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Episode 71:トラウマ

三月の夕方は、昼と夜の境目がやけに曖昧だ。

空はまだ明るいのに、風だけが先に夜の顔をしている。

古いアパートの外階段を上がると、鉄の手すりがひんやりしていて、指先からじわっと冷えが伝わってきた。


「ただいまー……っと」


誰に言うでもなく呟いて、居間の引き戸を開ける。

こたつはまだ出しっぱなしで、電源は入っていないが、そこにあるだけで落ち着く。

クロは昼寝中らしく、丸まって動かない。敦史は二階の自室で何か作業している気配があった。

時間的にもまだ修二は帰ってきていないらしい。


俺は上着を脱いで、自室に放り込んだ。

そのまま一階の居間に向かうと、こたつの脇に座り込んだ。

特に疲れているわけじゃない。ただ、今日は妙に頭がぼんやりしていた。


そのままテレビ代わりにしているPCで動画をつける。

ニュース番組が流れて、途中から特集に切り替わった。


『――今日は毎週日曜好評放送中!光戦隊…――』


画面の中で、派手なスーツを着たヒーローがポーズを決めている。

ニュースでの特番で、人気のヒーローの正義を語るその姿は、昔からよく見慣れたものだ。


……はずなのに。


無意識に、音量を一段下げていた。


「……」


嫌い、というほど強い感情じゃない。

好きかと聞かれたら、答えに詰まる。

子どもの頃は、確かに好きだった。ヒーロー番組も、変身シーンも、決め台詞も。


守る側に立つ人間は、かっこいい。

それは今でも、頭では分かっている。


でも。


画面の中の笑顔を見ていると、胸の奥が少しだけざらつく。

理由を言葉にしようとすると、うまく形にならない。

だから俺は、たいていこういう話題を避ける。


「……消すか」


リモコンを手に取った、そのとき。


「りゅーせー?」


クロが起きたらしい。

眠たそうな目でこちらを見ている。


「起きたか。喉乾いてねえ?」

「うん……でも、テレビ、なに?」


「あー……ニュースの特番?」


クロは画面を見て、首を傾げた。


「ひーろー?」

「そう」


それ以上、何も言わなかった。

クロも深く突っ込んではこない。ただ、少しだけ不思議そうな顔をしていた。


そのタイミングで、敦史がお茶を入れようと居間に顔を出した。


「……あ、帰ってたのか流星。

音がしたから何かと思ったら動画の特番か、何の音かと」


一瞬だけ、その画面を見てから、俺の方を見る。


「流星ってさ」

「ん?」

「昔はヒーローもの好きだったって、前に言ってなかった?」


来たか、と思った。

別に責められてるわけじゃない。ただの雑談だ。分かってる。


「まあな。子どもの頃は」

「今は?」


少しだけ、間が空いた。


「……ん~、まぁ嫌いじゃねえよ」

「でも、あんまり好きと思ってない感じはするな」


敦史の言葉は、妙に的確だった。

だから余計に、笑って誤魔化す気になれなかった。


「まぁ、ヒーローってたって子供番組のだしさ、キラキラでカッコイイのが普通だし

架空の存在にそこには何にも異論はねえよ」


「……ふうん」


敦史はそれ以上踏み込まなかった。

代わりに、コップを手に取って水を飲む。


「でもさ。架空じゃなくってリアルなヒーローは

 必ずしも“いい人”とは限らないってのは……分かる気がするな」


その言い方に、少しだけ胸が揺れた。


「何だそれ」

「いや、なんとなく」


なんとなく、で済ませられる距離感が、ありがたかった。


テレビでは、まだヒーローの活躍が流れている。

俺は結局、消さなかった。ただ、見ないように視線を外した。


頭の奥で、古い映像が浮かび上がる。

眩しい照明。

大人の声。

やけに近い距離。


母さんの手は、俺の手を離さなかった。

そのくせ、指先だけが小刻みに震えていた。


あれは寒さじゃない。

当時の俺にも、それくらいは分かった。


だから、俺は何も言わなかった。

言えば、戻れなくなる気がした。


――そこで、思考を切った。


「なあ敦史」

「ん?」

「正義ってさ。名乗った瞬間に、本物になると思うか?」


唐突な質問だったと思う。

でも、口から出てしまった。


敦史は少し考えてから、肩をすくめた。


「ならないと思う。

 やったことの結果でしか、判断できないんじゃないか?」


「だよな」


その答えに、少しだけ救われた気がした。


クロがこたつに近づいてきて、俺の袖を引く。


「りゅーせー」

「ん?」

「ヒーローじゃなくても、まもれる?」


その問いは、まっすぐだった。

余計な意味も、裏もない。


俺はクロの頭に手を置いて、軽く撫でた。


「守れるさ」

「ほんと?」

「ほんと」

「それが俺たちの目指すところでもあるからな」


ヒーローじゃなくても。

名乗らなくても。

たぶん、それでいい。


窓の外で、風が吹いた。

カーテンが揺れて、夕方の光が部屋の中に流れ込む。


動画の中では、誰かが「正義」を語っている。

俺はそれを否定もしないし、肯定もしない。


ただ、自分が立つ場所は決めている。


名札も、称号もいらない。

俺は俺のやり方で、守る。


それでいい。

それしか、できない。


クロが安心したように目を細め、

敦史は何も言わず、静かに作業へ戻っていった。


俺は画面を消して、深く息を吐いた。


――まだ言葉にできない過去は、確かにある。

でも、それを抱えたままでも、前には進める。


三月の風は冷たいが、

その奥に、確かに春の匂いが混じっていた。

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