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3/11 15年前のこと

介護の話ではありません。

3/11


 15年前の今日は、用事があって家族で横浜にいた。予定では用事は13時30分からですぐに済む予定だったのだが、話好きの爺さんがいたために長引いた。そしてあの地震にあった。


 大きな地震に建物から全員が飛び出した。外壁のタイルが落ちてきたので建物からも離れた。

 しかし目の前のアスファルトの道路が波打っていた。遠くを見れば止まっているタクシーも大きく揺れている。 

 中学生の時に読んだ関東大震災に関する本の中に「揺れに合わせて飛んで歩いた。そうしないと歩けなかった」というのがあったのを思い出し、飛んでみるもタイミングが合わない。そんな事を試すほどに長い揺れだった。

 

 揺れが収まってすぐに建物内に入り、そこからは用件だけですぐに用事は済んだ。元々30分程度の予定だったのに、1時間以上爺さんの昔話を聞いていたから伸びていただけなのだ。

 終わって駅に向かった。この時点では「大きな地震が来た」という認識しかない。途中の店が停電のためと店先で弁当を売っていた。買いたかったが、多くの人が買っていたし、電車さえ動いていれば帰れるのだし、横浜駅で弁当を買う予定だったので、その場は通り過ぎた。


 停電との情報に、当時持っていたMP3プレイヤー(ラジオ付き)でラジオを聞いてみる。どうやら大きな地震で、全面的に電車が停まっているという。実際に最寄り駅も止まっていて、駅員さんに聞くも「復旧のめどは立っていません!」

 駅横のパン屋さんに入り、万が一の夕飯分まで多めに買って、イートインコーナーで昼食を取りながらラジオを聞く。当時はTwitterも今ほど情報がなく、フォロワー数も少なかったために全く情報がわからないので、このラジオが非常に役に立った。

 

 母は狼狽するだけだし、兄は情報収集していてくれたけど、このままここで様子を見ようという兄と、ここにいてもどうしようもならないという私とは意見が食い違った。 

 結局、横浜駅まで出たい。だが電車はないからタクシーかバスで行こう、で、そのバス停とか乗るバスを、先ほどまでいた店舗に聞くのが早いという私と母の意見で、元の場所に戻る。


 そこで親切にもタクシー呼びますよと言ってもらえたうえに、TVを見せてもらえた。そこで宮城の空港の津波の映像を見る。

 私が「凄い映像が流れてる!」と言うのに、母と兄は「うるさい」と聞く耳を持たない。帰る方法を探すのに手いっぱいで、映像なんてどうでもいい、と言う。

いやあの映像を見たら新幹線など停まっているに決まっている。兄は都内に住んでいるからまだしも、私と母は北関東まで帰らなければならないのに、こりゃ無理だろうと言っても、二人は聞く耳を持たなかった。

 そのうちに店舗の方が、タクシーもバスも無理だからと車を出してくださった。ありがたく乗せてもらい、車内でも電車全面停止と大渋滞の情報が流れてくる。横浜駅付近も大渋滞というので、適当なところで降ろしてくださいお願いしたら、ホテル街の近くに降ろしてもらった。

 兄がすぐにホテルに聞きに行くが、すでに満室でロビーで休むのも無理、と断られる。私のラジオ情報でも同じような情報が流れていたので、車内で聞いた避難所へ向かう事に。たしかパシフィコ横浜だったと思う。途中のお店は全て閉まり、パン屋で食料を買い込んでいたのが正解だったと知る。


 母はもともと兄贔屓で、兄の事は頼りにもしているけれど、私は軽んじられるので発言のすべては否定されたが、それしか行き場もないからと移動する。これもこの後に横浜駅からの大移動があり、一足早かったおかげで早く館内で休めた。


 そこにいる誰もが情報がない。電車やバスが再開するまでの短時間の滞在だと思っていた。

 3月で寒い。ドアが開けっ放しで、なるべく奥の方に場所を取ったものの、それでも寒い。そしてそんな環境で『マッサージ1回15分千円』という紙を掲げて歩くツワモノもいた。そして利用する人もいたw


 館内に運ばれてきたTVとラジオとケータイTVで状況を確認。

 震源地は宮城沖だが、関東全域で全面的通行止めと電車が停車を知る。充電を気にしながらなので津波の映像もほとんど見てはいないが、Twitterやラジオでこれは今夜は動けないと覚悟を決める。

 兄は前日に友人たちとの食事で食べすぎて、今日は何も食べられないと昼に会った時から言っていたし、実際に胸やけで夕飯も食べられないから、買ってきたパンは二人で食べてと言っている。私は早々に自分の分を食すが、母は「お兄ちゃんが食べないのに私が食べるわけには!」とか訳のわからないことを言って本当に食べない。いや食べ過ぎで食べられないんだから、移動があるんだから食べろと言っても断固として食べない。

 夜中になってようやく毛布が配られる。興奮もしているし眠気もないが、これでようやく横になって休めた。さらに夜中にみかんが一人1個ずつ配られ、それは母も食べた。備蓄はないのかと不満を漏らす声も聞こえたが、備蓄自体が届かないと役員さんが言っていたと思う。TVラジオでも同様の説明があった。配られただけでもありがたい。


15年前の3/12


 02時を過ぎるとバスが一部運行再開され、少しずつ館内の人が移動していく。備蓄品の配布や、バスなどの再開は逐一館内放送で報告があった。

 朝6時を過ぎると一部の電車も再開になり、避難所も終了となった。余ったみかんを配っていたのでありがたくいただく。兄が路線を調べて、とりあえず都内の兄の部屋に行こうと出発する。

 どこの路線かは忘れたが、乗ってすぐに母が体調が悪いと言い出す。そりゃそうだ、夜から何も食べずに移動しているのだから。兄の家に着くまで頑張れと励まし、電車を降りたところで無理、というのでベンチに腰掛けさせようと(全員座っていたので、譲っていただけないかと声を掛けたら全員立ってくださった)したところで、意識消失。すぐに気が付いたけれど駅員さんが救急車を呼んでくれて病院直行。元々迷走神経反射餅なのでそれだと思われたが念のため。実際に異常は見つからずすぐに開放。


 行きは救急車に兄も私も載せてもらったが、帰りはタクシーで兄の家へ。


 昼前に到着。兄の部屋も物が落ちて大変な事になっていたが、とりあえず母を寝かせ、パンを食べさせる。


 ようやく落ち着いてTVを見られ、ようやく兄と母も状況を理解。そして福島第1のやばさも同時に伝わる。落ち着く間もなく、TVで「東北本線運転再開」の報道が。私だけ即帰宅を決め、パンを一つだけ貰って部屋を出る。

 家には心臓病の犬がいた。日帰り予定だったのと、人見知りでホテルなどに預ける方がストレスが溜まってしまうタイプの犬だったので、おやつと水だけ置いて、家に残していたのだ。それと熱帯魚水槽が心配だった。水槽自体は倒れても良いが、中のヒーターが万が一にも火災などになっていたら!

 ちなみにこの日は演奏仕事の予定だったので、朝の時点で仕事先に電話をしたら、地元も凄い事になっていて演奏は中止という事だった。その際に大規模停電の話も聞いていた。

 一人にしたことがない犬で、しかも寒い中の停電。犬の体調が心配だった。


 結論から言って、電車は一本だけが運転再開だった。14時台に発車予定だったその電車は遅れに遅れての発車だったが、次があるかわからないというアナウンスに、乗車率200%くらいになっていたと思う。全く身動きが出来ない状態だった。

 普通電車で一駅ずつ停まる。それでも帰れるだけありがたい。足も手もどこもかしこも固まってしまって痛かったが、全員が耐えていた。最初のアナウンスでは終点まで行く予定だったが、そのだいぶ前の大きな駅での停車が直前にアナウンスされる。「代替え運送はありません」の絶望付き。

 急いで降りても足がない。タクシーに乗るしかないがこの状況では無理だろうと人込みに押されながら駅を出てタクシー乗り場へ。最後尾が見えないほどに並んでいる。この時点で21時前。

 勇気を出して「○○まで相乗りお願い出来る方はいらっしゃいませんか」と叫ぶと、2組が手を上げてくださった。一組目が2人、2組目が3人だったので、1組目の方にお願いする。

「凄い度胸だね」との声も聞こえてきたが知った事か。だいたいこんな時にいたずらしようという男も少ないだろう。されても仕方がないくらいの覚悟は決めたが。それに1人2人で乗るよりも同じ方向の人が固まったほうが、結果として多くの人が乗れるのだから。

 そして同じ会社員同士らしい二人と一緒にすぐにタクシー乗れた。車内で彼らは明日も出勤だから、家族の安否だけ確かめる、というようなことを話していたが、こんな時まで仕事か、と日本人の気質を見た気がした。

 車内で問題など全くなく、目的地で下車。料金も割り勘で非常に助かった。困ったときはお互いさま、と言っていただいたのもありがたかった。


 帰路途中にコンビニに寄る。報道で知ってはいたが、本当に何もなかったw かろうじてあった犬缶と人のおやつだけ購入して帰る。

  

 家に上がると、想像したほどには家は荒れていなかった。居間から犬がすっ飛んでくる。声が枯れていてずっと鳴いていたことが分かる(一軒家だし隣と離れているから迷惑にはなっていないだろう)。しばらく抱き合って、家の中を見て回る。何故か居間に私の靴が運ばれていたし、犬の服が脱げていた。服を探すとキッチンテーブルの椅子に引っかかっていたので、揺れてそこに逃げ込んで、引っかかってしまったらしい。暴れているうちに脱げたのだろう。靴はわざわざ勝手口から運んだのだ。思わず涙する。


 自室の熱帯魚は13時間に及ぶ停電で全滅。唯一金魚だけが生きていた。水槽の水は半分くらいに減っていたが、この時点でヒーターは問題なくついていた。全滅した水槽のヒーターは消して、金魚水槽の水を足して、こぼれた水の始末をして、落ち着いた犬に食事と薬を飲ませた。


 2階の部屋は棚の上のものが落ちていたが、当家に大きな被害はなかった。熱帯魚8匹+その卵多数とレコードプレーヤーと苦労して作った大型帆船の模型が壊れただけで済んだ。


 犬は分離不安になってしまったので、しばらくの間、どこへ行くにも抱いて連れて行った。次の日に買い出しに出たが、その時も車にまでは乗せたし、なるべくすぐに戻った。離れるとかすれた声で泣くから、それだけでこちらが泣けてしまう。


 TVで津波の状況を確認してまた涙する。電車が途中までしか来なかったのは、地元駅などのホームの 一部が崩れていたかららしい。隣駅はホームが壊滅状態だった。

 電車がまともに動くようになるまで1週間かかったし、健康不安があった母はその後、電車の混乱が落ち着いた頃に戻ってきた。


 その後計画停電があったり、仕事で中国へ行く予定があり、この状況でも中止に出来ないというので、国が違うと中止に出来ないものなのかと学んだ。中国の方々はよくしてくださったが、この状況で行くというのがどれだけ大変か。家はほとんど被害がなかったが、メンバーの中には電気水道が止まったままの人、避難生活の人もいたのだから。 


 都内の電車と首都高は、実験的に止めたと聞いた。それによる影響の研究と、首都高を緊急車両用に使う事で、目的地までスムーズにつかせるためだったと。

 首都高はスムースに走れても一般道が大渋滞で意味がなかったとか、帰宅困難者が6時間かけて歩いて帰ったとか、予想以上の大混乱を引き起こしたらしい。


 これを教訓に、職場で地震にあった場合は無理に帰らずにとどまる事、備蓄をする事、避難所の扱いなどが整備された。次の災害では役に立ってほしい。


 計画停電はこのクソ寒い時期に行うなと(怒)。暖房なしで過ごせるわけがない。電気のいらないストーブも爆売れで、この時には手に入らなかったから、コタツに湯たんぽ入れて着ぶくれして耐えたのだ。

 被災地はもっと大変だったと思うが、あの計画停電すら本当に必要だったのか謎だし、あの時の政権を支持出来ないのも、この辺に理由がある。

 ならば他の政党だったら出来たのかというのは、その時になってみなければわからないとしか言いようがない。少なくとも福島第1原発の事故は隠された可能性もあり、そこはあの政権でよかったのかも、と思うが。


 あの大災害でいろいろと変化した。帰宅困難者体験も、貴重なものだった。人の親切にも触れられた。忘れることのできない、貴重な体験だった。

 

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