2 魂の目覚め
……ボクが目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。
ボクは頭部に衝撃を受け、顎を骨折し、数日間、意識不明の状態だったらしい。
その間、生死の境を彷徨っていたということを、後で、お医者さんから聞いた。
ママも、お医者さんの横で涙をながしながら、その話を聞いていた。
意識を取りもどしてからも、ボクは自分の名前を思い出せなかったらしい。
聞かれることに、ほとんど答えられなかったということだ。
そのことも、ボクの記憶にはない。
目を覚ましたとき、ベッドの脇にママがいたことは覚えている。
なぜなのか、ママのことは覚えていて、すぐにわかった。
「アッ! アキラ、気がついた! アキラ、大丈夫! アキラ!」
ボクは喋れなかったけど、ニコニコしながらママを見返したらしい。
ボクのことを心配して涙をながすママの様子が、なんとなく面白かったのかもしれない。
そのとき、なんだか病室全体がみょうに白っぽい光に包まれてるなと思ったのを印象的に覚えている。
完治には半年と、家族は言われたようだ。
集中治療室では、毎日のように入院患者が死んでいた。
ボクの隣のベッドに寝ていた人が翌日には亡くなるということも何度かあった。
ボクは自分が誰なのかもわからないまま、『死ぬなら、死んでもいいや』と思っていた。
もっとも、正直なところ、死ぬということも、生きるということも、ボクには実感がなかったし、よくわからないことだった。
ママは、病室にくるたびに涙を流しながら、「頑張ってね! 頑張ってね! アキラが帰ってくるのを待ってるよ」と言った。
パパとケントも泣いていた。
ボクはママを見た。パパとケントを見た。
ボクはニコニコしながら、
「大丈夫だよ。すぐになおるから、安心して」
ベッドに寝たきりだったけれど、ボクはケガがすぐになおると思っていた。
正直に言うと、「頑張ってね!」と言われる理由がよくわからなかった。
ボクは、子供だからなんだろうか、生きるということも、死ぬということも、よくわからなかったし、実感がなかった。
「お兄ちゃん、ボクがわかる。ケントだよ」
「アキラ、頑張るんだ! アキラが戻ってくるのを、みんな、待ってるよ!」
パパの大きな声がボクの中に入ってきた。
声は大きかったけど、パパは不安そうな目でボクを見ていた。
パパの横で、ママとケントも、同じように不安そうな顔をしていた。
そのとき、ママとパパとケントの三人の、ボクのことを心配する強い想いのようなものがボクの心のなかに入りこんでくるのがわかった。
三人が心のなかで思っていることが、まるで口から出された言葉のようにボクの心のなかで言葉となって響いてきたのだ。
ボクは、急にうれしくてたまらなくなって胸のなかがあつくなった。
『死にたくない! まだ、生きていたい!』
急に、ボクはそう思った。
すると、いまでも不思議に思うんだけれど、「生きたい! 生きていたい!」という強い思いが突き上げるようにボクのうちにわき起こってきた。
お腹の底から、なにか、熱い塊のようなものが、説明するのが難しいのだけれど、「念の塊」のようなものがわき起ってきたのだ。
ボクは意識を失った。
高熱を出して、緊急治療室に移された。
それから、不思議なことに病状が一気に改善の方向に向かうことになった。
一か月後、ボクは家族に迎えられて退院した。
「こんな患者さんは見たことがないよ。奇跡だね。信じられないことが起こったんだよ」。
お医者さんは笑いながら何度もそう言った。
家に帰った日、ボクは大はしゃぎした。
久しぶりに家に帰れたのがうれしかったのと、ボクの目に映る家の中の様子がなんだか、やたらと新鮮に思えたからだ。
「病院に入院しているとき、夢で、何度も家の様子を見たよ。そのままだね」
興奮してそういうボクを、パパとママは不思議そうな顔で見返した。
夕食のテーブルでも、ボクは大声で話し、よく笑った。
パパもママもケントも、不思議そうに箸をとめて、ボクを見ていた。
家族が知っている、それまでのボクはあまり口数も多くはなく、大声で笑ったりするタイプではなかったらしい。
退院したばかりの病人が、なんだか別人のように明るいので家族は驚いたようだった。
帰宅して暫くは自宅療養ということになった。
記憶はもとどおりに戻ってきたし、顎の骨折箇所もまったく傷も残らないで治っていた。
体にも異常はなかった。
・・・
「じゃあ、出かけるから、後はお留守番、お願いね!」
「はい!」
朝、最後にママが出かけると、ボクは独りになる。
体は普通に健康なのに家にいるのは退屈だった。
表向き「自宅療養」ということになっているので、外を出歩くわけにもゆかなかった。
ボクは家の中でテレビを見たり、本を読んだりしたけれど、すぐに飽きてしまった。
そして、気がつくとウツラウツラしていることが多かった。
そんなとき、ボクは何度も同じ夢を見た。
それは、ボクが車に跳ねられて、地面に叩きつけられた後の夢だった。
跳ね飛ばされて気を失っているボクの周りに人が集まってくるのを、ボクは上の方から見下ろしていた。
ケントが泣き叫びながら、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と大声をあげていた。
タダシもマユミも集まった野次馬の中にまじってボクを見ていた。
それから暫くすると、警察がきて周囲の交通規制をはじめた。
間もなく、けたたましくサイレンを鳴らして救急車が到着した。
救急車はボクを乗せると、走り出した。
ボクは、その救急車が病院に到着するまで、ずっと救急車の少し上の方を飛ぶようにしてついていった。
救急車の中に寝かせられたボクの体から空中に浮かんだボクまで、銀色のロープのようなものが延びているのがわかった。
搬送されて行く途中、ボクの頭の上の方に光の渦巻きのようなものが出てきた。
それはビックリするような、圧倒的な光だった。
その光からは、なんともいえない暖かさがボクの中にしみこんでくるようだった。
ボクは、その渦巻きに吸い込まれていったような気がする。
・・・
「よう、元気か?」
「もう大丈夫なのか?」
ようやく学校に行くようになると、クラスメートたちが寄ってきてボクを取り囲むようにして、事故のことを根掘り葉掘り聞いてきた。
「オレ、あのとき、あのバスに乗ってたんだ。みんな、びっくりしてたよ」
「お前だって聞いたときには、驚いたよ!」
あの日、あのバスに乗っていたクラスメートの中には実際に事故を目撃して、よく覚えている人もいるようだった。
タダシとマユミはボクの方には近づいてこないで、遠巻きにボクの様子をうかがうように見ていた。
クラスメートたちからはいろいろと聞かれたけれど、ボクのほうは、正直、なんて答えたらいいのかわからなかった。
ボクはただニヤニヤ笑って、「なんでもないよ。大丈夫だよ」とか答えるしかなかった。
「即死だったって聞いてたぞ!」
「お前、不死身かよ!」
「どこも悪くねえのか?」
みんなは、そう言って笑った。
はじめはさすがに遠慮がちだったけれど、ボクが元気なのがわかると、おずおずと体をさわりはじめた。
それが段々に無遠慮になり、アチコチ触りはじめた。
仕舞には、「不死身だ! 不死身だ!」と言いながら、ボクの体を撫でまわして大笑いになった。
みんなは、ボクのことを一体なんだと思ってるんだ。
いまは元気だとはいえ、交通事故にあった、瀕死の病人だったんだ。
奇跡的に生き返ったとはいえ、多少の遠慮はあるだろう!
放課後になると、タダシとマユミがボクに近づいてきた。
「よう! 元気になって、よかったな」と、タダシ。
「病院にお見舞いに行ったけど、家族以外は面会禁止だって言われて、花束だけを置いてきたよ」と、マユミ。
タダシもマユミもビミョウな顔をしてボクを見ていた。
彼らの気持ちが、まるで具体的なモノでもあるかのように伝わってきた。
ボクは二人の気持ちをしっかりと受け止めた。
「うん、一時はあぶなかったんだって。お医者さんが言ってた。なんだか、一時は、本当に死んでたらしいよ。それから気がついて、最初は記憶がなかったんだけどね、だんだんに戻ってきて。ハハハ……。いまは、この通り元気だよ!」
そういうと、後はなんって言ったらいいのかわからなくなって、ボクは黙った。
なんだか、照れくさいような気がした。
そうだった。
マユミが言ったように、二人がお見舞いに持ってきてくれた花束は、ボクが目を覚ましたとき、ボクのベッドの近くにあった。
「気がきくのね、二人そろって」とママは言っていた。
ボクは、二人が持ってきてくれた花束を見ながら、こういうときには、こうして花束を持って見舞いにくるものなかのとか、つまらないことを考えていたのを思い出した。
タダシとマユミからも、事故のことを根掘り葉掘り聞かれたけれど、本当のところ、ボクにはあまり実感がなく、よくわからない体験だった。
事故は、あんまり突然だったし、あんまり簡単に終わってしまったからから、ボクには、そんなふうにしか言いようがなかった。
たしかに、一時は深刻な状態だったのかもしれない。
けれど、結局のところ、簡単に終わってしまった一つの出来事にしか過ぎなかった。
それに、このときにはボクはもうすっかり健康で、ボクを取り囲むクラスメートとなにも変わったところがなかったからだ。
ボクは改めて、本当に運がよかったんだと思った。
ものすごい衝撃を受けて、乗用車に跳ね飛ばされて、大ケガをして、意識不明にはなったけれど、なんの異常もないなんて。
お医者さんが言うように、本当に奇跡だったのかもしれない。
家族もみんな、そう思っているようだった。
学校に通うようになってからも、ボクにはなんの異常もなかったし、後遺症もなかった。
そして、いつもの退屈な時間が少しずつ経つうちに事故自体がなんだか夢のような気がしてきた。
もしかしたら、みんな、ボクが自分の頭のなかでかってに考え出した出来事だったんじゃないのだろうか、そんな気がするほどだった。
そして、また、以前のままの日常が戻ってきた。
ボクはいつのまにか学校にも、クラスメートにもなじめない「異邦人」にもどっていた。
学校の生活はボクとは関係のないところで流れていて、ボクは、いつも、その流れの外側にいるような気がするのだった。
しかし、このとき、ボクはまだ、これがボクという魂の目覚めをうながすために、ボク自身が計画した出来事だったなんてまったく知る由もなかったのだ。
第2章を投稿しました。
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