Episode85: 春服を買いに行こう
朝、こたつに足を突っ込んだ瞬間、思わず息を吐いた。
「……ふわぁ、あったけぇ」
外はもう春の空気に変わりつつあるのに、ボロアパートの室内はまだ冬を引きずっている。特に朝は冷える。だから結局、こたつから離れられない。
「ねえ、リュウセイ」
向かい側から、クロが顔を出した。
こたつからひょこっと覗くその姿は、相変わらず生活感と非日常が同居している。
「なんだ、クロ?」
「あさはさむくて、おひるはあついね」
その一言に、少し考えてから頷いた。
「あー……確かに」
言われてみれば、最近は日中に外に出ると暑いと感じることが増えてきた。
なのに、自分たちが持っているのは冬物ばかりだ。
そういえばここに来たのは11月末で、そこからずっと冬対策ばっかりしてきた。
だから服も厚手のものしかない。
こたつの反対側で、敦史がスマホから目を離さずに言う。
「そういや薄手の服って、ほぼ買って無いよな」
「だよなあ……」
俺は自分のパーカーの袖を見下ろした。裏起毛。完全に冬仕様だ。
「っていうかさ、俺ら……春服って概念、なかったな」
「まあ、確かになかったな」
即答だ。
修二がマグカップを置きながら、静かに口を開く。
「いい時期だし、そろそろ買いに行くしかないだろ?」
その一言は、妙に現実的で、そして正しかった。
数時間後。
俺たちは隣駅のショッピングモールに来ていた。
スプリングセールとでかでかと広告されているせいか、いつもより人が多い。
その、人の多さにクロはリュックの中でおとなしくしているが、きょろきょろと興味津々なのは伝わってくる。
「…ひと、おおいねぇ」
「まあセールやってるみたいだしなあ」
俺は軽く答えながら、店のショーウィンドウを見た。
軽い素材の服、明るい色、動きやすそうなデザイン。どれも今までの自分たちとは少し違う世界のものに見える。
「……こういうの、いままであんまりちゃんと選んだことなかったかもな」
ぽつりと呟く。
横で修二が無言でラックを見ている。手に取る服はどれもシンプルだが、妙に質が良さそうなものばかりだ。
「修二、なんかもう“分かってる”感あるよな」
「別に。無難なものを選んでいるだけだが?」
そう言いながらも、選ぶスピードがやけに早い。
「いや絶対なんか明確な基準がある選び方だろそれ……」
その隣で敦史は、明らかに別の方向に意識が向いていた。
「……あ」
「どうした?」
「…おお、これ見てみろよ!」
指差した先には、でかでかとゲームコラボのウェアコーナーがあった。
「お前……やっぱそこ行くのかよ、どれだけゲーム好きなんだ」
「いや、これは普通に気になるだろ。あと動画配信で着たいって思ってさ」
「配信?」
「なんかコメントとかで近寄りがたいって言われることがあってさ。
だから“同じゲーム好きですよ”って分かる要素がなんか欲しいんだよ」
それはちょっと意外だった。
「コメントとかあんまり見ないようにしてるとか言ってたけど、
そういうの気にしてたんだな」
「まあ、たまたま見ちゃったとき目についてな。……あと普通に好きだし
これとかあの名作ゲームのコラボでさ、このパーカーと同じガラのアイテムが…」
視線の先の服を見ながら嬉しそうに言う敦史のその姿は、いつもよりも少しだけ年相応に見えた。
店内を歩きながら、ふと気づいた。
修二の隣に立つと、その差がよく分かる。
肩幅、腕の太さ、全体の厚み。明らかに俺とは違う。
「……修二ってさ、やっぱ鍛えてるよな」
「ああ、まあ具合が悪いときじゃないときは、毎日何らかトレーニングはやってるな」
「うーん、俺もやった方がいいかなあ……筋トレ」
「何か気になるなら、やればいいさ」
「軽く言うなあ」
苦笑しながらも、修二は少しだけ視線を落としたように見えた。
「俺は…コンプレックスがあったんだよ。
小中学の頃は、ガリガリだったから。
なんか背だけ高くて、ひょろひょろでさ」
見下ろされるような視線。頼りなさそうに見られる空気。
言葉にすると、少しだけ当時の感覚が蘇るようで、わずかに修二は目を伏せた。
……それは、ちょっと意外だった。
「だからまあ、今は多少はマシになったけど……体力もつくし、やった方がいいぞ」
修二は淡々と俺に言う。
「俺はパス」
即座に敦史が切り捨てた。
「お前なあ……」
「今は必要性を感じない、めんどくさいし」
「極端すぎるだろ」
そんなやり取りをしながら、俺はなんだか少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
ふと、リュックが揺れる。
「ねえ、なんで、
みんなはふくをきるの?」
「……え?」
俺は思わず聞き返した。
「さむいから、でしょ?」
「うん、まあ、今はそれが一番だけど」
「でも、いま、さむくないよ?」
確かに、その通りだ。
「……そうだな」
なるほど、普段クロは服は着ていない。
寒い時は毛布をまいたりはするが……あまり服と言う概念が無いのだろう。
俺は少し考えてから答えた。
「人間は裸で外を歩くと捕まっちゃうんだよ。
それにわかりにくいかもしれないけど、寒さ対策だけじゃなくてさ、
見た目とか、自分がどう見えるかとか……そういうのもあるんだよ」
「どうみえるって、なに?」
「うん。“こういう人です”っていうのを、服でちょっと表す感じ」
クロは少し黙って、それから言った。
「じゃあ、クロもきたほうがいい?」
「うーん……今は大丈夫かもしれないけど
暑いときとか、逆に暑さを防ぐために必要かもな」
「そっか」
納得したのかどうかは分からないが、クロは満足そうに引っ込んだ。
店を出る頃には、それぞれ袋を持っていた。
修二はシンプルで整った服を数点。敦史はコラボTシャツを含めた数着。
俺もとりあえず動きやすそうなものを選んだ。
帰り道、少しだけ暖かい風が吹く。
「……なんかさ
服って思ってたより面白いな」
「今更か」
「いやほんと今更なんだけどさ」
苦笑する。
同じ“服を買う”って行動でも、選び方も理由も全然違う。
機能で選ぶやつもいれば、見せ方を考えるやつもいる。
好きなものを前面に出すやつもいれば、そもそも概念が違うやつもいる。
「個性出るなあ、ほんと」
ぽつりと呟く。
そして少しだけ、自分の手元の袋を見る。
「……俺らしさって、なんだろうな。
こういうの、ちゃんと考えたことなかったかもしれないな」
答えはまだ出ない。
でも、それを考えること自体が、ちょっとだけ楽しいと思えた。
春の風はやわらかくて、少しだけ軽い。
その夕暮れの中を、三人で並んで歩いていく影が伸びていた。




