愛が深すぎる令嬢は婚約者が見つからない
「……小麦の値段が高騰しているな。確かに今年は些か天候不順ではあったが、南方諸国との戦は小康状態で食料には十分な余剰がある筈だ。原因は掴めているのか?」
窓から差し込む柔らかな日差しを背に重厚なデスクで一目見て高貴な血筋と分かる令嬢が報告書を読み込んでいた。背中まで伸びた長い銀髪と深く蒼い目が特徴の怜悧な美貌の持ち主だ。
彼女の名はモルガナ・オニール。オニール公爵家の長女で、現在は親元を離れ公爵領最北の地で代官として実務経験を積んでいる。モルガナは将来的に婿をとった上で公爵家が持つ適当な爵位と領地を相続する予定で、これはその予行演習を兼ねていた。
モルガナの問いかけに傍に控えていた金髪碧眼の少年が淀みなく答えた。
「どうやら一部の問屋が意図的に荷を留めて値を吊り上げているようです」
モルガナの近侍であり若くして正騎士の位を授かったフィンは、そう言って荷留を行っている商人のリストを差し出した。
「ディラン、エポナ、グウィオン……いずれも南方諸国との戦で荒稼ぎしていた商人たちだな。戦を当て込んで荷を買い占めていたが休戦状態となってしまい、少しでも利益を確保しようと値を吊り上げているといったところか」
「いかがいたしますか? 彼らの行為は褒められたものではありませんが決して違法という訳ではありません」
フィンの問いかけにモルガナはギロリと彼を睨みつけて言った。
「試すようなことを聞くな。父上に連絡し公爵家の名で卸商人どもから小麦を適正価格で買い取り小売りに分配しろ。商人どもの失策は奴らの責めに帰すべきものであり、決して他者に押し付けて良いものではない」
モルガナの言葉にフィンは何も言わず無言で一礼した。
生意気な近侍の態度にモルガナは鼻を鳴らし、デスクの上にはうず高く積まれた未決済書類の中から硬い背表紙でファイリングされた冊子を取り出す。そしてその中身に目を通してモルガナは顔を顰めた。
「……おい、これは何だ?」
「見ての通り本家から送られてきた釣書です」
釣書──縁談の際に互いに取り交わす自己紹介書。貴族は当人たちの意思など関係なく家同士が婚姻を結ぶためこのような書面が用いられることはあまりないのだが、有力な伝手のない貴族はこうした釣書を送って結婚相手を探すこともある。
王家の血を引く公爵家の令嬢たるモルガナには本来縁のない話だが、彼女は18歳になった今でも婚約者が決まっていない。これは高位貴族の令嬢としては異例のことだった。
絶世と言っても差し支えない美貌を持ち、才知に溢れ、地位にも恵まれたモルガナに婚約者がいない理由は一つではない。高位貴族の令息はその大半が既に婚約者が決まってしまっていたこと。彼女の配偶者となれば相応の能力と覚悟が求められること。そして何より並の男ではモルガナに付いて行けず、一時的に婚約者が決まってもすぐに破談となってしまうことが挙げられた。
モルガナはすました顔の近侍を睨みつけて言った。
「私が聞きたいのは、何故こんなプライベートなものが決裁書類の中に紛れ込んでいるのかということなのだが?」
「お嬢様にとって一番の仕事は早く婚約者を見つけて御屋形様を安心させて差し上げることです。業務に含めても差し支えないかと」
「…………まぁいい」
モルガナは深々と嘆息し、パラパラと送られてきた釣書に目を通した。
「──ん。この方が良い」
そして然程悩んだ様子もなく釣書の冊子の一ページを開いてフィンに差し出す。フィンはそれを受け取り、そこに書かれた人物を見て目を丸くした。
「……本当にこの方でよろしいので?」
「父上が私の婚約者として相応しいと判断した方だからここに釣書があるのだろう。悪かろうはずがない」
モルガナが本気でそう言っていることを理解したフィンはそれ以上何も言わず無言で頷いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「いやぁ~、噂には聞いていましたがモルガナ嬢がこれほど美しいお方とは! このコナン・モーナ、貴女を妻に迎えることができてまことに光栄の至りです!」
「まぁ、妻だなんて。まだお会いしたばかりなのに気が早いですわ」
モルガナが住まう代官屋敷の応接で、モルガナとでっぷりした禿頭の中年男が笑顔で対面していた。
モルガナが父に自身の希望を伝えてから半月後、見合い相手の男がモルガナのもとを訪れていた。相手が多忙な貴族であり、モルガナが代官を務める領地が北の僻地にあることを考えれば異例のフットワークの軽さである。
見合い相手の名はコナン・モーナ男爵。歳はモルガナより二回り以上の43歳。ヘーゼルの髪と目を持つだらしない体型の男で、その頭は中央部が丸々と禿げあがっていた。
モーナ男爵は元々商人上がりの成り上がりで王家に多額の寄進をして現在の地位を手に入れたと言われている。普通であれば公爵家の令嬢たるモルガナの婚約者候補に名の挙がるような人物ではない。いったいオニール公爵は何を考えているのやら、とフィンは二人のやり取りを眺めながら内心首を傾げた。
「グハハハハ! いや、これは失敬。あまりにモルガナ嬢が美しくあられるので、つい気が急いてしまいました」
「うふふ、お上手ですこと」
モーナ男爵はその場にモルガナ以外の高位貴族がいないことをいいことに欲望を剥き出しにしてモルガナに言い寄った。モルガナの方も自分の父親と歳の変わらない男に迫られて満更でもない表情で微笑んでいるのだから男爵はますます図に乗った。
「このコナン・モーナ、この素晴らしいご縁をむざむざ逃すつもりはありませんぞ。私にお任せ下されば魔の森に面した領地であろうと何一つ心配することはございません。その証拠に我が配下の精鋭たちを50騎ほど連れてまいりましたので是非後でご覧くだされ」
「まぁ、頼もしいですわ」
モルガナの婚約者候補が二の足を踏む理由の一つにこの土地が凶悪な魔物の住まう魔の森に面していることが挙げられる。
元々モルガナの生家であるオニール公爵家は300年前に魔の森の抑えを当時の王弟が任じられたことに端を発する家。その北端は数十年周期で大規模な魔物災害が発生する危険な土地だ。モルガナがその地の代官を任されていることもあり、夫となる人物は将来的にこの土地を押し付けられることになるのだろうと目されていた。
一方のモーナ男爵は領地を持たない法衣貴族で、貴族社会での立場は極めて脆弱。自らが築いた貴族としての地位を盤石とするためであればその程度のリスクは覚悟の上である。
加えてモーナ男爵は五人の妻と八人の妾を持つ好色な人物として知られており、そんな彼にとって王家の血を引く美姫たるモルガナは利益を度外視してでも手に入れたい存在であった。
その後もモーナ男爵は一時間以上に渡ってモルガナを口説き続け、一週間ほどこの屋敷に滞在することを決めて二人の初顔合わせは終了した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「何故あの方を選んだのですか?」
顔合わせを終えて執務室へと向かう廊下を歩きながら、フィンは前を歩くモルガナに訊ねた。
「モーナ男爵は見た目や年齢を抜きにしてもあまり評判の良くない人物です。今のところ尻尾を掴ませるようなヘマはしていないようですが、本業の商売ではかなりあくどいことをしているとも聞きます。御屋形様があの方を推薦した意図はどうあれ、他にマシな候補者は幾らでもいたと思いますが」
主人の見合いについて何も言うまいと決めていたフィンだが、対面したモーナ男爵があまりにアレだったためつい口を挟んでしまった。
現時点では二人はまだ見合いをしただけで婚約が成立したわけではない。だがフィンの見たところモルガナは上辺だけ愛想を取り繕っていたわけではなく、モーナ男爵に好感を持ったように見えた。
「他の候補者がどうかは知らんが、私には今のところモーナ男爵との縁談を断る理由がない」
フィンが正気を疑うような視線を主に向ける。モルガナは近侍のそんな無礼な視線を背中に感じながら艶やかに微笑んだ。
「見た目や年齢など些事だ。思想の善悪についても問題視するつもりはない。徒に領民たちから搾取するようなら考えものだが仮にも彼は商人だ。自分の財産である領地の発展を蔑ろにすることはあるまい」
勿論その辺りの見極めは必要だがな、とモルガナは見合い相手を評価する。
ただしここまでの評価は消極的な理由に過ぎない。候補者の中からモルガナが敢えてモーナ男爵を選んだ理由は別にあった。
「モーナ男爵は一代で今の地位を築いた人物だ。生き馬の目を抜く商売の世界でのし上がり、陛下から爵位を授かるなど並大抵のことではない。多くのものと戦い勝利した益荒男であり、その成果に相応しい勇士に違いあるまいよ」
そう言って振り返ったモルガナの表情は本心を語っているように見えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「領内を散策してみませんか」
顔合わせの翌日、モルガナはそう言ってモーナ男爵を誘った。
無論、安全のために二人きりという訳にはいかない。モーナ男爵が連れてきた騎兵の内、精鋭10騎がその護衛の任を請け負った。フィンは公爵家からも護衛を出そうとしたが、
『グハハハハ! 心配いりませんぞ。我らがいる限りいかな敵が襲って来ようとモルガナ嬢には傷一つ付けさせません!』
とモーナ男爵が主張した。ただしこの場合、最も警戒すべき不埒者はモーナ男爵である。直接襲われずともあらぬ噂でも流されてしまえば公爵家側の証人がいない状況では否定しようがない。モルガナも当然それは理解していた筈だが、彼女は男爵の申し出を笑顔で受け入れた。
二人はモルガナの案内で馬に乗って散策に出かけた。もっともここは公爵領でも北の僻地。代官屋敷のある集落を出て騎士たちが駐屯する砦や防衛施設などを見て回るが、逆に言えばそれぐらいしか見るものがなかった。
ただ流石商人と言うべきか、散策の途中モーナ男爵はずっとモルガナに話しかけその巧みな話術で彼女を楽しませた。これが標準的な女性であれば、例え男爵の見た目による減点を加味してもコロッとほだされていたかもしれない。
しかしモルガナは男爵の話術に対し笑顔で相槌を打ってはいたが、決してそれ以上の歓心を持った風には見えなかった。
意外にガードの固いモルガナにモーナ男爵は何か決め手が欲しいと考えた。するとモルガナの方からその機会を提案してきた。
「この近くに綺麗な泉があるんです。もしよろしければ一緒にいかがですか?」
モーナ男爵は一も二もなく頷いた。
モルガナの案内で一行はその泉があるという森へと足を踏み入れた。その森は多少日差しが暗く木々が鬱蒼としていることが気にはなったが、モルガナが案内するのだからそれほど危険はあるまい。それに万一魔物が潜んでいたとしてもこちらには精鋭10騎が護衛として同行している。何も問題はないと男爵は思った。
「ほぉ、これはまた……!」
森の中を15分ほど進み、突如眼前に現れた光景にモーナ男爵は感嘆の声を漏らす。
ぽっかりと緑の開けた空間に静謐な泉が広がっていた。水質の影響か水面は光を反射して碧く輝いている。苔の生す周囲の木や岩と調和してえも言われぬ幻想的な雰囲気を漂わせていた。
「美しいでしょう?」
「ええ、実に」
モルガナの言葉にモーナ男爵は心からの頷きを返した。俗物的で風景になど興味のない彼だったが、それでもこの光景には人の心の根源を揺さぶる何かがあった。ただ感動して終わりではなく、これを観光に用い資源化できないかと考えるのが男爵の商売人たる由縁だったわけだが、それはさておき。
「これほど素晴らしい場所があったとは。失礼ながらここに来るまで何もない辺境の地と決めつけていた己の不明を恥じいるばかりです」
「うふふ、喜んでいただけて何よりですわ。私も普段は皆に止められて中々来ることが出来ない場所なので、久しぶりに来れて良かったです」
「ふむ?」
ふとモーナ男爵はモルガナの言葉に違和感を覚えたが、それが何なのかすぐには分からなかった。正確には自分で気づく前に答えの方からやってきてしまった。
──ザバァァァァァァッ!!!
『!??』
蒼い水面が割れ巨大な水飛沫が天に向かって伸びた。何事かと身体を固くする一行の前で、水のカーテンの向こう側から咆哮が大気を震わせる。
──GRRRRRRRRRRR!!!
それは青みがかった灰の鱗を持つ巨大な双頭の蛇だった。水面から伸びた首だけでゆうに長さ15メートル以上、直径2メートルはありそうなその巨躯は、竜と評しても差し支えあるまい。
「は? あ……ぁ?」
あまりに突然の出来事にモーナ男爵の思考は完全に停止し、間の抜けた声が喉から漏れた。ただしこれについて男爵を情けないと非難することは出来まい。数多の戦場を潜り抜けてきた配下の精鋭たちも彼と同じような反応を示していたのだから。
そんな中、ただ一人動じなかった者がいる。
「──あら、もう次の主が棲みついていたのね」
モルガナは双頭の蛇を見上げながらおっとりした声で呟く。その言葉を聞きとがめモーナ男爵が言った。
「モモモモルガナ嬢!? い、今の発言は──いえ、それよりこの化け物はいったい!?」
「アンフィスバエナですわね」
モルガナは勿体ぶることなくあっさりと言った。そして男爵とその配下たちはその言葉に大きく目を見開く。
アンフィスバエナ──二つの頭部を持つ大蛇。その巨体と毒のブレスで数多の英傑の命を奪ってきた竜種の一つにも数えられるその大幻獣だ。
「な、何故そんな化け物がここに……!?」
「あら。おかしなことを仰るのね?」
慌てふためくモーナ男爵に、モルガナは魔物の前とは思えない平然とした態度で言った
「ここは既に魔の森の中。魔物が出るのは当然のことでしょう?」
『は!?』
その言葉に男爵だけでなくその配下まで驚愕の声を上げた。
「な、何故そんな危険な場所に我々を!?」
モーナ男爵の脳裏に、これは自分を謀殺するための罠ではとの考えが過ぎった。そもそも公爵家の令嬢が平民上がりの男爵の見合いを受けること自体がおかしかったのだ。公爵令嬢の婚約者という地位を餌に男爵の政敵が彼を罠に嵌めたのではあるまいか、と。
「うふふ。普段はフィンたちが『危ないから入っては駄目』と止めるので中々森の中を見て回ることは出来ないのです。ですが今日はモーナ男爵が一緒ですので安心ですわね」
だが当のモルガナは魔物を前にしても全く怯えた様子もなく平然としている。それどころか男爵がアンフィスバエナから自分を守ってくれると疑っていないような口ぶりだ。
──この小娘、美しいのは顔だけで頭のネジが飛んでいるのか……!?
この時ようやく男爵は、モルガナがこの美貌と地位を持ちながら未だ婚約者が決まっていない理由を理解した気がした。
配下の一人が男爵に進言する。
「か、閣下。ともかく閣下はオニール公爵令嬢を連れてお逃げください。殿は我らが務めます」
「あ、ああ──」
「それは止めた方が宜しいですわね」
何を言い出すのかとギョッとする男たちに、モルガナはニコリと笑って言った。
「蛇は執念深く動きの速い生き物です。例え逃げてもすぐに追いつかれるでしょうし──」
そこで彼女は一瞬言葉を区切り、自分たちがやってきた森の出口に視線を向けた。
「アンフィスバエナは蛇の王。この辺りはとっくに配下の蛇に囲まれていますわ」
『!』
その言葉を裏付けるように森のあちこちから大小様々な蛇が姿を現した。恐らく毒を持ったものもいるだろう。これではとても逃げるどころではない。
「ご安心ください。周辺の蛇はアンフィスバエナに従っているだけ。あちらを倒してしまえば大半は逃げていきますわ」
「それのどこが安心だというのだっ!?」
モーナ男爵は顔を引き攣らせて怒鳴りつける。そして相手が遥かに身分が上の公爵令嬢だということも忘れて続けた。
「貴様、頭が沸いているのか!? 何を考えてこんな危険な場所に我々を連れてきた! 答え次第では──」
「それは勿論、男爵の勇敢な姿を見せていただくためですわ」
モルガナは花が咲いたような満面の笑みを浮かべて言った。
「──は?」
モーナ男爵は呆気に取られて間抜けな声を漏らす。モルガナの笑みには嘘や偽りは一欠けらも見えない。
「──は?」
モーナ男爵はもう一度言った。
「私は人の勇気を愛しているのです」
そしてモルガナは熱に浮かされた眼差しで言った。
「人の本質とは勇気です。どんな地位も権力も財産も知性も武力も人が持つ勇気の輝きには遠く及びません。ただ強いだけの人間など、より大きな力の前では簡単に折れてしまいます。ですが勇気は違う。守るべきもののために逆境と試練に立ち向かう人の勇気だけは誰にも折ることができません──私はそれが見たいのです」
男爵もその配下も、モルガナが何を言っているのか理解できなかった。
「男爵は元は平民でありながら数々の苦難を乗り越えて今の地位を築き上げた勇士。きっとその内に秘めた勇気の輝きは比類なきものでしょう。どうかその輝きを私に見せてください! そして私に貴方を愛させてください!!」
繰り返すが、男爵もその配下も、モルガナが何を言っているのか理解できなかった──いや、したくなかった。
だが残念なことにそんな男爵たちにも一つだけ理解できてしまったことがある。モルガナは本気だった。本気で、モーナ男爵の勇気を見るために、彼を愛するためだけにこんな死地に自分たちを連れてきたのだ。いやそれだけではない。
「っ! 危ない!!」
男爵がハッと気づいてモルガナの手を引く。
──ドォォォォォンッ!!
アンフィスバエナが自分に背を向け話し続けるモルガナ目掛けて頭の一つを振り下ろす。モルガナは男爵のお陰で寸でのところで難を逃れた。
「まぁ、ありがとうございます」
「何を──っ!」
今まさに自分が死にかけたというのに平然と微笑むモルガナに、男爵は言葉遣いも忘れて怒鳴った。
「何を考えておるのだ貴様は!? 私が手を引かねば死んでおったぞ! 何か自分の身を護る切り札のようなものを持っているのではないのか!!?」
モルガナがこちらの勇気を見たいのだとしても、それは彼女自身が自分の身を危険に晒す理由にはならない。この状況でも何か自分の身を護る手段を持ち合わせているに違いないと男爵は考えていた。
だがモルガナは男爵の言葉に可愛らしく頬を膨らませる。
「まぁ! 男爵の勇気を見ようというのに、私一人だけ安全圏にいるような真似ができると思いまして?」
それはつまりモルガナはこの場において何も身を護る手段を持ってないということだ。
「頭に蛆を飼っておるのか貴様はっ!!」
「うふふ。昨日魔の森のことは心配いらないと約束してくださいましたよね? 私、そのお言葉を信じておりますの」
「っ!」
そういう意味ではないと怒鳴りつけ、見捨ててしまいたくなった。だが彼女を見捨ててしまえば仮にこの場を生き抜びることができたとしてもその後男爵に待っているのは破滅だ。仕方なくモーナ男爵はモルガナの手を引いて後ろに下がり、配下に向けて叫んだ。
「……やむを得ん。貴様らでアンフィスバエナを仕留めろ!!」
「し、しかし──」
「ガタガタぬかすな! どの道あの毒蛇の群れに突っ込めば命はないのだ! それならまだアンフィスバエナと戦う方がマシだろう!!」
「っ!」
男爵自身も無茶を言っていることは自覚していたが、しかし二者択一のこの状況では他に選択肢はない。
そんなやり取りに目を輝かせながらモルガナが口を挟んだ。
「他の蛇はこちらから近づかなければアンフィスバエナの攻撃の巻き添えになるのを嫌って襲い掛かってくることはありません。それとアンフィスバエナの毒のブレスは厄介ですが、あちらにとっても棲みよい環境を壊してしまうことに繋がりますので滅多なことでは使ってきません──まぁ、どちらもアンフィスバエナが追い詰められればその限りではありませんけれど」
「っ! 聞こえたな!? 攻撃する時は急所を狙って一撃で仕留めろ!!」
モーナ男爵の指示に配下の精鋭たちは内心『無茶を言うな』と毒づきながらも反論することなく従った。無茶苦茶でもそれしかないならやるしかない。
彼らは目配せし、男爵を護る最低限の人員だけをその場に残して散開した。
──ドゴォォォォッ!!
「っ!」
二つの頭がそれぞれ独立して動き彼らに襲い掛かる。狙われた者たちは必死の形相で逃げ惑った。しかしアンフィスバエナがいかに強大とはいえ、その頭は二つ、尻尾を含めても攻撃手段は三つだけ。狙われていない兵士たちはフリーになる。
「今だっ!」
隊長の合図で兵士たちが一斉に首の後ろの急所目掛けて襲い掛かり、武器を叩きつけた。
──ROOAAR!!?
その内、一人の兵士の槍が鱗の隙間を縫って深々とアンフィスバエナの首に突き刺さる。
「やった!」
「馬鹿野郎! まだだっ!!」
──ブォォォッ!!
「うわぁぁっ!!」
蛇の生命力は生半可なものではない。アンフィスバエナは急所を刺されたことなど意に介さず、その首を振り回して自分にとりつく兵士たちを地面に叩きつけた。
たったそれだけで兵士たちの過半数が行動不能となる。
「ぅぅ……っ」
更にただの餌としか見ていなかった人間どもに痛痒を加えられたことで、アンフィスバエナが本気になってしまったらしい。その目が金色の輝き、再び大きな咆哮を上げた。
──GRRRRRRRRR!!!
「ぐぅ……っ」
ただそれだけのことで直接刃を交えたわけでもないのにモーナ男爵は足が竦んで動けなくなった。
しかも周囲を取り囲む蛇たちが一斉に自分たちを狙って動き出し、アンフィスバエナの頭の一つが大きく口を開け何か溜めのような動きを見せた。
それを見てモルガナが言った。
「あ。マズいですね。ブレスが来ますよ」
「っ!」
男爵の喉から掠れた悲鳴が漏れる。抑え込んだのではない。恐怖で叫ぶことさえ出来なかったのだ。
毒のブレスの攻撃範囲がどの程度のものかは分からないが、こうして周囲を無数の蛇に取り囲まれ身動きがとれない状況で回避することは不可能だろう。
モーナ男爵は大きく開かれた喉の奥に袋のようなものが膨らんでいくのを見て己の死を覚悟した。
「──ここまでですね」
次の瞬間、いずこからか飛来した矢がアンフィスバエナの毒袋を射抜き、破裂させた。
──ブシュッ!!
するとアンフィスバエナの口の中で紫色の液体が溢れかえり、その顎が焼け爛れて悶え苦しみ始めた。
──GRRRRRRRRR!!?
何が起こったのか分からずモーナ男爵が呆気に取られたように呻く。
「これは……?」
「アンフィスバエナの毒袋を潰しました」
シュタッと男爵たちの横に着地して金髪の少年が言った。確かフィンと名乗ったモルガナの近侍だ。手には弓を持ち、背には矢筒と短槍を担いでいる。状況に視て、樹の上に潜んでいた彼が弓矢でアンフィスバエナの毒袋を射抜いたということなのだろう。
「アンフィスバエナの毒は出血毒、神経毒、酸性毒の複合毒。勿論自分の毒なので耐性はありますが、希釈もせずに体内に浴びればダメージは避けられません」
「…………」
モーナ男爵は思考が追いつかず淡々としたフィンの説明を呆然と聞く。
「……おい、フィン。何故貴様がここにいる? ついてくるなと言っただろうが」
男爵の横からモルガナが不機嫌そうに言った。先程までの可愛い子ぶった口調とはまるで別物だが、男爵にそれを気にする余裕はなかった。フィンは淡々と反論する。
「確かに仰いました。しかしお嬢様。その命令には『危ないことはしないから』という前置きがあったことを覚えておいでですか?」
「覚えていないな」
「私は覚えているのです」
打てば響くようにフィンは言葉を返した。
「……男爵が護って下さっているのだ。危ないことなどないだろう」
「そうですね。ですから私も危なくなるまでは見守っていました」
フィンはやり取りを打ち切って呆気に取られたままのモーナ男爵に向き直った。
「閣下。お嬢様を護っていただきありがとうございます。後の処置は我らにお任せください」
「ああ……いやしかし、任せると言っても──」
そこでようやく男爵はいつの間にか黒衣の兵士たちが自分たちの周りを囲んでいることに気づいた。フィンはニコリと笑って男爵に言った。
「ご安心を。こう見えて我々は専門家ですから」
「…………」
その宣言通り、フィンと彼が率いる黒衣の兵士たちはあっという間にアンフィスバエナに止めを刺し、周囲を取り囲んでいた蛇たちを追い払った。
その後、モルガナは黒衣の兵士によって一足先に屋敷へと連れ戻され、その場にはモーナ男爵とフィン、それぞれが率いる兵士たちが残された。
男爵の配下は黒衣によって傷の手当てを受けている。半数以上が骨折など重傷を負っていたが、不幸中の幸いと言うべきか死者や後遺症の残りそうなダメージを受けた者はいなかった。いやあるいはそうならないようにフィンたちが見張っていたのかもしれない。
魔の森の魔物の脅威、そしてそれをアッサリと駆逐したフィンや黒衣の兵士たちの力を続けざまに見せつけられたモーナ男爵は呆然と立ち尽くす。そしてそれほどの実力を秘めた者たちがずっと自分を見張っていたことに思い至り、何かマズいことをしていなかっただろうと自分の行動を思い返していた。
「閣下。この度はお嬢様をお護りいただきありがとうございました」
「!?」
そんな男爵の前に突然フィンが傅いて言った。突然の感謝に意味が分からず男爵は慌てた。
「ああ、いやそんな……!」
結果的に助けられたのは自分たちの方だ。むしろ護った云々ではなくモルガナの悪ふざけ──と言っていいのか?──に巻き込まれたことについての謝罪と賠償を求めたいところだが、それをこの場で言えるほど男爵は豪胆にはなれなかった。
戸惑う男爵にフィンは続けた。
「正直に申し上げますと、我々は最初、閣下がお嬢様を見捨てて直ぐに逃げ出すものと考えておりました。それを最後まで身を挺して守っていただき、まことにありがとうございます。主に代わってお礼を申し上げます」
「ああ……うん」
別にモルガナを見捨てなかったのはただの保身に過ぎなかったのだが、敢えて否定する理由もなく男爵はフィンの感謝を受け入れた。フィンは更に続ける。
「それにしても流石は御屋形様が推挙なさったお嬢様の婚約者候補。これなら我らも安心してお仕えすることができます」
「そ、そうかね……?」
男爵はその言葉に少しいい気分になった。ひどい目に遭ったがモルガナと彼女の臣下の信用を得ることができたのであれば結果は悪くない。
「いや、将来の妻を護るのは男として当然のこと。そんな褒められるようなことでは──」
「謙遜なさらないで下さい。これほど胆力のあるお方であれば、今後もお嬢様の愛情表現に耐えることができましょう」
「──は? 今後? 愛情表現?」
男爵はフィンの言葉に耳を疑う。フィンは少し恥ずかしそうに苦笑した。
「ええ。あまり主人のことについて臣下の立場であれこれ申し上げるのは好ましくないのでしょうが、お嬢様は些か人に対する愛情が深すぎるきらいがありまして」
「……いささか……あいじょうが?」
「ええ。誰かに好意を持つと今回のように試練を与えてその勇気の輝きを慈しみ愛さずにはいられないお方なのです」
「……しれん……ゆうき」
男爵はフィンの言葉をオウムのように繰り返す。
そして自分が追い込まれ苦しんでいる様子を見ていたモルガナの赤らんだ顔を思い出し、ゾッとする。
「…………」
フィンは深々と頭を下げて言った。
「どうか末永くモルガナお嬢様をよろしくお願いいたします」
その日の内にモーナ男爵は配下を連れてモルガナの領地から立ち去った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「正式にモーナ男爵から御屋形様に今回のお見合いをお断りする旨の連絡があったそうです」
後日、執務室でフィンの口から改めてその報告を聞いたモルガナは目に見えて消沈し肩を落とした。
「……そうか。中々の好人物だったのだが残念だ」
「…………」
モルガナはモーナ男爵との縁談が上手く行かなかったことを心から残念がった。
「やはり年齢が離れ過ぎていたことが問題だったのかな?」
「……かもしれません。男爵にはお嬢様より年上の子供がいた筈ですから」
フィンはモーナ男爵の一番新しい妻が13歳であることを知っていたが、主人を傷つけないようそう言った。
「そうか……縁というのは難しいものだな」
「…………」
フィンは肯定も否定もしなかった。
モルガナは愛情が深すぎる。その根底にあるのは人間への信頼と不信だ。彼女は人の持つ可能性や輝きを誰より信じ愛しているが、同時にその輝きは平穏の中で腐敗し、堕落し、劣化していくものだと理解している。故に彼女は愛する者に試練を与え、その魂を輝かせずにはいられない。
その愛情はかつて家族にも向けられてしまい、彼女の両親はこんな僻地にモルガナを追いやるしかなかった。
故にフィンも、いつかモルガナの愛情を受け止められる人間が現れることを心から願っていた。
「落ち込んでいても仕方がありません。新しい釣書が届いていますので、また目を通しておいてください」
「お前なぁ……」
モルガナはフィンに呆れたような目を向ける。
「傷心の主人に対してすぐまた次の男を探せとは、人の心というものがないのか?」
「失恋の傷を癒すには新しい恋が良いとも申します。それに……」
「それに何だ?」
珍しく口ごもるフィンにモルガナは訊ねた。フィンは心底困った顔でその言葉を口にする。
「早くお相手を決めて下さらないと、御屋形様が私をお嬢様の婿にする、と」
「それは嫌だ。お前はつまらん」
そう言ってモルガナはすぐさま釣書を手に取った。そんな主を見てフィンは苦笑する。
フィンはモルガナの傍に仕えることができるほとんど唯一の人間だった。その理由は偏に彼がモルガナの好みから外れているためである。フィンは同年代では傑出した才能と能力の持ち主だが、出世欲や向上心というものが致命的に欠けていた。能力がありながら今の地位に満足して上を目指そうとしないフィンはモルガナの好みとは真反対にいる人間だった。
「う~ん……これにするか」
「かしこまりました」
そうして、またフィンは新たな縁談の手配をする。
釣書に書かれた婚約者候補は非の打ち所がない貴公子だったが、それ故にモルガナに付き合える可能性は低いように思えた。
どうやら愛が深すぎる主人の婚約者はまだまだ見つかりそうにない、とフィンは胸中で複雑な感情を押し殺して苦笑した。
次の連載ネタを考える途中で思いついた話です。




