赤子に名前をつけました。
ーーーフーインの町の集会所近く、酒場兼宿屋。
「ちょ、ガチかわちぃゅ〜〜〜〜♡」
夜が明け、朝の慌ただしさが落ち着いた頃合いになって、褐色肌の聖女イロカが宿の奥にある、サイエン達夫婦の住む部屋に訪れていた。
「ふにゃふにゃだゅ〜♡ ほっぺツンツンしたいゅ〜♡」
イロカは、流石に昨夜のようなネグリジェ姿ではないものの、非常に変わった服装を好んでいる。
シスターベールもウィンプルも被っておらず、シスター服も自分で勝手に形を変えて、お腹が見える上衣と丈が非常に短いスカート、と原型をほぼ留めていなかった。
胸元から首を覆うハイネックの白い部分だけが、元はシスター服なのだろうと窺い知れるくらいである。
彼女は元々、貧民街出身の踊り子であり、〝奉納の聖女〟という称号を与えられていた。
歌と舞踊に秀でており、聖なる結界の構築と精霊の招来に長けている。
そんなイロカは、〝神の隠し子〟とサイエンの子にデレデレしながら、ベビーベッドを覗き込んでいた。
サイエンは、今席を外している。
不審者の動向や情報を元に調査に必要なものがあり、それを取りに行ってくれているのだ。
「二人とも、名前は決めたゅ?☆」
いつでも明るい彼女が、八重歯を覗かせながらパッとこちらに顔を向けたので、オーディアは答えた。
「我が子はまだです。サイエンの子はスルスだそうです」
二人とも、女の子である。
『我が子』は何度か目を開いたのだけれど、紫の瞳をしており、その灰色の髪と相まって、本当にオーディアとフリギィオの子に感じられた。
「名前、つけないゅ?」
「考えてはいるのですが……」
キョトンとイロカが首を傾げるのに、オーディアは微笑んだ。
「それをグラン・マに伝える前に今回の件が起こってしまったので、保留しているのです」
オーディアは、『我が子』に目を向けた。
生まれたばかりの赤子は、腕の中どころか手のひらにすっぽりと収まりそうな大きさだ。
抱けば暖かく、まだ誰のことも分からないだろうけれど、たまに笑みのようなものも見せる。
そうした様子は非常に可愛らしく、泣き声もまだふやふやと弱々しい。
少々離れ難い程に愛おしく、眠っている間も抱き上げてみたくなるが、同時にオーディアには少し複雑な気持ちもあった。
「もし、この子が本当に拐われてきた子なのであれば……親元に返さねばなりませんし」
あまり情を移してしまっては辛いかもしれない、と、そう思いながら、オーディアは話を変えた。
「『育てて下さい』という書き置きがあったことから、預けられたことは間違いないと思っておりました。けれど、不審者の言っていることが事実だとすれば、わざわざ拐った上で捨てたということになります」
何のために、というその部分が少々引っかかっていた。
そして捨てた先が、オーディアら退役聖女の住む教会だと知っていたのかどうか。
するとイロカが、こちらの鼻先に指を突きつけてきた。
「……何でしょう?」
「オーちんから、いつもの嘘つきの匂いがするゅ〜☆ 自分の気持ちを誤魔化す時に話をすぐに逸らすゅ〜!」
ふふ〜ん、と笑ったイロカは、ペちりとオーディアの頬を両手で挟んだ。
「先のことを考え過ぎてウジウジ悩むのはダメだって、フリギィオも言ってたゅ? もし返さなきゃいけない時は、その時に悲しめばいいゅ☆」
「……」
「名前くらいさっさとつけて、いっぱい可愛がればいいゅ!! お別れになっても、会いたかったら会いに行けばいいゅ☆」
イロカはニパッと笑ったまま、両手を離して腰の後ろに回した。
「……だってあーし達は、まだ生きてるゅ? 生きて会える間に、やれることはやるゅ☆」
言われて、オーディアはハッとした。
『騒ぐ時は、皆で一緒に大騒ぎしよう。ふざける時は、ふざけよう。それが楽しい思い出になるんだ。真面目にやるのは、真面目にしないといけない時だけで良いんだよ』
そう言っていたフリギィオは、死んでしまった。
イロカを踊り子の一座から買い取って仲間にした武闘家も、行方不明になってしまった。
『俺は、君の笑顔をいっぱい覚えていたいよ。オーディア』
いつ会えなくなるかも、分からない。
今を逃せば、二度とないかもしれない。
「そう……ですね」
「そうだゅ☆ この後どうなるか分からなくても、今、この〝神の隠し子〟はオーちんの子だゅ!」
言われて、オーディアは改めて『我が子』に目を向ける。
人の手を借りなければ生きることすら出来ないのに、そこに存在するだけで人を笑顔にするのが、赤子という存在だ。
オーディアは『我が子』を、起こさないようにそっと抱き上げる。
この暖かさも、小ささも、今しか感じられないものだった。
「オーちんの決めた名前は、なんて言うんだゅ?☆」
イロカがオーディアの肩に顎を乗せて『我が子』の顔を覗き込むと、目尻を落としながら囁いた。
オーディアは、腕に抱いた子の顔を見つめながら、それに答える。
「……ミル。わたくしが考えたこの子の名前は、ミル、です」
それは古語で『始まりの幸福』を意味する言葉だった。
「良い名前だゅ☆」
「ありがとうございます」
いつも間違いに気づかせてくれる親友にポンポン、と背中を叩かれて。
オーディアは、自分の元に訪れた幸福の価値を感じつつ、心から微笑んだ。




