過去と、未来と、今と。
「吸血鬼……」
オーディアは、思わず腕の中で眠るミルを見下ろした。
「ですが、この子は人間です」
「産んだ後に吸血鬼になったんじゃない?」
クーロはあっさり言うが、オーディアは思わず眉根を寄せる。
「……では、貴女の見た女性は、吸血鬼の真祖であると?」
「可能性はあるでしょ。もしくは、真祖が別に居て眷属にされちゃったかじゃない?」
吸血鬼というのは、いわゆる魔物の一種である。
夜に生きる不老の存在で、生物の生き血を糧とするモノだ。
どれ程肉体を傷つけられても復元するが、日光と聖気が弱点であり、水を嫌い、炎で焼けば復元を遅らせることが出来る。
真に強大な魔物……『魔獣』に比べれば弱点が多い分だけ脆いが、人間から見ればかなり強靭な存在だ。
「居るなら、早急に滅ぼさないとちょっとマズいとボクは思うね。だって『魔性』だし」
「それはそうですが……」
クーロの危惧については、当然オーディアも理解している。
吸血鬼に類する魔物の本当に厄介な部分は、知性があること、人を襲って眷属を増やせること、の2つである。
そして知性がある理由は、元々人間だからなのだ。
人よりも強靭なモノらが狡猾に立ち振る舞い、軍隊のように集団で襲い来るのが脅威なのである。
人に近い知性を持つ魔物、あるいは元が人間であり魔に堕した存在は、ただ強い力を持つ魔物である『魔獣』とは別の意味で厄介であり、『魔性』と呼ばれて区別されていた。
そして吸血鬼は、二種類いる。
真祖と呼ばれる存在は、禁呪によって『魔性』と化した者。
そして真祖に血を吸われて殺されることによって、生まれ落ちる眷属だ。
眷属の吸血鬼には眷属を増やす力はないものの、生き血を啜るのは真祖と同じである。
そこで、黙って話を聞いていたシロンが、首を傾げた。
「もしかしたら罠かな、って、ウチは思うかも」
「罠、ですか?」
「そう。聖女は魔物にとって美味しい。その子を囮にして、ウチらを誘き出そうとしてるのかなって」
確かに、その可能性もあった。
アンデッドと呼ばれる類いの魔物は、瘴気を好み、本来は祝福を齎す筈の聖気が弱点になる、いわば反転現象が起こる。
が、『聖気を多く持つ人間』が負の感情を抱いて死ぬと、体内の聖気が瘴気に変わり、それを取り込んだアンデッドはより強大な力を得ることが出来るのだ。
聖女……特に『称号持ち』の聖女は、他の人々よりも大量の聖気を体内に秘めている為、向こうにとっては浄化の力を持つ天敵であると同時に、ご馳走とも言える存在なのである。
「一度、マムとグラン・マに相談しましょう。事実であれば、それが罠だとしても討伐対象です」
「ボクも、そう思う」
「ウチも、そう思う」
二人が頷くと、老兵達が口を開いた。
「俺たちも出張るか?」
「足手纏いにならん程度にゃ、まだ動けるべ」
「腕が鳴るのぅ……」
オーディアは、どこかウキウキしている彼らに対して首を横に振った。
「いえ、皆様がたは出来ればここに居ていただきたい、と思います。サイエンらとこの子を、守っていただきたいのです」
サイエンには、既に『乳母として教会に一時移住してほしい』と話をつけている。
しかし宿屋の店主である彼女の夫、アクスが店を空ける訳にはいかない為、少なくともホロビタの街の状況をオーディアらが確認して帰還するまではここに居てもらう予定だった。
留守中に、どんな危険が襲ってくるか分からないからである。
元【勇者小隊】のアクスと彼らが居れば、襲撃されたとしてもどうにかしてくれるだろう。
「よし、なら準備するか」
「宿屋の周りに罠でも仕掛けるべ」
「ワシは武器でも持ってくるかのぅ……」
老兵達が動き始めるのを見て、オーディアはシロンに目を向ける。
「シロン、わたくしを視ていただけますか?」
未来を視る〝神託の聖女〟シロンの力は、クーロの過去視に比べると不安定なものだ。
確定していない物事は、何らかのきっかけですぐに揺らいでしまう。
しかし全く何も分からないよりは、『どう動いたらいいか』の指標にはなるのである。
「分かった」
シロンが歩み寄ってくると、クーロと同じように瞳に光が揺らぐ。
違うのは、彼女が触れているのがおくるみだった布ではなく、ミルを抱くオーディアの腕という点だった。
「……フリギィオ兄ぃのお墓が見える。オーディア姉ぇも、ウチらと一緒に立ってる。武装してる」
「ええ、他には?」
「フードを被った外套姿の誰か。なんか慌てて逃げてる。大通り……ホロビタの街が、壊れてない」
不審者の言葉は、事実だったのかもしれない。
それがオーディアの見た景色だというのなら、おそらくは先ほどの旅人だろうか。
教会に侵入した不審者と何らかの繋がりがあるようなので、オーディアはそう推測した。
「後……もう一つ」
そこで、シロンが眉根を寄せて言い淀んだ。
「これ……」
「どうなさいました?」
瞳から光の揺らめきが消え、彼女はオーディアとクーロを交互に見た後、小さく呟いた。
「ーーーフリギィオ兄ぃがこの子の顔を愛おしそうに見てるのが、見えた」
その言葉の意味を、オーディアは一瞬、理解出来なかった。
「……フリギィオが……?」
「そう……何だろう?」
シロンは戸惑う理由も、よく分かる。
フリギィオは、もう三年も前に死んでいるのだ。
それも、死体すら跡形も残さない形で。
「何かが、フリギィオに化けている……?」
「そうかもね」
不測の事態に弱いシロンと違い、面倒くさがりだけど柔軟なクーロは特に動じていなかった。
「未来視は確実じゃないけど、見えた光景が生まれる可能性は高い。そうなると、魔物がフリギィオ兄ぃに化けてるっていうのが、一番あり得る」
オーディアは、その言葉に思わず目を細めた。
「フリギィオを騙る者がいる……」
それが事実だとすれば、非常に赦し難い話だった。
勇者フリギィオは、名誉の戦死を遂げたのである。
それが、どれ程に胸を引き裂くような事実であったとしても。
大切な人々を守る為に戦い……オーディアを守る為に、フリギィオは命を散らしたのだ。
あの時。
魔神にトドメの一撃を放てるよう、最後の力を振り絞ってフリギィオの傷を癒やしたオーディアは、疲労の極致で足が動かなかった。
魔神の断末魔の一撃に対して、フリギィオは二つの命を天秤にかけ、最後にオーディアの命を選んだのだ。
だから、オーディアは死ななかった。
どれ程『生きているフリギィオと生涯を共にしたかった』と望んでも、それを口にする資格はなかった。
どちらかしか選べない状況で、彼は最後まで『守りたいものを守る』ことを選んで、この世を去ったのだ。
ーーーそんなあの人の死を、冒涜するなど……!
思わず、腕に力が籠りそうになる。
例え姿形だけだとしても、フリギィオを弄ぶ者がいるのなら。
「戦女神の御名の下……サーチ&デストロイですわ……!」
目の前に姿を見せたら、縊り殺してやろう。
そうオーディアが決意していると、クーロとシロンが顔を見合わせた。
「落ち着いて、オーディア姉ぇ。何も調べてないのに先走り過ぎ」
「落ち着いて、オーディア姉ぇ。いつもそうやって思い込み過ぎ」
双子に言われて、オーディアはハッとした。
「そうですね……失礼致しました。まずは、ミルのことです」
フリギィオの偽物に関しては、ひとまず姿を見せたら考えることにした。
それよりは、ミルの素性調査と安全確保が先決である。
「クーロの過去視と、シロンの未来視を考え合わせると、ホロビタの街に異常が起こっているのは事実のようです。まずは準備を整えましょう」
武装していたというのなら、おそらくは荒事になるだろう。
旅人の追跡を始めたイロカの装備を含めて、荷物を纏めておかなければならない。
サイエンにミルを預けに行こう、と思ったオーディアは、クーロとシロンがミルを見ているのに気づいた。
「……顔を、よく見ますか?」
「うん」
「うん」
どうやら二人も、イロカと同じようにミルが気になっていたようだった。
オーディアが腰を屈めて顔を見せると、二人の表情が綻ぶ。
「ボクは、この子を可愛いと思うな」
「ウチも、この子を可愛いと思うよ」
「ええ」
そこで、シロンがちょっと表情を悲しそうなものに変える。
「……もし吸血鬼になっちゃった人の子だったら、可哀想だね」
するとクーロが、首を傾げる。
「そうかな。もしそうでも、オーディア姉ぇがいるから、実の親とかどうでもいいんじゃないかな」
双子の言葉に、オーディアは少し胸が締め付けられた。
クーロとシロンは、その力のせいで実の親に捨てられ、養父になった老魔導士……ソーサに拾われたのだ。
そして魔神討伐の戦線に加わることを了承してくれたソーサを『自分たちも助けたい』と、周囲の反対を押し切って、僅か11歳で【不死兵団】に入隊した。
「オーディア姉ぇは、可哀想だと思うかな?」
「オーディア姉ぇも、可哀想だと思ってる?」
そっくりなようで実はそうでもない二人の問いかけに、オーディアは微笑んだ。
「どちらも意見も、分かりますよ。でもそう、フリギィオの件と同様、今は関係ないことでしょう?」
イロカには、『今、思い切り可愛がれ』と言われた。
ミルの実の親が吸血鬼かそうでないかで、もしかしたら手放さなければならないのかもしれない。
どちらにも喜びと悲しみが伴うので、どちらの意見が間違いというわけでもないし、オーディアは自分がどちらを望んでいるのか自分でも分かっていなかった。
「ミルに、触ってみますか?」
「いいの?」
「いいの?」
「ええ。起こさないように、そっと、ですよ」
もう15歳になった双子は、恐る恐る赤子の頬に触れると、年相応に顔をほころばせた。
「やっぱり、可愛いな」
「やっぱり、可愛いね」
そうして、少しの触れ合いの時間を過ごしていると、サイエンが自分の子を抱いて、食堂に降りてきた。




