日生隆雄は迷走する
屋上の柵に背中を預ける。
「はああああ」
自分がこんなに嫉妬深く独占欲の強い人間だなんて思いもしなかった。
西片と初めて会ったのは、1年生の時だった。
選択教科で書道をとっていた俺は特別教室棟までいったのは良いが初めての授業で書道教室の場所が判らず、誰かに聞こうにも視線を向ければみな視線をはずしてそそくさと離れていくそんな状況だった。
「君も、次は書道なのか?」
後ろからかかった声に振り向くと、書道の用具を持った、背の低い、眼鏡をかけた女の子がいた。ほわっとその子は笑って、俺の書道の道具を指差した。
「あ、ああ。」
「じゃあ、一緒に行こう。教室は2階らしい。」
そういってすたすたと階段をあがる女の子の後を俺は慌てて追いかけた。並ぶと、俺の肩までぐらいしか女の子の身長はなく、つむじが見える。
「ひなせ君‥でいいのかな?私は西片っていううんだ。ちなみに6組だ。1年間よろしくな。」
俺を見上げてそのこは自己紹介してくれた。俺は呟くようによろしくというだけだった。こんなふうに普通に声をかけられたのは初めてのことだった。皆いつも遠巻きに俺を見ているだけで、近づいてくる子は居なかったのだ。
「日生君はずっと書道を習っているのか?」
西片の問いに頷く。
「そうか、私も、幼稚園の頃から習っている。選択をどれにするか迷ったんだが一番得意な書道にしたんだ」
「‥そうか」
俺の拙い返事にもめげず、西片はいろいろと話してくれた。俺は、初めての他人との会話に心が浮き立った。
「ここだね」
教室に入ると、まだ若い男の教師が好きな席に座って書く準備をしていなさいといった。俺はそのまま西片の隣へ座った。
西片は道具を取り出し、準備を始める。俺も道具を出して、硯に墨汁を入れた。隣からシャッシャという音がしたので視線を向ける。西片が墨をすっていた。真剣なまなざしで硯を見つめる様子になにか近寄り難いものを感じ、ただ俺は黙ってその様子を見つめていた。といっても俺が誰かに話し掛けるなんてめったにないのだけど。俺の視線を感じたのか西片が手をとめてこちらに顔を向けた。
「珍しいかな?」
「…いや」
「墨をするのが好きなんだ。なんていうか落ち着くというか‥。違うな、感覚が広がるっていう方がしっくりくるな。日生君は墨はすったりしないのか?」
「稽古の時は」
西片がいいたいことは良く判る。墨をすっていると感覚が研ぎすまされてなんというか世界が静かに広がっていくような気がするのだ。
「最初はめんどくさいと思っていたんだが。いまは書く前の儀式みたいで気に入ってる」
西片の言葉に俺は黙って頷く。
チャイムがなって、授業が始まった。最初ということで、好きな字を書くことになった。
皆が書き始める中、西片はじっと半紙を見つめている。気になったが、俺もさっさと書き始めた。学校の授業だったからさして気合いも入らない。
何枚か書いてすぐに提出した。席に戻ると西片は相変わらず半紙を睨んでいる。声をかけようかどうか迷ったが、集中してるのを邪魔する気に慣れず、そのままそっと様子を伺っていた。暫くして西片が筆をとった。
そして一画一画真剣に筆を動かして書き上げたのは『生』という字だった。
俺はただただ、それを見つめることしかできなかった。西片が書いた文字はおそらく西片そのものだったのだと思う。生きることに貪欲で生み出すことを恐れず、生き生きとした字がそこにあった。
教室を回っていた教師が西片の机の前で立ち止まった。そしてその書をじっと見つめている。そして幸せそうなしかし小さな声で一言いった。きっと近くに居た、俺と西片にしか聞こえていなかっただろう。
「あなたを生徒に持てて私は幸せです」
西村は目をぱちくりさせて教師を見ている。
「けれど、あなたに教えられることがあるか少し不安です」
そういって苦笑を浮かべる教師に西村はほわっと笑って答えていた。
「先生から私が何を得たかは未来にならないと判りませんよ」
その答えに教師は目を見開き、次いで破顔した。
「そうですね」
その一言に込められた思いはどれほどのものだったか。俺はわけの判らぬ焦燥感にかられた。今思えばあれは西片を、あの教師にとられるのではないかいう焦りだったのだと思う。もちろんそれは杞憂で、西片とその教師の距離はごく当たり前の生徒と教師のそれと同じだった。それでも俺は授業の時は西片の隣に座り続けた。
それしか、彼女との接点がなかったから。
そして、2年になって彼女と同じクラスに成れた。どんなに嬉しかっただろう。週に2回たった2時間しか近くに居られなかったのが、毎日顔をあわせられる。クラス分けの表を見た時何度自分をつねりそうになったことか。
最初は名前の順だったので割と近くに座っていた。毎朝顔をあわせば西片がおはようと声をかけてくれた。クラスの他のやつは相変わらず遠巻きに俺を見ていたが。
西片は友達といつも一緒に居たが、名簿順で前の席に座っていた長柄という男がしきりに西片に絡んでいた。楽しそうに西片と話している、池波や山瀬、由岐、長柄がうらやましく、そしてどんなに嫉妬したか。
そして、月毎の席替えは残酷で西片とはいつも離れていた。自分から声をかければ良いのだが、なんと声をかければ良いか判らず、ごくたまに、西片が話し掛けてくれるだけだった。かろうじて書道の授業だけは西片の隣をキープした。
そして2月の席替えでようやく西片の席の後ろになれた。格段に西片と話す機会が増えた。そしてその友達とも少しだけだが話したりするようになった。そして長柄とも。ハッキリいって俺はこの男を抹殺したい。
西片にくっつき過ぎだ!今日も!
バレンタインの今日、西片が友チョコを持ってくるのは昼休みの話で知っていた。もちろん俺や長柄の分がないことなどはっきりしていたが。あいにく由岐が休みで、もしかしたらと、そこはかと無く期待していたのだ。
幸せそうにケーキを持つ、池波と山瀬を睨んでしまったのは、まあ俺の嫉妬の余りだといっておこう。
西片の好意をあっさりともらえるやつは誰だってうらやましすぎるのだ。その嫉妬ぶくみの視線に二人が怯え、西片がこっちをむいた。が何やら西片はクスクス笑い出した。俺が嫉妬したことに気付いたのだろうか?西片に視線を向けると、真面目な顔をして思い出し笑いをしたのだといって謝ってきた。そして、見当違いなことをいってきたから慌てて違うのだといいかけたが、長柄のやつ!西片に近付き過ぎだ!それに何故お前が勝手にその西片の好意の固まりを食べる!お前なんか由岐に恨まれて死んでしまえ!俺は居畳まれず思わず席を立ち、屋上へとやってきたのだった。
「はあ」
ため息しかでない。けれど、西片のそばに居られる時間を無駄にするのが嫌で俺は教室に戻った。




