004
「ぜぇっ……はぁ……」
斧を杖がわりしなければ立っていられないほどの疲労感。
今日は太陽の日で学校も休日のはずだったんだが、なんで俺はこんなに疲れてるんだ。ああ、視界が朦朧となってきた。もう、このまま寝てしまおうか。
と、目を閉じかけた瞬間俺の頭に浮かんだのはウォレス教官の顔だった。嫌過ぎる。く……この作業を終わらせなければ……今日中に終わらせなかれば、俺に明日がない!
「うおぉぉおお! ぐへ……」
勢い良く立ち上がったらまた倒れてしまった。
そもそもの始まり、そしてすべての元凶はウォレス教官だ。
太陽の日は学校も休日となる。この日の4時までは平民の1年生も外出を許可されている。しかし、俺は外出することもなく部屋でごろごろしていた。
普段は10人部屋ということもあり、部屋にいても気の休まる時がない。今は全員外出していて部屋には俺一人。なんていい日なんだ太陽の日。窓の外は晴天で空にはちらほらと雲が浮かんでいる。部屋の中は明るく、暑くもなく寒くもない空気で満ちている。ああ、なんて昼寝日和なんだ!
「誰かいるか?」
ウォレス教官の声を聞いた瞬間、俺の完璧のはずの休日は崩れた。しかし、諦めるわけにもいかない。俺は必死にブランケットのなかに包まり自分を隠した。
「ふむ、飯でも奢ってやろうと思ったのだがなー……」
「はい! いますいます! 俺います!」
俺はその瞬間後悔した。あの教官が生徒に飯など奢るわけがないだろう。過去に戻れるなら自分を殴ってやりたい。そして、俺は寮に残っている唯一の生徒として捕まり、教官の手伝いをするはめになった。いや、そもそも教官は最初から俺を狙っていたのかもしれない。教官の愛が重い……。
そして、頼まれたのが薪割りだ。この学校では結構な数の生徒が在籍している。ざっと800から1000人はいるだろう。全員のための料理を作るだけでもかなりの量の薪が必要になる。貴族の子息もいたりするので、そいつらが個人で暖炉とかを使うからもっとかかる。というわけで、俺は薪割りという雑用を任された。
これも訓練ですね! 俺には分かります!
「ふぅ……」
回想している間に幾分か体力が回復したので立ち上がる。
薪の置いてある台の正面に立つ。足の広さは肩幅より少し広いくらい。重力に逆らわずにまっすぐ立つ。目を閉じて深呼吸をする。物を切る、という時に最近思い浮かべるのはレイン・フォン・グズリエルの剣閃だ。
あの剣閃のように、鋭く素早く、それでいて華麗に、この薪を切ってやろう!
斧をゆっくり振り上げる。丁度よさそうなところで一度止め、眼前の目標を見据える。高さ40センチほどの木の塊だ。どのように切ればいいか頭の中で想像すること数瞬。俺は斧を振り下ろした。
「ふっ。つまらぬ物を切ってしまった……」
木の塊をよく見ずに後ろに振り返りながら言う。決まった!
「全然切れていないがな」
「へ?」
突然声を掛けられたのでびっくりしてしまった。後ろに振り返ってよく見てみると、木の端っこが少し切り落とされているだけだった。完全にはずした。やばい、死ぬほど恥ずかしい! 穴があったら入りたい! そしてそこで寝たい!
「君は本当に面白いな」
声をかけてきた人物を見ると、一度素振りをしている時に出会った女教官だった。今回も、口元を隠し微かに笑っていた。
「休日に珍しく誰かが何かを振っていると思ったら。君で、おまけに薪割りだったとはね。もしかして君生徒じゃなくて下働きとかだったのか?」
「ち、違いますよ! これはウォレス教官からの命令で仕方なく……いえ、喜んでやらせ頂いてます!」
「ボルドのクラスの生徒だったのか。ということは、1年生の平民じゃないか。ほお、それであの魔法とは……てっきり2年生あたりかと思っていたよ」
え、俺ってもしかして今褒められた? もしかして、この人すごくいい人なんじゃ? これは媚を売っておいたほうがいいな!
「えーと……」
「ジーナだ。ジーナ・メルトランス。今は1年生の貴族のクラスを担当している」
「ジーナ教官も、教師の制服ではなくドレスを着ていれば貴婦人に見えますよ」
「お世辞はよしてくれよ。礼儀もなにも知らない小娘だよ」
いや、しかし実際どうだろう。貴族のクラスを担当するだけあって、身嗜みは整っている。ウォレス教官なんて時々アルコール臭をさせながら授業をするというのに、ジーナ教官は制服をぴっしりと着ている。
髪も平民に多い赤紫色だが、紺色の制服と一緒に見ると良く映える。紺色のドレスなど着ていたらパーティーにいても違和感がないのではないだろうか? 行ったことないから知らないけど。
「それにしても、前回会った時も力を抜くように言ったはずだったんだがね。振り下ろす瞬間に力んでいるせいで狙いが少しずれたな。力を入れるなら振り下ろす前から入れておけ」
あれ、目から汗が……俺にアドバイスまでくれるなんて……なんていい人なんだ!
「ふむ、にしても一人でやるには少し多い量だな。私も手伝ってやろう。もちろんその後、私の頼みを聞いてもらうがな」
目から涙の滝が出来た。この世に捨てる教官がいれば、拾ってくれる教官もいるのだとおもった瞬間だ。
「ふぅ……やっと終わった……」
俺は地面に力なく座り込む。あれから1時間ほどしてやっと薪割りが終わった。と言っても、量としては3:7くらいでジーナ教官のほうが多い。あの人薪割るの早すぎ。実は薪割り名人とか、薪割り5段とか持っているんじゃないだろうか? いや、あるかは知らないけど。
「さて、では稽古をしよう」
「……へ?」
今ジーナ教官はなんと言った? 稽古? なんの話だ? もしかして、景気もいいし奢ってやるから飯屋に行こう、を略してけいこ? 強引すぎやしないか?
「私の頼みを一つ聞いてくれると言ったろ?」
「神は死んだ!」
「何を言っているんだ? まあ、いい! 行くぞ!」
「いぃぃっ!」
いきなりかよ! と言おうとしたが、横薙ぎに振るわれた剣を避けるため急いでしゃがんだ。と、思ったら土下座をしていた。くそ、身に染みた動きだったからつい……。
「なんだ? 君はそういう趣味の人だったのか?」
「違います! 踏まないで下さい! 俺は普通です! これは、ついやってしまった行動です!」
「つい、で土下座をしてしまう君は普通じゃないな。あ、武器を渡すのを忘れていたな。すまない」
そうして、ジーナ教官が渡してきたのは一本の剣だ。俺は恐る恐るそれを受け取った。
「大丈夫、刃引きしてあるからこの前みたいに切れたりはしない」
それを聞いて俺は安心して受け取った。
もらった剣をじっくり見てみる。見てみたが、別段武器に詳しいわけでもないのでまったく普通の刃引きされた剣にしか見えなかった。違和感があるとすれば少し重く感じたくらいだ。その事が表情に出ていたのだろう。
「ああ、その剣は少し特殊で中に重い金属を入れてある。稽古の時に私が使っているものだ」
ふむ、つまりこれは彼女が普段の稽古で使っている剣ということ。なら、彼女が今使っている剣はなんだ? この剣の予備を持っているのだろう、と思い彼女の得物を見てみると。
刃引きされていない、普通の剣だったよ!
「ちょっ! なんでそっちの剣が普通なんだよ!」
「普通とは心外だな。これは私がオーダーメイドで作らせた剣だぞ。重心の位置を調節し、長時間持っても疲れないように改良。軽めの金属を使い、女の私でも振るっていて疲れない。それでいて、切れ味も一級品だ。金は掛かったが、いい買い物だったよ」
「余計タチが悪いわ!」
俺は抗議しながら、その思いを行動で示すべく、稽古用の剣で襲いかかった。重い剣なので、切り上げは余りしないほうがいい。上段から縦に切るのがいいだろう。
「バカではないようだな!」
ジーナ教官はその一太刀を後ろに跳ぶことで避けた。切りかかってくると思いきや、何もしてこない。こちらの出方を見ているようだ。表情を伺うと、笑っていた。まるで、子供を相手にしている時のような表情だ。
「気に入らない」
小さく呟いてしまった。俺は子供扱いされるのが大嫌いだ。貧困街でさんざん、ガキがガキが、と言われてきたせいだろう。そんな奴らを全員返り討ちにしてきた。
そうやって余裕ぶっている人間をぶちのめすのが大好きだった。
「一ついいですか? この稽古、なんでもありですか?」
「ん? まあ、基本的になんでもありだな。殺すのはよしてくれよ?」
また、彼女は笑った。ああ、だめだ。
「そうですか。では」
俺は剣先を土に食い込ませた。俺のプライドが許さない。汚れまみれのプライドかもしれないが、それでも許せない。
「貧困街育ち、舐めんなよ!」
勢い良く俺は剣を振り上げた。それに伴い、剣先は土をジーナに向かって飛ばした。狙いも完璧。
「っ!」
土は彼女の顔面に一直線で飛んでいく。目潰しだ。彼女はそれを防ぐために一瞬動きを止めて、注意を飛んでくる土に向けた。
《属性は水、用途は噴出、敵の下方から突き上げろ。術式、固定》
「属性は風、用途は突風、前方をなぎ倒せ! 術式、固定!」
考えていることと、言っている事が違う。実際、何人もの人間が思いつく方法だ。少し練習すれば誰でも習得できる。しかし、こんなことをする15歳がいるだろうか? 普通の生活をしていれば騙し打ちなど考える必要はない。その常識のズレを付く作戦だ。
ジーナ教官も、俺に注目していれば魔力の属性がそもそも風でないと気付いたかもしれない。しかし、今は土に注意が行っている。
彼女の下から突如として水が噴き出る。
「わぷっ」
《属性は水、用途は遮断、水の檻を生成せよ。術式、連結》
通常の詠唱であれば、一度放った魔法はそこで終わりだ。しかし、連続詠唱を行うことでその魔法を違う魔法に変えることも出来る。これもまた、ほとんどの人間が習得可能だ。
一度放った火を爆発させたり、放った風を引き戻したりと、様々な応用が効く。俺はまだまだ使いこなせていないので、連続詠唱するのに時間がかかってしまう。だからこその騙し打ち。
卑怯で結構! 立っていたものが勝ちだ!
ジーナ教官の頭が水球にすっぽりはまってしまう。ふっ、大いに戸惑っていることだろう。しかし、俺は容赦なんてしない! 気に入らないものはぶちのめせ、これ俺の座右の銘。
「わっしょい!」
少し跳躍しながら、剣を振り下ろす。刃引きされてるし、当たっても骨折くらいだろう。その程度ならこの学校で治せる。というか、骨折なんてこの学校じゃ日常茶飯事だ。
ガキン!
「え?」
明らかに、人体と剣の接触した音じゃない音がしたぞ。
見てみると、俺の剣をジーナ教官が的確に捉えていた。水球に頭をはめながらも、彼女の表情は変わらず余裕を含んでいた。
そして、剣を持っていない方の手で無慈悲に繰り出されるボディーブローを、俺は眺めることしかできなかった。
「ぐぼぉ!」
数メートル吹き飛ばされ、俺は大の字に地面に倒れた。別段溜めを作っていたわけでもないのになんていう威力なんだよ……。ああ、なんか空が白く見えてきたな-……。曇りだからか。 ああ、でもなんだか段々瞼も重くなってきたなー。痛すぎるから身体が拒否して気絶しようとしてるんだろうな。ああ、よかった。
「起きろ」
と、思ってたら蹴られましたよ。もうちょっと気持ちよく眠れるところだったのに!
「うぅ……」
「そこまで強く殴っていないだろう? ほら立て」
「ふ」
「ふ?」
「ふ……ざ、けるなぁ!」
「おぉ?」
途切れそうだった意識を無理やり繋げ、全身に力を入れ起き上がる。
「強く殴ってない? 俺何メートル跳んだか見た? いや、もうむしろ飛んだよ!」
「これくらい普通だろう?」
「普通じゃねえ! なんだあんたの常識は! うちの教官と同レベルじゃないか! くそ! 期待して損した!」
「ほうら! 次行くぞ次!」
「ひぃぃ! この人鬼だ! うちの教官とは別の方向に鬼だ!」
「はははは! 口を動かすくらいなら腕を動かせ!」
「いやあああ!」
それからは、あまり思い出したくない。剣を振るうジーナ教官。逃げ惑う俺。外出から帰ってくる生徒たちなど気にする余裕もなく、俺は一日逃げまわった。
これも……試練なのですね……。
以後、週末に収まらず、俺が暇そうにしているとジーナ教官が突如現れ稽古をつけはじめた。もちろん俺は逃走した。
しかし、教官からは逃げられない。これ、世界の掟。テストニデルヨ。
俺の敵からの逃走率は大幅に上がったはず! あんまり嬉しくねえ!
感想、指摘等随時受け付け中です。