005
「もう、嫌だ!」
「どうしたのレノ?」
俺は息を切らしながら教室にある自分の席についた途端、その机をバンバン叩いた。でも、叩いてる手が痛くなったのでやめた。やるな机め。
「放っておけ。正気を保てなくなっただけだ」
「ああ、本当だ! 正気じゃない!」
「ほらな」
「ちょっと違うと思うけど……」
あの、鬼教官め! いや、こう言うと二人可能性があるな! いや、どっちとも嫌だから、あの鬼教官共め! 授業が終わるなり、なぜか教室に乱入してくるジーナ教官はすでにうちのクラスの日常風景となってしまった。そして、窓から逃走する俺もだ。最悪だ。
しかも、次の授業に遅れるとウォレス教官にしばかれる。何故に剣を振るう前から俺はふらふらにならないといけない……。しかも、級友共はそんな俺に嬉々として切りかかってくる。あれ、なんだか涙が出てきた……。
「なんで俺だけこんな目に会わなければならないんだぁ……」
「お前ら席につけ」
俺が項垂れているとウォレス教官が教室に入ってきた。鬼がまた1人やってきた……。
「そうだ、レノアーノ。ジーナ教官が放課後もちゃんと来るようにと言っていたぞ。来なければ」
「こ、来なければ?」
そしてウォレス教官は親指で首を横になぞった。
「だ、そうだ」
「くぅ……ウォレス教官という弱点を的確に突く戦法。敵ながら見事……死にさらせ!」
こうして、俺の放課後の予定は埋まった。どうせ、誰かと一緒に何かするとか予定なんて入ってないですよ!
はっ! ジーナ教官は見た目は美人だ。なら、これは2人っきりの稽古という名のデート! そう、そう思えば少しはやる気が出る! ただ、相手が真剣で切りかかってくることを度外視すれば!
「ほらほらほら! どうした! 動きが鈍ってきたぞ!」
幾度と無く剣が交差する。最初こそなんとか拮抗させていた斬り合いも、すでに初めて2時間経った今では完全に押されている。いや、そもそも2時間斬り合ってなんでこの人こんな元気なんだ? いや、むしろ始めた時より元気なんですけど。
「2時間も……動き続けてれば、誰だって、ハァ……疲れるっつーの!」
もう、終わりにしよう。当然、俺の負けで! ということで、突っ込む!
「私はまだまだ行けるぞ!」
行けるな! もう、俺は疲労困憊だよ! もう、汗とかすごくて目に入って痛いし、口に入ってしょっぱいし! どうしてくれんだ、この戦闘狂は!
剣と剣がぶつかり、甲高い音が鳴り響く。お互いがいつ離れるべきかを考える故に、ぶつかった剣は離れなかった。しかし、その拮抗は崩された。
「う、お」
いきなりジーナ教官が自分の剣から力を抜いた。始終力を入れっぱなしだった俺はその勢いを殺せず前に進んでしまう。ああ、これでやっと終わる……。
「ふん!」
「うごぉあ!」
俺の腹に剣の柄が食い込む。胃には何も入ってないのに吐きそうになった。この人鬼畜だ……。
「今日はここまでにしよう。それでは、また明日レノアーノ」
「ま……た、明日……だと」
きっと俺のつぶやきを聞いた人はだれもいない。あ、やばい。意識が落ちる。止めとなったのは、明日もこんな感じに倒れている、己のビジョンだった。
「ぐはっ……」
「……きて……さい」
きてさい? なんだそりゃ? というか、誰だ俺に話しかけてんの……。声からして女だな。
「おきて……ださい」
おきて、ださい? そもそも、俺は今どこにいるんだ? 確か、俺は部屋に戻って寝た……違いますね。はい。ジーナ教官にのされたんですよ。そして、そのまま気絶。
つまり、この女が言いたいことは! 起きて、ダサい。
「てめぇ、なんて言った!」
「きゃっ」
ガバッ、と勢い良く起き上がった俺に驚いたのか、その女は女の子らしい小さな悲鳴をあげた。女だから問題ないな。
「ちょっと、なんですか! 人がせっかく起こしてあげたのに!」
「……?」
起こしてくれた?
ふむ、学校で気絶して倒れている人を見つけたとしよう。普通だったら何をするか……。そうだな、まずは蹴るはずだ。
……いやいやいや! 違う! 何を考えているんだ! 最近は常識のない教官共に生活を侵略されてたから、俺まで常識がおかしくなってきてしまった。これはやばい。
では、普通だったら……声をかけて起こすよな。で、起こすとしたら、起きろ、とか起きて下さいだな。起きて下さい? おきて、ださい。おきて、ください。起きて下さい!
「あなたは神か」
「……もしかしてまだ寝ぼけているんですか?」
彼女はまるで不審者を見るような目でこちらを見てきた。もうすでに、空は暗くなっていた。そんな中でも、その女の赤い髪は月明かりに照らされ、よく見えた。紅い……髪。
「……」
「本当に大丈夫ですか?」
呆けてしまった。だって、そうだろう? 俺の見惚れた剣技を放った人物が今目の前にいるのだ。今でも、あの剣閃をはっきりと思い出せる。それくらい印象的だったのだ。
「レ…イン」
「私の事を知っているんですか?」
その時初めて、自分が無意識に名前を口にしてしまったことに気付いた。
「え、あ、ああ」
「そうですか。まあ、そこまで珍しいことでもないですけど、どこで?」
「修練場で」
「修練場? ああ、訓練の時ですか? それにしては、私はあなたのことを見たことがありませんが」
「俺は平民で1年生だからな」
「??」
余計分からなかったようだ。それもそうだろう。俺が修練場を覗いたという事実を知らなければ分からないことだ。
「もしかして、レノアーノ・ディアッカですか?」
「そうだけど。なんで知ってんの? もしかして、俺って有名人? 照れるなー」
「ええ、有名ですね。悪い意味で、ですけど」
平民で修練場を覗いた、で俺が出てくるほど有名なのか俺。すげーな。
「なんでこんなところで寝てたんですか?」
「寝てたんじゃない……気絶してたんだ」
柄で殴られた場所を擦りながら俺は起き上がった。
近くに立ってみて、レイン・フォン・グズリエルが女性としては少し背が高いほうだと初めて分かった。彼女には、可愛いより、凛としているという言葉が似合うだろう。
「教官に、稽古を無理やり付けられて、終いには気絶させられて放置だ。はあ……死にたい」
「ああ、最近よく聞くジーナ教官との稽古のことですね。でも、彼女の剣の腕はなかなかのものです。私は羨ましいですよ」
「なら、譲ってあげるよ……2日に一回は倒れるように寝る俺の生活をしてみろ」
「嫌です」
「だよな」
そして、俺はやっとまともな思考ができるようになった。稽古から気絶、そして憧れのレインに会えた、という異常事態に俺の脳みそがついていっていなかった。
「今何時?」
「もう9時ですよ」
「飯と風呂抜きかよ……」
「なんでです?」
きっと貴族の寮は違うんだろうな。これが格差社会ってやつか。
「こっちの寮は10人部屋だし飯は7時まで、風呂は7時から8時までって決まってるんだよ。それ以降はなんて言っても、作ってくれないし、沸かしてもくれない。はぁ……今日も水浴びしかできないのか」
その時の対処法はある。まず、食料はオルタが取っておいてくれている日が多い。あいつは良い嫁さんになると思う。そして、風呂は……魔法で水を作って頭からかぶる。今はまだ暖かい季節だからいいものの、冬にやったら死ねる。火属性が苦手な俺はお湯が作れないのだ。
「そうなんですか」
「そうなんですよ。はぁ……まあ、ありがとよ。助かったわ。あんたが起こしてくれなかったら地面で朝を迎えるところだった」
「そんなところで寝られて風邪でも引かれたら後味が悪いと思っただけです」
その優しさを少しだけでもいいから、教官たちに分けてやってほしい。あの2人なら、俺が風邪を引いても、いつも万全の状態で戦えると思うなよ、とか言って殴ってきたり切ってきたりしそうだ。簡単に想像できる。
「あと、その口調直したほうがいいですよ? 私はあまり気にしませんが、他の貴族を相手にそんな話し方をしたら何をされるか分かりませんよ」
「はっ、襲ってくるとでも? 返り討ちにしてやんよ。こちとら、毎日襲われてるんでね。まあ、忠告ありがとよ。じゃあな」
「はい、それでは」
まったく、なんの感動もなく別々の方向に歩き出す。まあ、現実はこんなものだ。憧れていた人物との接触が、ドラマチックでエキゾチックなラブストーリーなんかに発展すんのは物語の中だけだ。
それでも俺は彼女に会えたことが、少し嬉しかった。剣を握る腕に少し力が入った。明日はもう少しだけジーナ教官に付き合ってやろう。この出会いは、不本意ながら彼女が原因だからな。
でも、レインはこんな時間に何をしていたんだ? 俺みたいに気絶してたわけではないだろう。というか、全生徒の中でそんなことが起きるのは俺くらいのものだ。まったく嬉しくないオンリーワンだ。訓練でもしていたのだろうか? 夜は修練所が閉まっているからな。まあ、いくら考えても分かることでもない。
そう割りきって、俺は自分の部屋に戻るのだった。
オルタはちゃんと食事を取っておいてくれていた。こいつには借りしかできていない気がする。いつか、大きくして返せなんて言われないだろうかと最近はビクビクしている。水浴びは寮の裏でした。暖かいからと言って半裸で水浸しは寒かった。
いつかジーナ教官も水浸しにしてやろう、と思ったが、彼女を水浸しにしたことは何度もあるな。毎回火の魔法で乾かしてやがる! 俺も、覚えたい! 超覚えたい、乾かす魔法! これがあれば、遅れた風呂だって怖くない! そもそも、遅れなければいいんだよな……。全部、ジーナ教官が悪いんだ……。ちくせう。
感想、指摘等随時受け付け中です。