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Episode 81: 山の花見

春が近づくと、世の中は急に桜の話ばかりになる。


テレビでもスマホでも、開花予想だの桜前線だの。

地図の上をピンクの線が北上していくのを、俺たちはこたつに入りながら眺めていた。


正直、俺たちには縁のない話だった。

残念ながら俺たちには、人並みの花見は無理だ。

理由は……人が集まる場所にクロは連れて行けない。

そもそもクロ自身が怪人の姿なので目立ちすぎる。


今年の梅は平日の午後で、山の中の人の少ない場所だったから何とかなった。

でも流石に桜はそうはいかない。


そんな空気の中で、クロがぽつりと言った。


「……さくら」


触手の先が、テレビ画面を指している。


「見たいのか?」


俺が聞くと、クロは小さく揺れて、


「みに……いきたい」


その言葉に胸の奥が、少しだけ痛んだ。

修二が少し難しい顔をして告げる。


「さすがに無理だろうな……」


敦史も少し悲しそうに頷いた。


「ああ、桜は人出が多すぎる。リスクも高い」


分かってる。

分かってるけど、クロの声は妙に真っ直ぐで、何も言えなくなった。


「仕方がないけど、今回ばかりは我慢だな」


俺がそう言った、その直後だった。

敦史のスマホが鳴った。


「うん?

……陣内博士からメールだ」


画面を見た敦史が、少し驚いた顔になる。


「“たまには遊びに来ないか。こちらの山は桜が見ごろなんだ。

若い頃に植えた桜が育っていてね。私有地だから人目もない。

よければ花見でもしよう”……だって」


一瞬、タイミングが良すぎて頭が追いつかなかった。


「……本当か?」


修二が即座に反応する。


「確かに私有地ならなんの問題もないな」


クロも状況を察したのか、触手をぱたぱた動かした。

メールの続きには、奥さんと孫の月詩さんも待っていると書いてあった。


こうして話は一気に決まり、俺たちはレンタカーを借りてS県へ向かった。

レンタカーの鍵を受け取った時、俺は少しだけ緊張していた。

四人で揃って遠出するのは久々だ。


「じゃ、俺が運転する」


当然みたいな口調だ。

免許を持っているのは修二だけだから、選択肢はない。


俺は助手席に座り、敦史とクロは後部座席に並んだ。

クロはシートベルトに少し手間取っていて、触手を使いながら不器用に留めている。


「……できた」


小さく誇らしげに言うと、敦史が笑った。


「えらいえらい」


そう言って一応外からは見えないようにブランケットをクロの頭からかけた。


エンジンがかかり、車体が静かに震える。

修二は慣れた手つきでハンドルを回し、ゆっくりと車を出した。


街中を抜ける間、俺は何度もバックミラーを確認した。

クロは窓の外に顔を近づけて、流れる景色をじっと見ている。


「……はやいねぇ」


ぽつりと呟く声。


「車だからな」


修二が前を見たまま答える。


「電車より自由だろ」


クロは意味を噛みしめるみたいに、ゆっくり頷いた。


高速に乗ると、建物が減って、畑や林が増えてくる。

遠くに山の輪郭が見え始めた頃、車内の空気も少し変わった。


敦史が道の駅の話をして、修二が気温の下がり方を気にして、

俺は助手席でナビを確認しながら、ときどきクロの様子を見る。


楽しそうだ。


それだけで、胸の奥が少し緩む。


山道に入ると、窓の外の色が一気に深くなる。

修二が窓を少し開けると、土と木の匂いが混ざった風が流れ込んできた。


「あ、見えてきた」


敦史の声に、前方を見る。


斜面に点々と浮かぶ、淡いピンク。


その瞬間、クロが身を乗り出した。


「……さくら」


弾んだ声に修二がアクセルを緩める。

俺は助手席でその光景を見ながら、思わず小さく笑った。


――来てよかった。


陣内博士の家は、山の中にある。

表向きは普通の一軒家だけど、裏には温室と小さな研究棟があって、

七十代になった今も博士は現役だ。


「おぉ!みんな、よく来たね」


博士と奥さんが出迎えてくれる。

少し遅れて月詩さんも現れた。


「おお~っす!久しぶり。悪の四天王の御一行様!」


冗談めかしたその言い方に、俺は苦笑した。

クロは月詩さんを見るなり近寄って、触手を伸ばす。


「つくし!」

「おぉ、クロ!覚えててくれたか?」


月詩さんは自然な仕草で触手に指を絡めた。

それだけで、ここが安全な場所なんだって分かる。


博士が山の斜面を指さした。


「ほら、あそこだ」


そこには、思っていた以上に立派な桜が並んでいた。


観光地みたいな派手さはない。

でも、山の緑の中に溶け込む淡いピンクは、やけに静かで、落ち着く。


近くで見ると、花は思っていたより繊細だった。

薄い花びらが幾重にも重なって、風が吹くたびに、はらはらと舞う。


クロはその下に立って、しばらく動かなかった。


触手を伸ばしては引っ込め、また伸ばす。

落ちてくる花びらを受け止めようとして、うまくいかなくて、少し首を傾げる。

誰にも急かされない時間。


俺は少し離れた場所から、その様子を見ていた。


――ああ、これでよかったんだ。


賑やかな花見じゃなくていい。

屋台も酒もいらない。


クロが安心して立っていられる場所で、

俺たちが並んで空を見上げられるなら、それで十分だった。


人の声はない。

風と鳥の音だけ。


レジャーシートを広げて、簡単な弁当を囲む。

博士夫妻の手料理と、俺たちが急遽買ってきた惣菜。


敦史は博士と専門的な話をして、修二は月詩さんに軽くいじられてる。


俺は奥さんから山菜の話を聞きながら、クロの様子を見ていた。


クロは桜の下で触手を伸ばして、落ちてくる花びらを掴もうとしている。


誰も戦ってない。

誰にも追われてない。


ただ、春の山で飯を食って、笑ってるだけだ。

……こんな時間、前は想像もできなかった。


来られてよかった。

本当に、そう思った。


クロは花びらを一枚つかんで、胸のあたりに押し当てる。


それを見て、俺は小さく息を吐いた。

まだまだ生活に不安もあるし、先の保証なんて何もない。


それでも。


こうやって桜を見られて、クロが笑ってて、仲間が隣にいる。


それだけで、今日は十分だ。

春の匂いが、静かに流れていた。

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