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現代謎妖怪絵巻

河童のおいしい水

作者: 岸田太陽

 会社帰りに立ち寄ったコンビニで、弁当とミネラルウォーターを買った。


 料理を作る気分ではなかった。


「あんの河童親父め……」


 今日の午後になって、明日が締め切りという埋もれてた仕事を押し付けてくれたてっぺんハゲの課長に、恨みを込めて呟く。

 九時まで残業しても片付かず、結局持ち帰りである。


 こんな時、愚痴を聞いてくれるような彼氏でもいればいいのだけど、生憎と私には縁のない存在だ。

 私がモテないのはどう考えても会社が悪い。

 課長(カッパ)部長(タヌキ)と経理のお局(キツネ)が私の胃に攻撃をしかけるから、こんなに目つきの悪い女が出来上がるのだ。

 ちくしょう。


 イライラしたので高校時代からの友人に電話してみた。

 『はいはい可哀想でちゅねー。ちょっと今立て込んでるから後にしてくんない?』と言われて切られた。

 後ろで『誰から?』とか言ってる若い男の声が聞こえた。

 これから一発かよこのビッチが。


 一人暮らしの安アパート。

 可愛さの欠片もないお値段以上の調度品。

 地デジチューナー付きブラウン管テレビ。

 唯一の女の子らしさは部屋の隅に転がる擦り切れたカピバラさんのぬいぐるみ。

 リア充滅びろ。


 酒が呑みたい。

 呑んだら仕事出来ないから飲まないけど。

 コンビニの袋からミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。


 中に課長がいた。


「……え?」


 よっぽど疲れてるのかしら。

 こんな幻覚を見るなんて。

 そう思ってもう一度ペットボトルを見る。


 課長じゃなかった。

 河童だった。


「………………サントリーのお茶目ないたずらフィギュア?」


 普通こういうのって、蓋のあたりに袋に入れて引っ付けておくものじゃなかろうか。

 というか、何のキャラクター?

 特にキャンペーン詳細とか書いてないし……。


 私は、ペットボトルの中の河童がこちらに向かって手を振ってきているのを見ないフリをしながら、現実逃避に努めた。



    §



「いやー、助こうたわぁ。一生出られへんかと思ーとった」


 お椀に注がれたミネラルウォーターの中で、目玉おやじスタイルでくつろぎながら、河童はそう言った。


 河童の体長は十センチほど。

 ペットボトルの蓋を通りそうに無かったのだが、注いだらぬるりと伸びて出てきた。

 正直気持ち悪かった。


「あんた、何なの?」


 買ってきた弁当を食べながら、私は尋ねる。


「見て分からへんか? 河童や、河童」

「いや、河童は知ってるけど……」


 全体的にカエルを人型に近づけたような体型で、皮膚も両生類のようにぬらぬらしている。

 頭の上には白っぽい皿が乗っていて、その周りに葉っぱのような鱗のような三角形の突起物が生えている。

 どう見ても昔話に出てくる河童だけど、そもそもこんな不思議生物が実在するなんて思ってなかった。

 ついでに言うと、こんなに小さいとも思ってなかった。


「ていうか、コンビニにいた時はいなかったよねあんた」


 いくらなんでも、こんな目立つ物が入っていて気づかずに買ってきたなんてことはない。


「ウチ、透明になれんねん。知らへんのか?」


 そう言うと河童はみるみるうちに透けていった。

 水から出ている上半身はゼリーのように視認できるけど、下半身は完全に水と同化してる。


「知らないよ! 何で私が河童の生態について知ってると思った!?」

「はァ……、これやから人間は」


 河童は元の色に戻ると、バカにするように鼻を鳴らした。

 ムカつく。


「そもそも何でペットボトルに入ってたの?」

「それがなァ……、ウチが川で泳いどったら、いきなりズゴゴゴーちゅうて吸い込まれてん。泳ぎには自信あってんけど、圧倒的な吸引力やったわ。為す術もあらへんかった。河童の川流れっちゅうんは、ああいうのを言うんやろな」


 河童はにっと笑う。

 そのどや顔やめろ。


「で、何やよー分からん内に気ぃ失って、気づいたらその透明な容れもんに閉じ込められとったんや。ちょっとでも隙間あれば抜け出せたんやけどな、なんやあれ、水一滴漏れ出す隙間もあらへん。けったいな容れもん作りよって」

「ふーん、つまりあんた、サントリーに水と一緒に汲まれたんだ」

「さんとりぃ? そいつがウチを閉じ込めたんか?」


 なんかその言い方だとサントリーが悪の組織みたいだ。


「まあ、そういうことになるのかな?」

「まったく、人間はろくなことせぇへん。由緒正しき六甲山の河童をなんやと思ってんねん」

「…………。これ、『サントリー天然水 南アルプス』なんだけど」


 ちなみに『六甲のおいしい水』はアサヒ飲料の登録商標である。


「…………なんやて?」

「採水地は山梨県だって」

「…………」

「…………」

「…………ほな、何でウチ関西弁喋っとるんや……?」

「知るかよ」


 どうやら河童は深刻なアイデンティティクライシスに陥ったようだった。



    §



 河童の出生の謎が深まったところで、私は書類とノートパソコンを広げて、持ち帰った仕事にとりかかった。

 今の私にとっては河童なんぞよりもこっちが重要なのだ。


 クライアントに渡す統計資料のまとめなのだが、紙に書かれた細かいデータをひたすら入力していかなければいけない。

 泣きたくなる。


「なーなー、キュウリあらへんか、キュウリ?」


 お前さっきまで落ち込んでたんじゃなかったのか、立ち直り早いな。


「無いわよそんなもの」

「なんやて? 河童と言えばキュウリやろ、()うといてーな」

「うっさい! 何で存在も知らなかったあんたのためにキュウリ用意しとかなきゃいけないの!!」


 と、そこまで叫んだところで、ふと思い出した。


「……あったわ、キュウリ」

「ほんまか?」


 私は冷蔵庫からプラスチックの容器を出して、中身を幾つか皿に移した。


「ほら」

「…………なんやこの、けったいな臭いの赤いキュウリは」

「ただのキムチよ。うちにはそれ以外のキュウリはないから、それ食べたら黙ってて」


 怪しげな食品に対する警戒はキュウリの誘惑に敗けたのだろう。

 河童は恐る恐るキムチに手を出した。


「…………辛ああああッ!!」


 そして叫んだ。


「辛、辛ッ、ヒ~~~!!」


 河童は慌ててお椀に戻って水の中に飛び込み、しばらくばちゃばちゃと暴れてから、


「こ、殺す気か!?」


 と抗議した。


「知らないわよ、あんたがキュウリ欲しいって言ったから出してあげたんじゃない」

「まぁ、ウチは妖怪やから、死なへんのやけどな」

「聞いてないし」

「不死身なんやで? 人間とはちゃうんや。すごいと思わへんか?」

「仕事させろぉ!! 口にキムチ詰め込むぞ!!」


 私は叫んだ。

 この河童うざい。


 河童は、ひっ、と言ってお椀から飛び出してどこかに逃げていった。

 あんまり部屋をうろちょろされたくもないけど、非力みたいだし、大したことも出来ないだろう、放っておく。


 とにかく今は、目の前の仕事を片付けるのが先だ。



    §



 日付が変わって三十分ほど。

 ようやく全てのデータ整理が終わった。

 せめてシャワーを浴びてから寝たい。

 立ち上がって一歩足を踏み出すと、足の裏に妙に固い感触を感じた。


「ひっ!」


 慌てて足を持ち上げて今踏んだものを見る。


 河童だった。


 干からびていた。


「…………死んでる?」


 そう言えばずっと静かだったなあ、と思い出す。

 肌の緑色が若干赤茶けて、しわしわになった河童はぴくりとも動かない。


 でもさっき妖怪だから不死身だって言ってたよね。


「…………」


 キモい。


 本当に死んでたらどうしようという思いもあるが、とりあえず触るのをためらう程度には気持ち悪い。

 たまにテレビとかで特集されることもある河童のミイラ、あれはサルをいろいろ継ぎ接ぎしたものらしいけど、あれにそっくりだった。


 いや、あっちが本物そっくりだって言ったほうが正しいのか。


 とりあえず、さっきの弁当の割り箸を洗って持ってきた。

 これならどうせ捨てるから問題ない。


 河童をつまむ。

 完全に乾いている訳ではないので、妙な弾力がある。


 水の張られたお椀の中に放り込んでみた。


 たちまち河童の肌が艶を取り戻す。


「ぷっはぁ! 死ぬかと思たわ!!」河童はそう叫んだ。「まあ不死身なんやけどな!!」

「うっさい」


 どうやら干からびていただけらしい。


「何があったのよ?」

「いやー、大発見や。ウチ、頭の皿が乾くと干からびるらしい」

「知ってるよ!! 聞いたことがあるよ!! なんで人間が知ってるのに当人が知らないのよ!」

「う、うううるさいわ! ウチかて何でもかんでも知っとるっちゅう訳やあらへんねん!!」

「むしろあんた何も知らないよね」

「ぬぐっ、こ、細かいこと気にするとモテへんで!」


 ……あんだと?


 誰にでも逆鱗の一つや二つはある。

 私の場合、モテないという言葉は、自分で理解していても他人には言われたくない言葉ナンバーワンだ。


「ほう……、面白いこと言うじゃない」


 私はゆらりと洗面所に行って、ドライヤーを取って帰ってきた。


「誰が……モテないって?」


 河童は干からびた。



    §



 とりあえず乾燥河童を放置して、私はシャワーを浴びてきた。私が裸になってるときにうろちょろされたくなかったから、丁度良かったし。


「いやー姉さん、べっぴんさんやなあ」


 再び水に浸けて復活させた河童は、目に見えて卑屈になっていた。


「あからさまなお世辞とか虚しくなるからやめて」


 そうだよ、どうせ私はモテないよ。

 彼氏いない歴=年齢だよ。

 分かっとるわ。


「誰でも人生に二回はモテ期が来るゆうやろ? これからやこれから」

「河童に慰められたくないよ! というか何であんたそんな俗説知ってるの」


 私のモテ期なんてどうせ知らないうちに消費されたか、寿命より先に設定されたバグがあるに違いない。


 というか何で本当、私こんなところで一人で河童にまで慰められてるんだろう。

 そんなことを考えたら、目元からほろりと涙がこぼれた。


「ぬおわ!? な、なんや、急に泣き出しよって!」


 色々馬鹿らしいけど、涙腺が緩んだら止まらなくなった。


「ほっといてよもう! 私だって好きで独りでいるんじゃないのよ! 相手を探す時間もないの! 会社の上司は役立たずだし、部下も役立たずだし、くだらない接待をしなきゃいけないし!」

「お、おちつけ、な? 色々、大変なんやろうけど」

「大変よ! やってらんないわよ! こんなときに隣にいるのがわけの分からない河童だってのが一番最悪!!」

「あんまりや!」


 自分でも気づいていないうちに、大分ストレスが溜まっていたらしい。


 その夜、私は愚痴や泣き言を謎の河童にぶつけまくった。


    §


 朝起きたら、ダイニングのテーブルに突っ伏していた。


 河童はいなかった。


「…………あ、あれ?」


 まさか。

 まさか夢オチだと……?


 視線を周囲に巡らせる。

 水の張られたお椀はそのままで、となりに半分空になったミネラルウォーターのペットボトルが置いてある。


 全部が全部夢だったわけではないみたいだけど……。


「そ、そうだ仕事!」


 慌ててノートパソコンを確認した。

 資料はちゃんと出来上がっていた。

 安心してため息をつく。


 もう出社時間が近づいていたので、準備してすぐに家を出た。


 ……幻覚でも見たのだろうか。


 少なくとも、他人に話したら、「貴女疲れてるのよ……」と言われて精神病院をお勧めされること必至ではあると思う。


 ストレスのせいであんなわけの分からない幻を生み出してしまったのかもしれない。


 でも、色々吐き出すことが出来たおかげか、気分は悪くない。


 まあ、あれが本物の河童であったにしろ、幻覚だったにしろ、二度と会うことはないだろう、多分。


 その日の仕事は上手く行った。


 持って帰って仕上げた資料も問題なかったし、いつも私に問題を持ち込んでくる上司も部下もおとなしかった。


 強いて言うなら、課長の顔を見る度にあの奇妙な河童を思い出してしまったくらいだ。


 そうして、私は珍しく定時に退社して、昨日と同じコンビニに寄った。

 今日は仕事もないし、一本くらい飲もうと思って、お酒コーナーの缶チューハイを物色する。


 その時、


「姉さん姉さん、助けてんか」


 と、隣の棚のあたりから小さな声が聞こえた。





 桃の天然水のペットボトルの中で、河童が私に手を振っていた。

お題「天然水」で書いた短編です。

河童の関西弁はエセです。関西の方もし気になりましたら添削してください。

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