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008

 3日間の夏休みが終わって早2周間。俺が怪我したということ以外、以前と何も変わらない日常が過ぎていた。それはつまり、俺とジーナ教官の稽古も行われるわけで、貴族は1ヶ月の夏休みがありジーナ教官はやることがなく、元気が有り余っていた。

 ようするに何が言いたいかというと。泣きたい。


「いやあああああ!!!」

「こら、逃げるな!」

「逃げるわちくしょう!!」


 俺絶賛逃亡中。




 授業は滞り無く終わり、さて寮に戻って寝ようと思ったときのこと。凄く良い笑顔のジーナ教官が教室にやってきた。この時、既に悪い予感がしていたんだ。

 いつもより俊敏に動くジーナ教官から逃れることを許されず、首根っこを掴まれ修練場まで引っ張られた。しかも貴族の修練場だ。囲いはあるし、広いから俺は逃れることも出来ず2時間以上に及ぶ戦闘訓練を強いられた。



 《属性は水、用途は液状、土を泥へ。術式、固定》

「きゃああ!」

「案外かわいい叫び声なんだな! おい!」


 全力疾走しながら液状の魔法を唱えるのはなかなか難しかったができた。そして、いきなりのことだったのでジーナ教官も避ける事が出来ず、即席落とし穴と化した深さ1メートルあまりの泥沼にはまった。

 《属性は氷、用途は氷結、泥を氷らせよ。術式、固定》

 はまった事が分かったら透かさず泥を氷らせ下半身を地面に埋めておく。これでいくらか時間が稼げる!


「冷た!」

「はっはー! あばよ!」


 そして走りだす。その方角は貴族棟だ。今は貴族たちが全員出払っているおかげで俺は貴族棟を自由に走り回ることができる。それなりに広いこの建物なら逃げまわる事ができるだろう。平民用の建物は大教室が数個という寂しい建物だからな。

 しかし、こうも誰もいないと寂しいものだ。いや、これは好機かもしれない。貴族たちに仕返しでもしてやろうか。俺は忘れない、魔法の集中砲火の数々を。手始めに机に落書きでもしてやろうか。

 いやいや、そうじゃない。逃げなければいけないんだった。貴族への仕返しとジーナ教官からの逃亡、天秤にかけるまでもなかった。

 そして、俺は更に奥へと走る。流石にジーナ教官もこれは予想できまい。

 俺が逃げて行っているのは看護科や技術科の教室がある一般棟だ。普段は貴族棟が間にあるから行く機会などまったくないので、これを期に1度見に行こうと思う。ジーナ教官が来るかもしれないスリル感はいらなかったが。いや、本当に!


 一般棟の周りは平民棟や貴族棟の周りのように荒れてはいなかった。地面は一面芝生だし、木々もちゃんと生えている。幹に裂傷などもなく、立派な木々が一般棟までの道の脇に等間隔で植えられている。

 最近は専ら俺とジーナ教官による自然破壊が主な理由だから当然なのだが。それ以外にも生徒同士の戦闘訓練などで修練所が使えない時などは適当な場所でやったりする。


「ほえー」


 俺にとっては珍しい光景だ。そして、一般棟。看護科、技術科など専門的なことを教えている場所だ。特に看護科は噂では男女比が3:7くらいで平民棟では言ってみたい場所ナンバー1だったりする。平民棟に華はない……食堂のおばちゃん……枯れているな。


「なっ」


 景色を眺めている最中、俺は視界の隅に人影を捉えた。二人組の生徒が一般棟から一般寮までの道のりをゆっくりと歩いている。そして、これ重要。女性だ。女生徒だ。女の人だ!

 この瞬間、俺はジーナ教官のことなど頭から消えてしまっていた。いや、確かにジーナ教官も美人だ。好みの女性と言っても良いかもしれない。しかし、歳の差というものがあるわけであって、しかも毎日のようにしごかれていると天敵のような感覚があり……俺は何を言っているんだ?


「御機嫌よう、お嬢様方!」


 女生徒の目の前まで颯爽と走り、俺は今日一番元気な挨拶をした。女生徒の1人は長い茶髪、もう1人は肩口まで伸ばした金髪だ。


「えーと、こんにちは」

「……女神がいる」


 この学校で俺がこんな挨拶をしたらどうなるか。答えは簡単だ。蹴りか殴り、斬撃か魔法で返ってくるのだ。いや、オルタだけは普通に返してくれる。後、ヒューも悪態をつきながらだが返してくれる。時々殴られるが。

 何が言いたいかというと。俺の挨拶に素直に答えてくれた女生徒は今、俺の中で女神へと昇華した。長い茶髪に少しタレ目なおっとり系女神が俺の中で出来上がった。今日から崇めます。3日で面倒くさくなるだろうけど。


「ちょ、エーラ。こんな変な奴に返事なんてしちゃだめでしょ」


 ふむ、茶髪の彼女はエーラという名前らしい。

 変な奴とは何だこの金髪娘め。俺より小さいから、睨んでるつもりか上目遣いになってるんだろ、可愛いじゃないか、くそ!


「変な奴とはなんだ。俺だって……俺だって、必死に生きてるんだ!」

「え、えっと……ごめんなさい?」

「全くだ、ぷんぷん」

「ダメだ、やっぱしこいつ変な奴よ。さっさと行くわよエーラ」

「ちょっと待ったー!!」


 女性と知り合いになる機会なんて滅多にない。ここで何かした縁でも作っておかなければ! 将来を見据える男、今日からそう呼ばれたい。


「何よ」

「えーと……ご趣味は?」

「行くわよエーラ」

「待って!」

「私の趣味は、裁縫です」

「「え」」


 俺と金髪娘が硬直する。それとは反対にエーラさんはニコニコしながら俺の反応を待っているようだ。というか、この人なんていい人なんだろう。女神を通り越して……越して……何になるんだ?


「えーと、良いご趣味ですね」

「そうでしょうか? でも、あまり役に立ったことがなくて」

「じゃあ今度俺の制服の修繕して下さい」

「はい、いいですよ」


 まあ、断られるだろ、う? いいですよ? いいんですか! ちょっとエーラさん、あなた流石に女神を超えた何かだとしても、いきなり出会った男の服を修繕するのはどうかと思います! いえ、俺は嬉しいんですが!


「ちょっとエーラ! 何言ってんのよ、こんな変な奴の頼み事なんて聞かなくていいの! しかも初対面じゃない!」

「えー……でも困っているみたいだし、良いでしょ? ね、ルー」

「ダメったらダメ!」


 俺が言うのもなんだが、ダメだろ普通。そもそも、服の修繕をしてくれる女性の知り合いとか都市伝説ではないだろうか。職人に頼め、という話だ。しかし、俺には金がない。いや、あるが姉さんによって巻き上げられているのが現状。いつの間にか給金の送り先が孤児院になっていたのだ。


「金が……ない」

「ほら、困ってるみたい」

「ダメ! こういうのは一番構っちゃいけないタイプなの! あんたも、さも困っているように振る舞わない! ここにいるってことは給金貰ってるんでしょ!」

「給金……存在は知っているが、見たことはないな。俺が見る間のなく……俺の金……グスン」

「ルー、あまりいじめちゃだめでしょ」

「え、ちょ、私何もしてない。ほら、泣かないで、ね。わ、私も裁縫できるから。修繕してあげるから、泣き止んでよ」

「え、マジで。いやー、助かるわ」

「こいつ……」


 なんだか金髪娘、ルーが俺に殴りかかろうとしていたので止める。


「どうどう。そう暴れるなよ。どうしたんだ? 情緒不安定?」

「あんたのせいでしょうが!」

「え、何。俺の服を修繕するのが殴るかかるほど嬉しかったのかー……それって喜んでるのか? 最近の喜びの表現ってのは難しいんだな」

「ちがーう! もう、なんなのよこいつぅ!!」

「もう、ルーってば落ち着いて」


 エーラさんまでルーを窘めはじめる始末だ。相当悪いんじゃないだろうか、情緒不安定。


「もう! やめて! と言うかねえ! あんた此処で何してんのよ!」

「俺が……何をしているか? 愚問だな! 俺は……」


 何か重要なことを忘れているような気がしてきた。なんだろうか。女生徒に会うという衝撃的な出来事のせいでまったく記憶に残っていない。なんだったか……女性関係なような気がする。でも、俺に限って痴情のもつれなんてものは起こさない。俺は好きになったら一直線だからな。そうやって姉さんにずっと尽くしてきた……この現状はそのせいか! 過去に戻れるならもうちょっと反抗しろと言ってやりたい! どうせ返り討ちになるだろうけど!


「俺は……」

「「俺は?」」


 そもそも、今は放課後で貴族がいない。だから、最近ジーナ教官が俺に稽古を……稽古を……稽古だよ!


「やばい!」

「どうしたんですか?」


 あれから何分経ったんだ? くそ、何を浮かれているんだ俺! 浮かれすぎてて時間感覚が完全に狂ってしまった。ジーナ教官が貴族棟の全教室を調べるとして、それでも隠れる場所がないので、そこまで時間は掛からないだろう。

 つまり、早く逃げろということか。


「すまんが、逃げさせてもらう!」

「え、行き成り? というか何から?」

「それは」


 言ってはいけない、と言おうとした時だ。地獄の底から響くような声が聞こえた。ちびるかと思った。


「見つけた」




「ぎゃー!」

「ちょ!」


 俺は飛んでくるであろう斬撃を避けるために前転しようとしたんだよ。でも、俺の目の前にルーがいたわけで。巻き込んでしまった。


「いっつぅ……」


 しかも、ルーを下敷きにするという惨事。体格的には、ガタイの良いとは言い難い俺だが、女性からしたら重いだろう。そう思った俺は、それは早急に上から退かなければと重い、腕を使って起き上がろうとしたんだ。

 その時触ってしまった。いや、何にとか……恥ずかしくて言えないぜ。


「レノ、何白昼堂々女生徒を押し倒している」

「ルーってば大胆」

「ちょっ、私何もしてない! された方よエーラ!」


 よかった、気付かれなかったようだ。まあ、一瞬で色々起こったから分からなかったのだろう。あの感触は俺の心の中だけに閉まっておこう。柔らかかったです。ルーは見た目よりあると思います。


「あんたが攻撃してくるせいだろ! 場所考えろよ、場所!」

「ん? お前が当たれば問題なかっただろ?」

「頭狙った人間が言えるセリフか! 当たったら痛いじゃすまないだろ! ひどかったら失神するぞ! しかも、起きたら頭痛……最悪だ!」

「そういうこともあるだろう」

「結構頻繁にあるんだよ! あんたのせいでな!」


 突然現れたジーナ教官に驚いているのか、それとも俺とジーナ教官の言い合いに驚いているか分からないが、エーラとルーは呆然としていた。


「ん? 誰かと思ったら、エーラとルーではないか。夏休みだというのに勉強か? 熱心だな。その勤勉さを少しでもこの出来損ないで、役立たずな上に文句だけは言うレノに分けてやって欲しい」

「俺そんな風に思われてたんですか!? というか、知り合いなんですか?」

「ん、私は一応看護科の剣術指南も時々しているからな。まあ、後2人は看護科でも成績は上位、剣術も中々のものでな。型の熟練度だけで言えば、お前より断然できる」

「型? そんなのあったのか……知らなかったぜ」


 ようやく状況に追い付いてきたのか、ルーが会釈しながらジーナ教官に挨拶をしていた。それに続いてゆっくりとエーラもしていた。


「ジーナ教官は何を?」

「こいつに稽古を付けていたんだが、逃げまわるばかりでな。今は貴族がいないから貴族棟を通ってこっちまでやってきてしまったんだ」

「なんか、そう言われると檻に閉じ込められた動物のような扱いだよな」

「……ぷ」

「おい、てめー。今笑っただろ。おい」


 ルーがこっちを蔑みながら鼻で笑った。俺はそんな趣味ないからな! 誤解するなよ! 嬉しくともなんともない!


「というか、レノって。あんたが、あのレノアーノ・ディアッカ?」

「え、何俺そんなに有名なの? 照れるなー。そう、俺はレノアーノ・ディアッカだ。気軽にレノと呼んでくれ。ラ行同士仲良くしようじゃないか」

「そんな括り付けられたのは初めてよ」


 呆れたのか、ルーは眉間に手を当てながら溜息を吐いた。


「レノアーノ? 誰?」

「ほら、あれよ。噂になったでしょ、平民の中で問題をよく起こすからって先生たち愚痴ってたじゃない」

「あー……。ドア壊したり、床壊したり、地面陥没させたり、貴族に喧嘩を売ったりしているって言ってたね」

「ちょっと待て! なんだそれ。ドアも床も壊したのは教官が殴った俺が当たったからだ。地面陥没はジーナ教官と稽古しているからで、貴族に喧嘩なぞ売ったことはない! 割りと魔法撃たれるけど! 断じて、俺から仕掛けたことはない!」

「まあ、噂とはそういうものだ。諦めろ」

「くそ! お前等はいつもそうだ! 自分に都合のいいように解釈できる話だけを聞くんだ!」

「なんだか、かっこいい事言っているように聞こえるけど、全然かっこよくないわよ」

「かっこいい」

「「え」」


 エーラさんあんた天然だよな。空気とか読まないよな。いや、そういう所も良いと思うよ。和むからさ。流石は俺の中で女神を超えた存在。


「ふむ、では続きと行くか」

「ちょ! ここから! もう今日は止めにしましょうよ!」

「問答無用! 看護科の優秀な生徒がいるんだ、少し傷ついても回復して続けるぞ! それにギャラリーがいるほうが燃えるだろう?」

「嫌だ! 嫌だあ! もう一撃で沈ませて! ギャラリーいても、俺が一方的にやられるだけじゃん! 萎えるっつーの!」


 結局太陽が沈むまで、俺は何度かぶちのめされた後、ルーとエーラの回復魔法により復活させられ再戦を繰り返させられた。

 ついうっかりルーに、見た目よりあるよな、って言ってしまったことからルーにアッパーをかまされダウンしたことは割愛する。エーラは始終ニコニコしていて優しかった。神は俺を見捨てなかった。

 ちゃんと服の修繕をしてもらう約束も取り付けた。


 痛む身体に無理をさせ部屋まで戻ったのは夕飯間近だったが、すでに限界だったので寝た。オルターだけが俺を心配していてくれたな……ほろり。

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