく遭難。
気がつけば右も左もわからない鬱蒼とした森の中で俺は、空腹と凍てつく寒さにさらされ───確かに死んだ。
大学二年生の春休みのことである。
日に日に腐っていく自分の身体を、俺は客観的に眺めていた。
成仏できずに自縛霊にでもなったのだろうか? それはわからないけど、
認めたくはないけど、俺は確かに───死んだんだ。
「まぁ、ソロで山登りして遭難死では成仏できませんよね」
「ソロって言うな!! 泣きたくなる!!」
「ここには仲間がたくさんいますよ?」
「人間の仲間が欲しかった……」
「贅沢言わないで下さい」
「贅沢なのか!? 俺が人間の仲間を欲しがるのは贅沢なことなのか!?」
「仲間と書いて、『ともだち』と読みましょうか?」
「友達くらいいるわ!!」
「友達がいたらソロで山登りなんてしないでしょう?」
「たまたま都合が合わなかっただけだもん!!」
「そういうことにしといてあげますから、これからは腐った不死者として頑張って下さいね」
「くそぉぉおっ!! よりによってなんでそのまま召喚したんだよぉぉおおおぉぉっっ……」
そういうわけなのだ。
そのまま召喚されてしまったのだ。
腐った身体と魂が同時に召喚され、魔方陣の上で再び融合し、世にも哀しいモンスターが誕生したのだった。
「それが俺だっ!!!!」
「やっとご納得頂きましたか」
「頂いてねぇーよ!! やり直しを要求する!!」
「臭っ」
「しつこいっ!!」
どんなに嘆いても現実は変わらない。
現実かどうか確かめようとしたら、さっき頬っぺたが千切れた。
かれこれ十時間ほど、うだうだ泣き言を言っている俺だけれど、そろそろ割り切らなければならない。
本来なら、第二の人生なんてボーナスステージはないのだ。例えモンスターとして召喚されようとも、これは棚ぼたの幸運だと考えるべきだろう。
「……報酬は?」
「は?」
「報酬だよ、報酬。地下世界奪還なんて大それたことやらせようとしといて、まさか……ただ働きってことはないだろうな?」
「身体だけではなく、性根まで腐ってるんですね」
「……え? マジでただ働き? マジで?」
「そんなことだから友達いないんですよ?」
「ほっとけや!! ちょっと待て、マジでただ働きなのかっ!?」
「仕方ないですね。地下世界奪還の暁には、不肖この私が友達になってあげますよ」
「報酬で友達なんか作りたかねぇよ!! そんなの友達じゃねぇっ!!」
「彼方が友達を語らないで下さい。ソロクライマーのくせに」
「ヒドイッ!!」
ヤギの角を持った美人が、笑顔で辛辣な言葉を浴びせてくる。
世の中にはお金を払ってでもこういったシチュエーションを望む奇特な方々もいるらしいが、残念ながら俺はそんな少数派ではない。
普通に心が折れそうだ。
「これは彼方にとって、とても美味しい話なんですよ? チャンスと言い換えることもできます」
「チャンス? なんの?」
「友達がいない彼方が、友達をとおり越して、恋人を作るチャンスなのです」
「……詳しく聞こうじゃないか」
大理石で造られたような荘厳な椅子に座り、アンリアラの言葉を待つ。
けれど、アンリアラは言葉を紡ぐ前に華麗にくるりと回転してスカートの端を持ち、お辞儀をした。
そして、上目遣いで俺を見て微笑む。
「どうです? 美しいでしょう?」
「……自分で言うなよ」
ちょっと見蕩れてしまったのは内緒だ。
「モンスターの八割は、私のような人間の女性に近い容姿をしています」
「……ほほう、非常に興味深い話だ。続けてくれ」
「まず彼方にやってもらいたいことは、勇者にさらわれたモンスターたちの救出です」
「……勇者なのにモンスターさらってるの? それは本当に勇者か?」
「人間側からしたら勇者なのでしょう。しかし、野蛮な人間です。そんな野蛮な人間にさらわれたモンスターたちを助けたら、彼方は英雄でしょうね。さぞかし持て囃されることでしょう。求婚もあとを絶たないと思いますよ?」
「球根となっ!?」
「ええ、そうです。愛の花が咲き乱れます」
「乱れるのかっ!?」
「淫らに乱れまくりです」
「淫らにまくれるんですかっ!?」
「鼻息が臭いです」
悪い話じゃない。確かにチャンスだ。
モンスターとはいえアンリアラのような容姿とスタイルとあらば、前世では女優かモデルに近い存在だろう。俺だってすでにモンスターなのだ。差別なんてあろうハズもない。
前世では異性に縁はなかった。これっぽっちもなかった。言うまでもなく、年齢=彼女いない歴だ。そんな俺が、ここにきてチャンス到来。第二の人生は本当にボーナスステージなのかも知れない。
でも、話が美味すぎやしないか?
ここは慎重にいくべきじゃないだろうか。
石橋も叩いて渡るべきじゃないのか。
裏があると考えなければならない。
冷静になれ。俺はクレバーな男だ。
「もう一つ、つけ加えるのなら、このアルムヘイムは───」
アンリアラは、これ以上ない花がこぼれるような笑顔で言った。
「一夫多妻制です」
俺はアンリアラと、ぎゅっと熱い握手を交わした。
「やりますっ!!!!」
モンスターをさらうような極悪非道な勇者は、俺が倒す。
ここは異世界だ。俺が知っている正義感あふれる小さな勇者ではなく、なんかこうPC系のブタ面クソ野郎に違いない。
笑い方もきっと「ぶぇっへっへっ」とか、そんな感じだろう。
「期待しています」
言いながら、アンリアラはハンカチで握手した手を拭いていたけれど、気にしないでおこう。
とりあえず───
打倒っ! ブタ勇者っ!!
こうして俺は、腐った不死者として第二の人生を歩き始めた。