準備は万端です
「エルシリア・バディア、出てこい!」
煌びやかな夜会会場には似つかわしくない大声を出したのは、ダリオ・カルレロ王太子だ。
腰を抱いている令嬢は新しい恋人か。今年に入って何人目の相手だったかしら?
「お呼びと伺い、参上いたしました」
「俺は、貴様との婚約を破棄s」
「承りました。婚約破棄書は婚約締結書と共に、殿下の執務机左から二番目、一番上の引き出しにて、わたくしの署名済みのものを用意してございます。同時に、公爵家の離籍届もございますので、合わせてご提出をお願いいたします。それでは」
一気に捲し立てると、エルシリアは踵を返した。そして、かなりの早足で会場を後にしようとする。
その様を呆気に取られて見ていたダリオは、慌ててこちらへ駆け寄ろうとして。
「ま、うわぁぁぁぁぁぁーーーーー!!!」
壇上の階段から滑り落ちた。ズダダダダダーン、という派手な音と共に。
結構な段数があるが、突き落とされたわけではないので、命に別状はないだろう。まあもう無関係だけれど。
「大丈夫ですか、殿下?! お怪我は?!」
護衛やら側近やらが一斉にダリオの元へ向かった。
殿下の失態のおかげで時間を稼げた。
その隙に、カッカッカッとヒールを鳴らしてエルシリアは去っていく。振り返ることなどない。周囲の貴族たちは、空気と場を読み、道を開けてくれる。
走り出す寸前のエルシリアの勢いに押されてというのもあるかもしれないが、知ったことではなかった。
王城は無駄に広い。大広間を抜け、回廊を抜け、馬車止めまで足を止めるつもりはない。
両親は夜会にいなかったのかって?
父は、亡くなった母が存命のときから浮気していた愛人と、連れ子であるはずの血の繋がった義妹(形式上)と参加していたが、あんなのは家族でも何でもないので、ダリオの婚約破棄の計画を知ったときに離籍書も用意しておいたのだ。
母の葬儀後、数日も経たずに愛人を引き入れた恨みは忘れていない。そのせいで、長年虐げられてきたことも。入り婿のくせに。なので、再婚はしていない。それくらいの知恵はあったらしい。
去り際、周囲の貴族たちに交じってエルシリアを見ていたが、喜びが隠しきれていなかった。
正当な後継者である私がいなくなった後、どちらにせよ、公爵位を継ぐことはできないのに、本当に愚かな人たちだ。
公爵家の中でも、家紋のない、一番質素な馬車を選んでこの夜会に来ていたので動きやすい。
腹心の侍女を通して、隣国への船のチケットも手配済。偽名で。
馬車に乗った後は、懇意にしている侯爵家に急がせる。友人でもあり、私に個人的な恩を感じてくれているライポルト侯爵家だから、裏切りの心配はおそらくない。
何故侯爵家をわざわざ経由したのかという疑問は、淑女のドレスは自分で着脱が不可能だという答えを返しておこう。夜会に着ていくようなドレスは、高価ということもあるが、人の目をひく。つまり目立つ。こんな服装で街中に出たら、人攫いか盗賊の格好の的である。家紋付き馬車でないのも以下同文。
侯爵家で着替えを済ませ、港町の宿へこれまた馬車を急がせた。事前に話はしていたが、夜半の行動であるので、侯爵家の厚意で護衛を貸してくれたのはとてもありがたかった。
夜会後の動きも知らせてくれるというので、隣国での生活が落ち着いたら連絡する約束だ。ついでに私の意志を後押ししてくれるとも。
もちろん、何の当てもなくこんな行動に出たわけではない。
愛人と義妹、いや腹違いの妹がバディア公爵家に入り込み、私を虐げるようになってから準備をしてきたのだ。
ダリオは傲慢で無能、女好きとくれば、婚約が締結されたところでいずれ解消されるだろうとの予想もあり。
代理を立て商会を作り、軌道に乗るや隣国へ出店。そちらも売り上げは上々、ここ数年は自分の収入でドレスを作っていたくらいには。
今後の生活に何の不安もない。むしろ、公爵家という柵から抜け出せて、解放感に溢れている。
数年かけて、準備していた甲斐があったというものだ。
その後、隣国で生活基盤が整った頃、エルシリアの元へ情報が舞い込んだ。
まず、婚約破棄したダリオ。
国王の承認した婚約を、王太子とはいえ決定権のないダリオ個人が許可なく破棄したため、国王への反逆の意思ありと見做され、廃嫡の上、除籍。
本来、主の誤った考えや行動を諫めるべき側近は迎合していただけの無能ということで、揃って廃嫡になった。
バディア公爵家は、何も考えず、父が私の離籍書にサインしたため、公爵位は母の血縁である従兄が継ぐことになったという。公爵家から有無を言わさず、追い出され路頭に迷っているとか何とか。
何故、公爵家の血が一滴も入っていない自分が継げると思ったのか不思議でならない。
もっと頭が回る人間ならば、何としても私を探し出し、飼い殺しにするだろうに。
「やはり、事前準備はしておくに越したことはないわねえ…」
「はい、お嬢様」
公爵家に素早く退職届を出した侍女たちと護衛たちは、私の言葉に頷いていた。
了
息抜きの1時間クオリティ。




