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一輪の薔薇

作者: 李氷 仁

 ゆれる、ゆれる、僕を乗せて。景色は走っているかのように動き、一定の距離で止まる。


 ゆれる、ゆれる、僕を乗せて。行く先の無い僕を乗せて。


 僕は何処へいくんだろう?何処へ行きたいんだろう?


 ゆれる、ゆれる、僕を乗せて。僕の記憶が遡る。




 あれは、深々と雪が降る日のことだった。樹も、街も、大地も、真っ白に染まった冬の夜。僕は空を見上げていた。

 全てが眠り、静寂に包まれた世界。僕はそれにどこか物足りなさを感じていた。


 何かが足りない。そう、何かが。


 僕の心の片隅を埋める何かが足りないように、この世界にも何かが足りなかった。でも、それが何なのかは分からない。


 分からない、それが何なのか知りたい。


 僕はそれを探す為、空を見上げていた。

 空を見上げていても見えるのは、六花。美しくて儚い氷の花。僕はそっと手を伸ばす。僕の手のひらで、花は見る間に消えていく。消えていって後に残るは水だった。

 ただの水のはずなのに、大地を包む事無く僕という熱に捕らえられてしまった六花の残した涙のようで、僕は伸ばしていた手を引っ込めた。


 何かが足りない。そう、何かが。


 ふいに僕の視界に何かが移った。白ばかりだと思っていた世界に映える何かが。僕は家を飛び出し、それを探した。

 全てが真っ白に染まっていた世界にあったのは、一輪の薔薇だった。まるで今蕾を開いたかのように生き生きと咲き誇る美しき赤。鮮やかで燃えるような色の美しき薔薇。


 何故、こんな時期に一輪だけ咲いているのだろう?


 僕はそっと手を伸ばす。これならば、触れても消えはしないだろう。涙を流しはしないだろう。

 薔薇に触れた瞬間、突如として薔薇が強い光を放った。激しく燃えるような光、全てを飲み込んでしまうような輝き。僕は目を細めながらも、光に魅入った。

 何時間にも感じた光だったが、実際は一瞬に過ぎなかったようで動きを止めていた僕の体は冷えていなかった。僕は、目の前の薔薇を見つめる。だが、其処に在ったのは薔薇では無かった。

 其処にいたのは翡翠色のドレスを纏った女性だった。真紅の髪を無造作に広げ、目を閉じた美しい女性。僕はその女性に会ったことがあるような気がした。

「貴方だね、僕を生んだのは」

 女性は僕と同じ声で喋った。その声を聞いた瞬間、僕は気付いた。彼女は―。

「そうだよ。僕は君だ。君の心だ」

 僕の心を読んだかのように彼女は言った。そう、彼女は僕の心が具現化した姿。僕の無くした心の片隅。

「分かっているようだね。でも、君はまだ気付いていないんだね。無くした片隅が何であるかを」

 彼女の言うとおりだった。彼女が僕の心であるのは分かったけれど、何であるかは分からない。

「焦る事は無いよ。雪が降る間、僕は君の傍にいる。その間に僕に気付いて」

 僕を優しく抱きしめて笑う彼女。六花が止めば彼女は消えてしまうのか。

「僕のことは、薔薇って呼んで。名前が無いと呼びにくいでしょ」

 それから薔薇は僕と共に過ごした。薔薇の姿は、僕以外には見えていないようで誰も気付かない。薔薇はどこまでも僕の後を付いてまわり、時折僕に話しかける。

「おや? 今日の夕食はカレーだね。楽しみだな」

 食べれもしないくせに僕に報告する薔薇は、子供みたいでかわいらしかった。薔薇はころころと表情が変わる。些細なことで笑い、怒り、泣く。見ているだけで笑みが零れた。

「髪、邪魔だな。切っていい?」

 はさみ片手に笑って言うから思わず止めた。綺麗な真紅の髪を切るなんてもったいない、そう訴えると不思議そうに薔薇は言った。

「綺麗? トマトみたいじゃないかな?」

 本気でそういっているみたいだけど、それは違うと思う。でも、何に例えたらいいか思いつかなかったので、ともかく切らないように言うとしぶしぶはさみを下ろした。

 薔薇と共に過ごしていく内、僕は心の片隅が埋まっていくような感じがした。雪が降っている間と言わずにずっといてくれればいいのに。


 でも、突如その日常は崩れた。


「明日、雪が止むよ」

薔薇が悲しそうに言った。僕は耳を疑った。止むと言う事はつまり―。

「明日でお別れだ」

 僕の心を読むかのように薔薇が答えた。


 お別れだなんて嫌だ。ずっと共にいて欲しいのに。


「駄目だよ、僕。雪が降っている間って言っただろう」

 悲しそうに薔薇は言う。でも、嫌だ、嫌だ。

「僕!」

 僕は思わず駆け出した。後ろで薔薇が叫ぶけれど、僕は振り向く事無く走り出した。


 嫌だ、嫌だ。別れたくない。


 視界が歪む。けれど気にせず走っていたら、薔薇の怒鳴り声が聞こえた。

「逃げて!!」

 何を言っているんだ?僕は思わず足を止めた。でも、それがいけなかった。

 光が僕を照らし、鈍い音と共に体に衝撃が走った。何だ?痛い。

 僕はいつの間にか閉じていた目を開いた。誰かの悲鳴が聞こえる。全身に痛みが走り、体が動かない。


 あぁ、車に引かれたんだ。


 僕はそれだけ思うと、ゆっくりと目を閉じた。




 再び目を開けると、僕は電車に乗っていた。痛みも感じない、あれは夢だったのだろうか?僕以外誰もいない電車で僕は考えた。でも、夢じゃない気がする。

 辺りを見回すと、ふと電光掲示板が見えた。


 こちらは、○○地区方面、あの世行きです。


 ○○地区って、僕の家の地区だな。あの世行きか、そうか僕は死んだのか。


 電光掲示板に流れる文字を見て、冷静に僕は思った。何だか、死んだ実感も沸かなかった。

 死ぬ前に薔薇とお別れしとけばよかったな。あんなに意地張って逃げなきゃ良かった。

 後悔が駆け巡るけれど、もう遅い。僕は死んだのだから。


ゆれる、ゆれる、僕を乗せて。景色は走っているかのように動き、一定の距離で止まる。


ゆれる、ゆれる、僕を乗せて。行く先の無い僕を乗せて。


 でも、死んだら三途の川じゃなかったのか。何か時代によって便利になったのかな。

 暇なので、色々と考えていると、急ブレーキがかかり、いきなり電車が止まった。

 うわっ、何だ?事故でも起きたのか?でも、あの世行きの電車が普通事故起きるかよ。

 僕は心の中で突っ込んだ。しばらくすると、駅にも着いていないのに、ドアが開いた。

「迎えに来たよ、僕」

 其処にいたのは薔薇だった。髪もドレスもぐちゃぐちゃで泥だらけの薔薇がいた。

 驚く僕に薔薇は笑った。

「帰るんだ、現世へと。運転手とは話をつけたから」

 呆然とする僕を引っ張り薔薇は走った。走って、走って、気が付くと改札の前に立っていた。

「はい、切符。これで改札を抜ければ現世に帰れるよ」

 小さな切符には、あの世→現世、と書かれていた。どうやら薔薇の言っている事は本当らしい。

「ほらほら早く。そう長い間此処にいられないんだから」

 急かす薔薇、僕は切符を通そうとしてふと、気付いた。


 薔薇の切符は?


「ったく、気付いて欲しく無い所に気付くね。僕の分は無いよ。元々、僕の変わりに君が死んでしまったんだから」

 どういうことだ?僕は薔薇を見つめた。

「本来なら君とお別れして僕は此処に行くはずだったんだけど、君が嫌がって逃げたから、調和が崩れてしまったんだ。で、崩れた所に車が突っ込んで来て、僕の変わりに君が死んでしまったというわけ」

 訳が分からない。つまり、薔薇は死ぬ運命だったと言うことなのか?

「その通りだよ。僕は本来、咲く事が無く死ぬ運命だった薔薇。でも、君の心が僕の下に偶然落ちてきて、僕は咲く事が出来たんだ。君の心の優しさが僕を包んでくれたおかげでね」

 そうか、だから彼女は、薔薇だったのか。何故自分の心が薔薇の姿をしているのか疑問があった。でも、彼女は本来、薔薇だったからその姿をしていたんだ。

「でも、今日でお別れだ。楽しかったよ。君と過ごせて。ありがとう、僕を咲かせてくれて」

 薔薇が僕の背をそっと押して、改札を通らせる。後ろを振り向くけれど、彼女の姿はじょじょに見えなくなっていく。

 もう、嫌だなんて言ってられないのか。僕は、ずっと考えていたことを強く大きく思った。彼女に必ず届くように。


 君の髪は、炎のようにきらめく美しい薔薇だと。


 彼女が嬉しそうに微笑んだような気がした。

 気が付くと僕は病院の中にいた。周囲からは奇跡の生還と言われたが、僕は知っている。僕の命を救ってくれたのが、一輪の薔薇であるということを。

全てが眠り、静寂に包まれた世界。僕はそれを純粋に美しいと感じる。

 僕の心の片隅に埋まったのは一輪の薔薇。美しい彼女との優しい思い出。

 僕は薔薇を見るたびに思い出すだろう。彼女のことを。

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