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母と罰           :約4000文字 :地獄 :暴

作者: 雉白書屋

「起きなさい。……ほら、起きなさい。起きなさいっ」


「うるせえな……えっ」


 母さん……?

 おれは思わず息を呑んだ。まぶたを開けると、目の前にとうの昔に死んだはずの母親が立っていたのだ。記憶の中よりも少し痩せている気がするが、それはたぶん一緒に暮らしていた頃の印象が強いだけだろう。晩年もこんな感じだったはずだ。顔のしわや怒った顔つきなどが、妙に生々しいほどはっきりしている。

 これは夢……ではない。むしろ目覚めた直後のように、ぼんやりしていた頭が少しずつ冴えていく感覚がある。これは現実だ――そうだ、おれは死んだのだ。ああ、思い出してきた。

 じゃあ、この母親も本物なのか。だが、ここは――


「あなたねえ、地獄になんて落ちて! こ、この、親不孝者……!」


 そう、ここは地獄だ。赤黒く焼け焦げた地面が果てしなく広がり、空は煤に塗りつぶされたように暗く沈み込んでいる。星の光の一つも見えやしない。あちこちから噴き上がる炎が不規則に揺れ、影が生き物のように地面を蠢いている。

 地獄……地獄か……。

 自分がここに落ちたこと自体には、さほど疑問はない。おれはどちらかというと悪人だろう。人にも散々迷惑をかけてきた。

 だが、まさかこんな場所で母親と再会するなんて思ってもみなかった。母も地獄に落ちたということなのか。意外だ。母はどちらかといえば善人だったはずだ。律儀で真面目で、周囲に気を配り、明らかに車が来ていなくても、信号が赤なら絶対に横断歩道を渡らない、そんな人間だった。

 それはそれとして……どういう状況だ? 

 おれは手首と足首を縄で縛られ、全裸のまま地面に転がされていた。一方で母は、まるで刑務官のような制服を身に着け、直立しておれを見下ろしていた。


「か、母さんも地獄に落ちたのか……?」


 おれは訊ねた。すると、母は小刻みに肩を震わせ、唇をぎゅっと噛んだ。


「お、親が処罰するって決まりなんだよっ」


「処罰……?」


 母は鼻をすすり、涙を浮かべたまま何度も頷いた。

 産んだ責任というやつだろうか。どうやら地獄には親が子を罰するというルールがあるらしい。

 いったいどんな罰を与えるつもりなんだ……。いや、なんにせよ母にそんなことができるはずがない。暴力とは無縁の人間だ。殺人や事故などの悲痛なニュースがテレビに流れると、すぐにチャンネルを変えるほどだ。

 おれは鼻で笑った。


「何笑ってんの……。この子はもう、昔からそうやって、自分のことなのに真面目に考えようとしないで、へらへらして……」


 どうやら、生前のことを言っているらしい。だが、そんな昔話を持ち出されても、死んだ今となっては無意味だ。今さら反省する気も起きない。


「なあ、親子のよしみだ。軽~く済ませてくれよ」


 おれはそう言って、笑ってみせた。母は袖で涙をぬぐいながら、首を横に振った。


「そういうわけにはいかないのよ……。じゃあ、今から始めるからね……」


 そう言うと、母は制服のポケットから錆びついたペンチを取り出した。おれの前にしゃがみ込み、涙で濡れた目でじっとこちらを見つめる。その視線に、おれは少し寒気を覚えた。


「おい、何する気なんだよ……」


「お母さん、爪は噛んじゃいけませんって、子供の頃からずーっと言ってきたのに……もう……これじゃ……」


「あっ、あああっ!」


 母の声は途中から涙に濁り、よく聞き取れなかった。おれが自然と耳を澄ませた――その瞬間だった。ペンチがおれの右手の人差し指をがっちりと挟み込んだ。


「い、痛ってえな! 何すんだババア! いて、やめ、やめろって……ああああっ!」


 母は何も言わず、さらに力を込めた。そして爪を挟み、一気に引き剥がした。


「な、なんなんだよ!」


 おれは痛みに悶えながら叫んだ。母はペンチの先端に摘まんだ爪を眺め、眉をひそめると、地面へ捨てた。


「だから、罰だよ! もう、この子はほんとにもう……人に迷惑をかけちゃいけないって、あれほど言ってきたのに……ほんとにもう……」


「ああっ……!」


 今度は親指の爪をやられた。指先が焼けるように熱くなり、血がぷっくりと盛り上がって、地面へ滴り落ちた。


「小学生のとき、カードゲーム万引きしたでしょ……。お母さん、知ってるんだから……!」


「あああああ!」 


 また一枚、爪を剥がされた。どうやらこれは万引きの罰らしい。母は目尻に涙を溜めたまま、作業のように黙々とおれの爪を剥がし続けた。

 やがておれの両手の爪はすべて失われ、指は真っ赤に腫れ上がり、まるで茹で上がったウインナーのような有様になった。


「じゃあ……次は足の指の爪もいくからね……これは、お母さんの財布からお金を盗んだ罰だから……。九百円も……ほんとに、この子は……そんなことしてたなんて、全然知らなかった……」


「ああああっ!」


 母は「もう、もう」と呟きながら、おれの足の爪を一枚ずつ剥いでいく。万引きも、財布から金を盗んだのも事実だ。だが、母はそれを知らなかったはずだ。現に本人もそう言った。

 それでも、今は全部知られているらしい。これもまた、地獄の仕組みというやつなのだろう。


「この子、人の財布を盗むなんて……!」


「へ、へあ? そ、そんなことしてない……」


「盗んだでしょ! 落ちてた財布を盗んだ! 盗んだの!」


「い、いや、それは拾ったって言うんじゃ……。それに、中身は五百円も入ってなかったし……」


「人様の物をとる子は、こうなるんだよ!」


 母はそう叫ぶと同時に、包丁をおれの胸に突き立てた。「いぎいいいぃぃ!」焼けつくような痛みが一気に爆ぜ、内側から何かが破れるような感覚とともに、血がどくどくとあふれ出す。ニキビを潰したような、ある種の爽快感が顔を出したが、一瞬で流されていった。

 母は刃をぐりぐりとねじ込み、歯を食いしばって腕を動かし続けた。力が足りないせいか、あるいは骨に阻まれているのか、刃は思うように進まないようだ。母の額には汗が滲み、肩で息をし、明らかにやきもきし始めた。


「この子は! ほんとに! なんで! こんなふうに! なっちゃったのよ!」


「ああああああ、ぎいいいいあああああああ!」


 母は釘を打ち込むように、拳で包丁の柄を何度も叩いた。衝撃のたびに刃が押し込まれ、胸の奥で、ぶつりと何かが裂けたような感触が走った。

 やがて、十分だと判断したのか、母は小さく「よっし」と呟き、ズリズリと肉を切り裂くように包丁を引き抜いた。そして次の瞬間、再び振り上げた刃が、おれの腹へ突き刺さった。

 その包丁は昔、母が台所で使っていたものによく似ていた。


「人の物を、とるから……!」


 母は腹を切り裂き、あふれ出す血と臓物の中から胃を掴み出した。手のひらに載せておれに見せつけると、地面に思いっきり叩きつけた。それから自分の手を見つめ、汚いものに触れてしまったかのように顔を歪めると、服の裾でごしごしと拭いた。

 洗濯物を洗濯機に入れるときでさえ、あんな顔をしなかったのに――おれはふとそんなことを思った。


「違法サイトの閲覧ってのもしたのね……?」


「え……? それは別に、みんな普通にあああああああああ!」


 言い終わる前に、ドライバーが左目に突き立てられた。視界がぐちゃりと潰れ、血か涙か判別のつかない熱い液体が頬を伝う。叫び声は徐々に掠れていったが、喉の奥から込み上げる血で潤い、また無理やり引き伸ばされた。


「ち、痴漢なんてこともしたんだね……!」


「は、は? ……あ、それはたぶん、たまたま手が触れたときの話であああああああああ!」


 母はおれのペニスを強く握り、根元に鋸を当てた。刃が往復するたび、全身を雷が走るような痛みが貫く。おれはのたうち回ったが、母は一切手を離そうとしなかった。魚を捌くときのような真剣な目で、おれのペニスを見つめ続けていた。

 叫ぶたび、泡立った血が口からこぼれ落ちた。耐えがたい痛みだったが、それでも意識は途切れなかった。それもまた地獄の仕様なのだろう。気絶すら許されないのだ。


「お賽銭泥棒まで……!」


「してない……! してない! あ、小学生のとき、お地蔵さんから、ちょっと、ああああああああああああ!」


「こんなにたくさん、生き物を殺して……!」


「ほとんど虫だと思うああああああああああ!」


 母はおれの罪を一つひとつ口にし、そのたびに新たな罰を与えていった。包丁で切り、刺し、抉り、アイロンで顔を焼き、麺棒で骨を砕き、フライパンで顔を殴り、ピーラーで皮膚を削ぎ、ミシンで手の甲を刺し、砕けた鼻の穴に歯ブラシを突っ込んでゴシゴシと擦り、潰したほうの目を泡立て器で掻き出し、菜箸を耳の穴に突っ込み、ポットのお湯を喉へ流し込み、お玉を喉に突っ込み、マフラーで首を絞め、植え切り鋏で指を切り落とす。

 いつしか、その目から涙は消え、その身に宿っていたのは、ただ執行官としての使命感だけのようだった。

 どれほどの時間が経ったのか。母は深く息を吐き、静かに腕を下ろした。そしておれの前にしゃがみ込み、顔を近づけてじっと覗き込んだ。


「お…………も……」


 おれは声を出そうとしたが、音にならなかった。すでに舌は、『女の子に見栄を張った罪』で切り落とされていた。


「……よく、頑張ったね」


 母はそう言って、おれの頭をそっとぽんぽんと撫でた。

 その声はあまりに優しく、幼き頃の記憶がふいに蘇った。おれは思わず泣きそうになった。

 母はおれを抱きかかえ、ゆっくりと立ち上がった。そのまま、どこかへ歩き出した。


 やがて、母は歌い始めた。どこか懐かしい旋律だった。胸に熱いものが込み上げる気がしたが、たぶん錯覚だ。首から下はすでにミンチにされている。さっき、その肉で作られたハンバーグを食わされた。喉を通ったハンバーグは首から下へぼとりと落ち、拾い上げられ、また食わされた。原型を失い、どろどろの塊になるまでそれが何度も繰り返された。


「これから沼に沈めに行くからね……あなたは、そこにずっといるの……」


 母は静かに告げると、再び歌を口ずさんだ。

 それは子守唄ではなく、母が好きだった、さだまさしの歌だった。

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