プロローグ
体育館へと続く渡り廊下を、2年B組の列は一つの生き物のようにゆっくりと進んでいた。
ひやりとした秋風が頬を撫で、どこかのクラスのたこ焼きが、熱を持った秋風に乗って匂いを運んでくる。文化祭二日目の喧騒が、分厚い壁の向こうでくぐもって聞こえた。
誰もが口を閉ざし、足音だけがやけに大きく響く。これから立つステージの重みが、クラス全員の肩にのしかかっているようだった。
木村恵は、列の中ほどで、数人前にいる宮前静香の背中を見つめていた。夏休み前よりも少しだけ細くなったように見える、まっすぐに伸びた背筋。この日のために、彼女がどれだけのものを懸けてきたか、恵は知っている。
ちらりと視線を横にやると、藤原浩一が硬い表情で前を見据えていた。夏の間、誰にも見せないように隠していた彼の静香に対する切実な想いも、恵は知っていた。
(静香の夢を奪うことはできないと、彼自身が、静香との別れを選んだのだと、恵は悟っていた。)
ざわめく心臓を落ち着かせるように、恵は深く息を吸う。 進学校である湊高校では、文化祭への参加は建前上、自由参加とされている。だが、その自由を行使する生徒はほとんどいない。『調査書』――内申書に記される『課外活動』のたった一行のために、誰もが進んで「協調性」を示そうとするのだ。
そんな打算から始まったはずの合唱だった。
でも、今は違う。少なくとも、私たち仲間にとっては。 体育館の巨大な扉の前で、列が止まる。舞台袖の独特の匂い――埃と、古い木の匂い、そして誰かの汗の匂いが混じり合って、否応なく緊張感を高めていく。
「――宮前さん」 恵が声をかけると、静香がゆっくりと振り返った。
その瞳は、不安と期待がないまぜになって、潤んでいるように見えた。 「大丈夫。みんな、ついてるから」 静香は小さく頷くと、もう一度前を向いた。
その先には、まばゆいスポットライトが作り出す光の海と、私たちの最後のステージが待っている。
これから、たった一度きりのアンコールが始まる。




