第三夜 保護
月日は流れた。
湊と颯が身を潜めた森の奥深く、小さな小屋の周囲には、時折、淡い光をたたえる花が咲くようになった。誰が植えたわけでもない。けれどそれは、夜桜のように静かで美しく、しかし決して手折ることのできない気配をまとっていた。
颯は成長していた。
身体は弱く、時折、高熱を出しては湊を慌てさせたが、それでも不思議と致命には至らない。死の気配が身近にあるはずなのに、それを弾くように命を保っている。
まるで──
「……お前の中に、何かが宿っているのか……?」
湊は火をくべながら、颯の寝顔に目を落とす。病に伏したときの頬は透けるほどに白く、それでも瞼の裏には淡い光が滲んでいる。まるで、まだ見ぬ「神の光」のように。
そのとき、小屋の扉がわずかに軋んだ。
湊は素早く振り返った。風か、獣か。それとも……
「……誰かいるのか」
静かに立ち上がり、扉を開け放つ。
そこには、森に似つかわしくないほど整った装束を纏う者がいた。
白百合家の、それも高位の者がまとう、式衣。
「黒百合湊……」
その男は、名を呼んだ。口元に笑みを浮かべながらも、その目はまるで仮面のように冷たい。
「久しいな。生きていたとは、さすが"不死"の器だ」
湊は睨みつけるように、彼を見据えた。だが赤子を抱いていたあの夜とは違う。今は、自らの意思で「守るべきもの」がある。
「何の用だ。証拠隠滅の続きをしに来たのか?」
「勘違いするな。あれは"上"の判断だ。私たちは命令に従っただけに過ぎない」
「命令……?」
男は一歩、小屋に足を踏み入れた。
「黒百合家は、あの日死にすぎた。呪いが飽和し、"死"が暴走寸前だった。すでに制御は不可能と判断された。だから……終わらせた。全てを」
湊の目が細くなる。
「お前たちが決めることじゃない……!」
「そうだ、だから我々は"判断を仰いだ"。神に」
リイヴ神──生を司る神。その名を冠した白百合家が、"神の意志"を語る。
湊の中で、怒りと、そして別の感情が膨らむ。
恐怖だ。もし彼らが再び颯を狙うなら。
──あの夜、生き残った理由は、ただの奇跡ではない。
「颯には、何の罪もない」
「そうだな。だが……彼が黒百合の血を継ぐ以上、黒魔術師として目覚めるだろう。フィーネ神の系譜は、そう簡単に消えはしない」
「だからどうする……殺すのか?」
男は微笑を深めた。
「いや……迎えに来たんだよ」
湊は一歩、前に出た。
「颯を、渡す気はない」
沈黙が走る。
次の瞬間、森の影がうねった。
何かが、小屋の外に無数に現れた。白百合家の家紋。小さき神獣たち。仄かに香る香木の香り。彼らは黒百合家を存続させるために来ていた。
「ならば、力を示せ。落ちこぼれよ。かつての黒百合がそうしたように」