Episode 67: 準備
三月に入ったアパートには、春の気配を運ぶ光が差し込んでいた。
障子の向こうで揺れる日差しは明るく、風の冷たさも季節の切り替わりを知らせる合図みたいだ。
少しだけ胸が弾むような、そんな変化の気配がある。
その日の午後、洗濯物を干し終えた俺は、こたつに足を突っ込みながらぬるい緑茶をすすっていた。
ちょうどいいところに、隣の部屋の障子がすっと開いた。
「……流星」
敦史だった。
目の下にほんのりクマを作りながら、動画編集ソフトの光を反射している。
部屋の空気が少し熱を帯びていて、敦史の疲れを強調している。
「どうした? 休憩か」
「流星、ちょっと……見てくれない?」
編集部屋という名の押し入れ横のスペースでは、タワー型PCのファンが唸っていた。
敦史は画面に向かって眉を寄せ、サムネのラフを作っている最中だった。
「うーん……やっぱり、うまくいかねぇ……」
「何が?」
「画像編集ソフト……難しすぎだろコレ……」
パソコンの前に座ると、サムネのラフらしきものが画面に映っていたが……正直、荒い。
わからないなりに格闘した跡はあるものの、文字は配置バラバラで、背景とも馴染んでいない。
まるで「とりあえず置いてみた」だけの状態だった。
「……なるほどな。で、どうしたいの?」
「WARHOUNDの動画、初投稿するから……サムネ作りたいんだ。けど画像編集ソフトが触った事がなさすぎてマジで意味わかんねぇ」
「じゃあ、俺がやるか?」
「いや……頼りたくはないけど……まあ、その……頼む」
「じゃあ、何を伝えたいのかだけ教えてくれ」
敦史はほんの少し目をそらしながら言った。
その“頼りたいけど頼り慣れてない”感じが、らしいといえばらしい。
敦史は、画面の動画を流しながら説明を始めた。
「テーマは“上位ランクの壁”だ。
誰でも遊べるゲームだけど、上位に行くと急に難しくなるポイントがある。
そこを、初心者でも分かるように説明して……改善方法を示したい」
「なるほど」
動画内のキャラの動きはすでに録り終えてあって、画面を流しながら敦史は説明を続けた。
”WARHOUND”は昨年末に発売されて、一気に“世界三大FPS”の一つって呼ばれるようになったゲームだ。
各国で大会とかもあるくらいで、プレイ人口もうなぎ上りらしい。
もちろん俺も名前くらいは聞いた事があるが、正直ゲームそのものは詳しく分からない。
だが動画の中の敦史のキャラは、素人の俺が見ても動きがキレていた。
視点移動、撃つまでの間、角を曲がる角度……“迷いの少ない動き”というか、洗練されてる。
「お前、こういうの得意なのか?」
「……得意ってほどじゃねぇよ。
でも、フィールドのクセさえ掴めば初見でもある程度なんとかなるし……
一度通れば、数パターンの戦略は浮かぶ」
さらっと言うけど、それは普通じゃないと思う。
敦史って“複雑なものを整理して武器にする”タイプの頭している。
「で、サムネどうすんだ? お前の顔入れるんだろ?」
「う、うん……それなんだけど……」
敦史は急に言い淀んだ。
「顔、出したくねぇ……」
「だと思った」
俺から見たら最近流行りの、中性的なイケメンなんだけど……敦史自身は自分の顔が嫌いらしく実際動画のワイプでも顔を隠す意味でマスクをしたままだ。
俺は笑って、サムネのレイアウトをいじりながら言った。
「まあ最初はゲーム画面を大きくして、お前の写真は小さく端っこに置くか。
“投稿者です”くらいの主張でいいだろ」
「……そ、そのくらいなら」
敦史はまだ不安そうだった。
けど、その目は逃げていなかった。
「でもな、いつかは大きくしねぇと。
覚えてもらわないと伸びねぇんだろ?」
「……わかってるけどさ……最初は、これでいいだろ?」
「おう。最初だからな」
俺が文字入れをすると、敦史はすげえ真顔で見つめていた。
丸めていた肩の力が、ほんの少し抜けるのが分かった。
俺は文字の縁を調整しながら、サムネの大枠を作っていった。
敦史はその手元を、食い入るように見ている。
途中、部屋を通りかかった修二が覗き込んだ。
「どれ」
あいつはゲームに詳しくない。
だがセンスはあるし、第三者として意見を言えるのが強い。
「ふーん、……分かりやすい。
初心者でも“何の動画か”ひと目で分かるな」
「だろ? 文字はもう少し太くしたほうがいいかなと思ってんだけど」
「いや、今のままでいい。詰め込みすぎると逆効果だ」
普段あんまり喋らないくせに、こういう時だけやたら鋭い。
続いてクロが入ってきて、サムネを覗いて言った。
「これ、かっこいい! クロ、すき!」
この子の「好き」の感覚は案外鋭い。
素直だからこそ、反応が信用できる。
敦史は照れくさそうに「ありがとな」と小さく言った。
シンプルに嬉しい言葉だし、敦史の顔もほんのり緩んだ。
「……なんか、こうやって形になると実感わくな」
敦史が呟いた瞬間、明らかに緊張の糸が一本ほどけたように見えた。
「で、本編の方はどうなんだ?」
敦史がクリックして再生したWARHOUNDの映像は、俺には専門的なことはわからないけど、とにかく“分かりやすい”の一点だった。
「ここ、敵が詰めてきやすいルート。
この角度で撃つと上位帯では抜かれやすいから……」
「へぇ……」
「で、こっちは初心者が止まりやすい場所。
視界が開けるのが怖いんだろうな」
「なるほどな……」
俺はFPSの素人だけど、
“教え方がうまい”ってことだけは分かった。
動画を見終えて、素直に言った。
「……お前、こういうの向いてんじゃねぇか?」
「へ?」
「だって今の説明、俺でも分かったぞ」
敦史は目を丸くした。
「……いや、別に普通だろ?」
「普通じゃねぇよ。
つーかさ、これリアルの戦闘でも役立つんじゃねぇか?」
敦史は一瞬きょとんとして、画面のマップをじっと見つめた。
けど俺の言葉を噛み締めるように、ゆっくり視線を画面のマップに戻した。
「……リアルの……建物で……
パターン作る……?」
「そう。他のFPSでもやるだろ?
ルート分析とか、死角の確認とか」
俺は続けた。
「東京の主要な建物とかモデルにして、
侵入ルートとか脱出とか作ってみろよ。
そのうち訓練でも活かせるだろ」
敦史はしばらく無言だったが、
やがて目が光った。
「……できるかもしれない。
高さと射線と死角……
ゲームと違う部分もあるけど、“考え方”は同じだ」
その顔は、久しぶりに“自信”が見える顔だった。
「じゃあさ、動画投稿が落ち着いたらやってみようぜ。
戦略パターン作り」
「……ああ。やってみたい」
敦史は静かに頷いた。
その声は興奮というより“発見した”感じだった。
動画投稿は敦史にとって趣味の延長みたいに思っていたようだけど、
こいつにとっては“新しい武器”になるかもしれない。
そしてそれを誰よりも早く気づけたのが、
なんかちょっと誇らしかった。
「よし。じゃあサムネはこれで完成だな。
13日投稿、だろ?」
「ああ、動画は編集とかは既に終わってる……だけどサムネがまだなんだ。」
「えっと、あと9本分?マジか……」
「悪い、引き続き頼む。次の動画だけど……」
風が障子を揺らし、
春の匂いがふわっと部屋に入ってくる。
――たぶん、敦史はここから変わる。
そして俺らも。
それを思うと、
胸の奥がほんのり温かくなった。




