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007

「くそっ、なんだってこんな時に出てくるかね熊さんは!」


 広い森の中で子供二人を追うことなど到底不可能なことであり、結果として俺はただ森の中を走り回っていた。時間が経てば経つほど焦りが積もっていく。嫌な考えが頭をよぎっていき、それを振り払うように走る速度を上げた。


「ハーンス!! リザー!!」


 出せる限りの声で2人を呼んでも返事は返ってこない。そして、また走り出す。思えば叫び声以外で大声を出したのは久しい……。



「ん?」


 一瞬、何かが聞こえた気がした。ざわめく木々の中では注意しないと聞こえないような小さな音だ。耳を澄まして聞く。こすれ合う木の葉の音の中に微かに聞こえた音は、泣き声のように聞こえた。

 俺はその音の聞こえてくる方へと走り始めた。曖昧な方向しか分からなかったが、音の源に近づくにつれ方向を修正していった。

 そこにいたのは泣きながら走ってきたリザだった。


「リザ!」

「レノ兄!!」


 リザが俺を見ると普段からは考えられない悲痛な声を上げて抱きついてきた。服は土で汚れ、手も擦り傷まみれだった。足は長いスカートを履いていたので擦りむいていないが、汚れていたので何度も転んだのだろう。


「ハンスは!」

「グスッ……は、ハンスは……私にっ……ん、逃げろって。どうしよう……う、うぅ」

「そうか……よく1人で走った。流石は俺の妹だ」

「でも、ハンスがっ!」

「心配すんなって。逃げ足ならディアッカ家で俺の次に速い奴だ。よっと」

「きゃっ!」


 現状、熊がどこにいるか分からないのでリザを1人で行かせる訳にも行かない。ということでリザを脇に抱えた。まだまだ軽いな。


「どっちから来たか分かるか?」

「池のある方!」

「よし、分かった!」


 リズを抱えているから無理な速度で走るような無茶はできない。でも、方向が決まっただけでも大きな収穫だ。昔からこの森を走り回って遊んだ俺にとって、ここは俺の庭も同然! 遊びという名の狩猟だったけどな! 猪は手強かった。



「ハーンス!」

「ハンスー!!」


 池に辿り着くと熊と人間の足跡を発見した。1つはリザの足あとだと分かっていたので、もう一方を辿った。1つ不安なのは熊の足跡も若干方向が被っていたことだ。ここまで来て、スプラッタな状況になっていてリザのトラウマにでもなったらどうしよう……絶対俺が殺される……。

 しかし、神は俺の味方をした。

 ハンスがいた。生きていた! 特に目立つ怪我もないようだ! しかし、こっちに向かって走ってきている様子ではない。何かから逃げているようだ。

 つまり、熊から逃げていて、俺達に合流してしまいそう。結果、俺たち3人全員追われることになった。

 後ろを見て、初めて熊を確認した。全長5メートルほどの巨体は今まで見たことのないサイズだ。走る速度も恐ろしいほど速いし、俺達と違って木などなぎ倒しながら進んできている。鋭い爪は土を抉っている。


「くそーー!!」

「兄ちゃん頑張れ!」

「レノ兄頑張って!」


 ハンスも疲れてしまっていたので俺が脇に抱え走ることになった。でも、応援されたからって疲れが癒やされる訳でも、走るのが速くなる訳でもない。俺もヒューが早く来てくれるのを祈るばかりだ。


「って、うお!!」

「ぎゃ!」

「うわっ!」


 木の根に足を取られて転んでしまった。俺のバカ野郎! なんのために毎日ジーナ教官から逃げてるんだよ! こういう時のためだろ! いや、ちげーよ! ノリツッコミしてる場合でもなかった。


「まず!」


 後ろを振り返るまでもなく熊がこちらに向かって突っ込み、その鋭い爪で襲いかかってきているのが分かる。

 《属性は水、用途は防御、質量のない盾を形成せよ。術式、固定》

 魔法を使い盾を作り、リザとハンスを守るために抱え込む。魔法の盾は遠距離攻撃と魔法攻撃に対しては比類なき効果があるが、直接の攻撃となると別の話だ。この熊の体重と筋肉から繰り出される攻撃など数秒も持つはずもなかった。

 爪が俺を捉えた。焼けるような痛みが背中を突き抜けた。身体が真っ二つに裂かれたのではないかと思うような衝撃。それでも、2人を抱えて守る。

 熊は動かなくなった得物を見下している。ああ……その目だよ。自分が絶対的強者だと信じてるその目だよ。


「レノ兄! レノ兄! いやぁ!」

「おい兄ちゃん! 兄ちゃん! しっかりしてくれよぉ! なあ!!」


 2人の声が聞こえてきた。でも、それが俺を呼んでいることは分からなかった。言葉がただの音として頭に入ってきた。その音と意味を関連付ける脳が働いていない。

 その目が気に入らない。気に入らないものはぶちのめす。そうしないと、俺は俺でなくなるから。生きていけないから。


「ぞく、せいは氷……用途が刺殺、血の串をしゃ、しゅつせよ。くっ、術式、固定!」


 最後は気合で言い切った。血反吐を吐いたが気にしない。ハンスとリザの声が聞えるがどうでもよかった。

 飛び散った血は魔力により、形を成し氷となる。空中で停滞し、次の瞬間撃ちだされた。狙い違えず熊の目に突き刺さった。その痛みで熊はのけぞり、突進をやめた。


「ざま……みろ」

「兄ちゃん!」


 やっとハンスが俺を呼んでいる事に気付いた。自分の事になると周りを忘れるのが悪い癖だな……。


「はあ……お前ら逃げろ。あいつは俺が惹きつけるからさ」

「何言ってるのレノ兄! そんな怪我してるのに!」

「こんな怪我してるからだよ。今の俺じゃお前等より走るの遅いし。あいつは俺の血の匂いを追ってくるだろ。ま、お前等が死ぬより、俺が死んだほうが姉さんも悲しまないさ」

「ばか! そんなことないに決まってるでしょ! メー姉はレノ兄のこと一番好きなんだよ!」


 そうだったのか……じゃあ、今までの暴力の数々は愛情の裏返しか? 照れ隠しとかかな……。なんだ姉さんも可愛いところあるじゃないか。


「それでも、お前等だけでも逃げてくれ……誰も帰らないよりはいいだろ」

「いや! いやだよ!」

「言うこと聞いてくれよ……ハンス、お前なら分かってくれるよな。俺に格好つかせてくれよ、な」

「……」


 後、個人的にそろそろ熊がこっちに来る気がする。


「リザの事頼んだぜ」

「……わ、分かったよ兄ちゃん! でも、絶対帰ってこいよな! 帰ってこなかったらカンチョウすっからな!」

「それは嫌だなー……」


 帰ってこないのにどうやってやんだよ、という空気を読まないツッコミはよしておく。でも、帰ってもカンチョウされるからな、こいつには。


「ほら、行け」

「おう! ほらリザ、こっち!」

「いや! 嫌だよ! レノ兄を置いてくなんて嫌!」

「引きずってでも連れて行くからな! ほらあ!」


 リザがゴネているので安心させるために頭を撫でてやる。触り心地もなかなか良い。きっと姉さんが毎日手入れでもしてくれているんだろう。姉さんは小さい子と女性、俺以外の男性には優しいからなー………。やっぱ俺って嫌われてるんじゃないだろうか。


「夕飯の用意でもして待っててくれよ、リザ」

「うっ、ぐしゅ……分かった。待ってるからね」

「ああ」


 そうして、やっとのことで2人は逃げていった。そして、聞かないようにしていた熊の唸り声が再び鮮明に聞こえ始める。


「グルァァァアア!!」

「うっせーな、くそ……聞きたくねーんだよ、お前の声なんてな」


 幾分か和らいできた傷を我慢しながらゆっくり立ち上がる。未だに燃えるように痛む背中だが、歩けないほどじゃない。それに回復魔法も少し使ったので少しは回復しただろう。


「よくもやってくれたなー。この俺にかっこいい傷を付けてくれるとは。ぶっ殺してやんよ、この野郎」

「ガァァアア!」

「あれ、怒った? もしかしてお前メスだったのか? じゃあ、言い直そう。ぶっ殺してやんよ! このクソアマ!」


 大声を上げ自分に喝を入れる。身体が痛い。でも、許せない。


「正義の味方って柄じゃないけどなあ! 家族くらいは守らせてもらうぜ!」




 なんて格好良く言ってた俺を殴り倒したい。

 幾度、相手の攻撃を避けただろうか。走るのもやっとな身体で俺は何をしたかったんだ。やっぱり格好つけたかっただけなのか? 我ながら自分の馬鹿さ加減にあっぱれだ。


「属性は水、用途は噴出、敵の下方から突き上げろ。術式、固定」


 熊の頭の下から水が噴出して視界を妨げる。こうやって時間を稼ぎながら鉛のように重くなった身体を引きずりながら逃げる。

 もう魔法の思考詠唱をすることもできなくなってきた。足を動かすのも億劫になってくる。でも、死ぬわけにはいかない。死ぬのは勿体無い。まだやってないことも、見ていないものもたくさんある。あいつらとの約束もある。

 何より死にたくない。あの暗い路地裏の冷たい地面に横たわっていた死骸のようになりたくない。殺されるくらいなら殺したほうがましだ。飢えるくらいなら盗んだほうがましだ。生きために、俺は死に抗うことを止めない。

 背中を負傷し、血を流し、虫の息だとしても俺は生きている。まだ心臓は動き、呼吸をし、思考をする。俺はまだ死んでいない。抗うことをやめていない。

 突進してくる熊から逃げるように俺は横に動こうとした。でも、距離が足りず突進を受けてしまった。肺から空気が押し出され、腹の中にあったものは逆流し口から出た。


「いっ……てー……」


 数メートル吹き飛ばされて止まる。湿った地面が心地よい。なんだ、ジーナ教官のボディブローもまだまだだな……。ああ、こんなことならもっと真面目に稽古付けてもらうんだった。次ウォレス教官に殴られたら、この熊のひっかきを思い出して、まだマシだと思おう。

 熊が再び俺に近づいてくるのが振動で分かる。腕で身体を起こそうとする。俺は抗い続けたい。死ぬことをただ受け入れたりなんかしない。でも、もう終わりなのだろうか。いくら力をいれても起き上がらない。地面は血で染まり始めている。横たわりながら近づいてくる熊の足を眺めた。

 こんなところで死ぬのか。怖いとは思わなかった。死んでいく人間などたくさん見てきた。自ら首を切った男、男に刺された女、飢えて死んでいく子どもたち。それが当然だと眺めてきた。人間、結局行き着く先は死なんだ。それが自然なんだと知ったのは何歳の頃だったか。

 ああ、なんか昔を思い出してきた。これが走馬灯とか言う奴なのだろうか。こんなもの、見たくない。まるで死ぬことを甘受しているようだ。でも、だんだん瞼が閉じていく。力が抜けていく。


「そいつの動きを止めろ、レノ!」

「……はっ……おせ-んだよ」


 やはり神は俺の味方だったようだ。熊の後ろ、木々の間からヒューが現れた。すでに魔法の詠唱に入っているようだ。攻撃系の魔法で一撃で決めるつもりなのだろう。

 地面を手で撫でる。

 《属性は水、用途は液状、土を泥へ。術式、固定》

 おぼつかない視界の中で見えた熊の前足付近を泥に変える。水の多めにしたのでよく沈むだろう。熊は前足を泥に取られ、動きを止めた。そもそも体重が重い熊は、俺が予想していたよりも沈んでいった。


「死ね!」


 その宣言と共に、熊の胴体の下の地面から刺が生え熊を貫いた。ヒューもえげつないことをする。そして、呆気無く。本当に呆気無く熊は死んだ。俺が逃げてたのが笑えてくるほど一瞬で奴は死んだ。


「ああ、いてー……ヒュー助けてー」

「まったく、この阿呆が」

「そう言わないでくれよ……」

「お前はいつもそうだ。なぜ3人で逃げなかった。逃げれた可能性はあったはずだ」

「だってさー……俺は責任なんて持ちたくないから。俺は自分が死ぬことの責任で手一杯だよ。人の死を左右するなんて、俺は嫌だなー」

「お前だけの責任ではないと言うのにか」

「そうだなー……感覚として3分の1でも俺に責任が来ると嫌だ」

「なんだそれ」

「3人で逃げるんだから、責任も3分割。いや、俺が一番年上だから俺に一番責任があったかな」

「そういうもんじゃないだろ責任て言うのは。3人いれば責任は3だ。5人いれば5だ。1人1人が1を背負えばいいだろ」

「……まったくもって意味が分からなくなってきた。やめやめ。早く帰って寝たい」

「その前に飯だ」

「ああ、そうだな腹減った」

「だから、早く帰って作れ」

「嘘だろおい……今の俺に作れってか? お前等鬼か? 何がしたいんだよ? 今日の功労者は俺だろ? なんで俺が作るんだよ」

「姉さんが。お前の料理が食べたいって言ったんだよ」

「……ああ。分かったよ作ればいいんだろ」


 ヒューが俺に肩を貸し、引きずるように孤児院まで戻るまで他愛のない話は続いた。俺の弱々しい声とヒューの疲れたような声だけが森の中に響き、今さっきまで死にそうだったなんて信じられなかった。

 それでも、今は生きているんだと、俺は実感した。




「俺兄ちゃんみたいになる!」

「お、ハンス言うじゃないか!」

「やめろハンス」

「やめるんだハンス」

「あんまりおすすめしないな」


 帰った俺を魔法で回復させた先生は俺をキッチンに連れて行き料理をさせた。姉さんリクエストとなると断れない。なにより美人だ。

 そして、ようやく夕飯の用意ができ皆で食べている最中ハンスが言った言葉に対して、上からヒュー、姉さん、先生だ。こいつらは俺に恨みでもあるのだろうか?


「ああ、うめー……俺が作った飯だけど……」

「自画自賛か。いい趣味ではないな」

「違えよ! 暗に、誰かが作った飯が食いたかったって言ってんだよ! 泣くぞおい」

「しょうがないでしょ、レノが作ったご飯が食べたかったの」

「……姉さんには勝てないわ。色んな意味で。世界って不公平だ」

「ま、惚れた弱みってやつだね」

「ちょ、先生何言ってんだよ!」

「あれ? レノアーノ君の初恋はメリルだろう?」

「なんでここで言うの? しかも他人の事暴露しないでくださいよ!」

「いや、ヒューもメリルも知っているよ。子どもたちはどうか知らないが」


 俺はゆっくりガキどもの方を向く。面白そうな目でこっちを見てるよ。今日は寝れないかもしれない。傷が痛むのに寝れないとか。

 でも、家族だから。その暖かさを享受しておこう。本当の家族のいない俺たちだからこそ、知っていることだってあるんだと、再確認しよう。


 何はともあれ、負傷者1名で済んでよかった。その1名が俺なのが気に食わないが、弟妹が死ぬよりは断然いいことなのだろう。

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