第三章:陽だまりの決意
浩一が着席した後も、教室にはしばらくの間、気まずさと戸惑いが入り混じったような沈黙が続いていた。
(藤原くん……)
俯いた静香は、自分のために動いてくれた彼の背中を、瞼の裏に焼き付けていた。嬉しい。胸が熱くなるほど。だが、それと同じくらい、苦しかった。私のわがままな夢が、彼を、クラスを、この厄介な渦中に巻き込んでしまった。このままでは、応援してくれた彼の顔に泥を塗ることになる。顔を上げることができなかった。
やがて、終わりを告げるチャイムが鳴り響くと、その音に弾かれたように、静香は誰よりも早く席を立った。
クラスメイトたちの視線が突き刺さるようで、たまらず鞄を掴むと、逃げるように教室のドアへ向かう。
「あ、宮前さん!」 恵の声が背中に聞こえたが、振り返ることはできなかった。俯いたまま早足に廊下を進み、階段を駆け下りる。その寂しそうな背中を、恵と浩一は見送った。
二人は言葉もなく頷き合うと、静香の後を追った。
人影もまばらな昇降口。その隅で、静香は壁に寄りかかるようにして、ゆっくりと上履きを脱いでいた。追いついた恵が、息を弾ませながら彼女の隣に立つ。
「静香……!」
「……恵」
静香は、無理に笑顔を作ろうとして、失敗した。その表情を見て、恵は胸が締め付けられる思いだった。
「ごめん! 私、クラスのみんな、絶対賛成してくれるって、勝手に思い込んじゃってた。先走って、静香に嫌な思いさせちゃったよね。本当に、ごめんなさい」 恵が頭を下げると、追いついた浩一が、静香の顔を覗き込むようにして短く尋ねた。
「大丈夫か?」 二人の心配そうな視線を受けて、静香は一瞬だけ唇を噛んだ。
だが、次の瞬間、ふわりと、陽だまりのような笑顔を見せた。それは、全てを受け入れた者の、澄んだ光を放つ笑顔だった。
「二人とも、心配しすぎだよ」 静香は、楽しそうに小首を傾げた。
「私は、歌手になろうとしてるのよ。ステージに立って、歌を届けたいの。マイクがなくたって、ステージが小さくたって、歌えって言われたら、喜んで歌う。だから、安心して」 その言葉には、一片の迷いもなかった。
一番辛いはずの静香が、誰よりも強く、まっすぐに前を見据えていたのだ。 恵は浩一と顔を見合わせた。彼の瞳にも、自分と同じ種類の驚きと、そして安堵の色が浮かんでいるのが分かった。
(そうだ……私が落ち込んでどうするんだ) 恵は、自分の頬を両手でぱちんと叩いた。
「よし! 決めた! やれるだけのことを全部やろう!」 その声に、静香が嬉しそうに頷く。
「マイクがないなら、どうする?」 浩一が、冷静な声で最初の課題を口にした。彼は、この決意の光こそ、自分が守りたかった静香の魂だと悟っていた。もう感傷に浸る時間は終わった。ここからは、夢を叶えるための現実的なサポートだ。
「順ちゃんのピアノと、静香の声があれば大丈夫! きっと体育館の一番後ろまで届くよ!」 恵が拳を握って答える。
「アカペラで響くような演出を考えるしかないな。照明も普通のじゃ、ステージが寂しくなる」 「照明! それなら、豊に相談してみようよ! 実家の電気屋さん、確かイベントの照明とかもやってるって言ってたし!」 逆境が、かえって三人の創造力に火をつけた。
ないものだらけのステージ。だが、だからこそ、自分たちの手で作り上げられるものが無限にあるような気がした。
夕暮れの光が差し込む昇降口で、三人の作戦会議は熱を帯びた。その顔にはもう、迷いや不安の色はなかった。




