Episode 64: セーラー服の少女・後編(筒井視点)
少女の身元は、結局まったく分からなかった。
県警のデータベースを洗い、近隣市町村の聞き込みを行い、果ては警視庁の失踪者データまで手を伸ばして調べたが、該当者はゼロだ。十代の女子学生。行方不明者数でも全体のおよそ4割を占めるかなり人数の多い層だ。念の為に検索範囲を十代前半から三十代にまで拡大もしてみた。なのに一人として引っかからないというのは異常だった。
指紋照合もダメ。身体的特徴――骨折歴や歯形、医療行為の痕跡――どれも医療機関の記録には一致しなかった。医療機関そのものにも照会したが、近県どころか全国規模で照らしても反応はない。
「ここまで分からんのは、逆に怖いでしょ」
と、鑑識の榊原主任が冗談めかして言ったのを覚えている。……全く冗談に聞こえなかった。
そういう時こそ原点に戻れ、というのは刑事の間でよく言われる言葉だ。俺は少女の写真を手に、現場付近の集落を再度まわった。だが――当然ながら誰も見覚えがないと言った。
では第一発見者は何か見ていないか。彼の家を再び訪ねたが、やはり答えは同じだった。あの日、犬が異常に引っ張った。その理由も犬自身が分かっていたのかは不明。老人は今でも「血の匂いだろう」と言うが、それ以上の情報は出てこない。
ただ、老人がぽつりとつぶやいた言葉がひっかかった。
「わしらは麓も麓の住人じゃけぇの。あのあたり、昔はもっと奥に村があったらしいが……今はもう道もよう分からん」
村があった? 廃神社と関係があるのか?
気になり、老人から「もっと古いことを知っとる男」を紹介してもらった。地主筋の老人で、この土地からほとんど出ずに生きてきたという。
「確かに、戦後少しの間まではあの奥に小さな集落があったんじゃよ」
彼は縁側に腰を下ろし、ゆっくりとした口調で言った。
「どこぞの落人の村で、田畑を耕してのう、林業も少しやっとった。戦争が終わってから、少し経った頃に人が急におらんようになった。それで神社も終いにしたんじゃとか。」
「その神社について、何か知っていますか?」
「地域信仰系の神社じゃったと思うが名前も覚えておらん……ご神体は、過疎が進んで人がいなくなった時にどこかへ合祀されたはずじゃなかったか……?まあ、ワシも詳しくは知らん。ただもう、四十年以上前の話よ」
四十年以上。
少女が身に着けていた制服の年代――それは榊原主任が教えてくれた数字と恐ろしく一致していた。
少女の着ていたセーラー服は、四十年前に廃校となった学校のものと酷似している。着用状態は古着感が薄く、デザインだけが“古い”。
それがあり得るだろうか?
いまの時代に、四十年以上前のデザインの制服を現行品のように着ている女子学生が。
だが老人の話は続いた。
「その集落、排他的で揉め事が多うての。元々人が寄りつかなかったうえに人の行き来もなくなったもんじゃから、今はどこにあったかすら分からん。山道は草に飲まれたし、道標も残っとらん」
少女は、あの廃神社に倒れていた。そして赤ん坊を抱えていた。
四十年以上前に消えた村の近くで。
浮世離れした考えを思いかけたが、ひとまず頭を振った。オカルトに逃げるのは刑事として一番やってはいけない。何か現実的な理由があるはずだ。そう言い聞かせないとやっていられないだけだったかもしれない。
少女の遺体は、ついに身元が割れないまま“行旅死亡人”として扱われ、県の費用で葬られることになった。
「入れ込みすぎだぞ、筒井」
上司にはそう言われたが、俺は赤ん坊――修二を抱え、火葬場に向かった。赤ん坊はすやすやと眠っていた。何も知らず、母親の最期を見届けることになるとは。
看護師の話では、この修二という赤ん坊、体格に似合わずとてもおとなしいらしい。他の子のように大声で泣かず、じっと人の顔を見ている時間が長い。どこか、“人を観察している”ような目をするのだと言う。
母親は、彼を抱いたまま死んだ。死因は失血とショック。服のタグはすべて切り取られ、所持品はゼロ。切り傷は錆びた刃物のような、全て不自然な形状だった。
なぜ。誰が。いつから。
どれも答えが出ないまま、少女は荼毘に付された。
その後、修二は乳児院へ、そして児童養護施設へと移された。
俺は時々、様子を見に行った。彼はいつのまにか俺を「筒井のおじちゃん」と呼ぶようになっていた。何度も訪ねてきてくれる大人が、俺しかいなかったからだろう。
成長した修二は、非常に整った顔立ちながら大人びていてどこか周囲と距離を置く子だった。優しい、礼儀正しい、頭もいい。だが、常にひとりでいる。施設長から聞いた話では、彼の出自について噂が広まり、うまく人間関係が築けない時期も長かったらしい。
養子の話も何度もあったが――なぜか、いつも途中で断られた。修二自身の問題ではなく、決まって「どうしても気になってしまって……」と引き取り手が曖昧な理由を述べて辞退するのだという。
まるで、彼が“異質な出自”であることを、本能的に感じ取っているように。
高校進学を控えたある日、修二は俺に言った。
「東京の学校を受けようと思います。寮があるので……その、ここを出るつもりなんです」
表情は淡々としていたが、どこか吹っ切れたようでもあった。
「ここじゃ、どうしても窮屈で……。俺の生まれた時のこと、みんな知ってますから。どう向き合えばいいか分からなくて」
施設長も同じことを言っていた。彼は常に“血塗られた遺体のそばにいた子供”という影と共に生きてきた。普通の交友関係を築くには、あまりに重い出自だ。
「そうか……東京か、人も多いし他所から来た人間も多いから、環境を変えるには良いかもしれないな。」
「はい、一応東京の学校でも寮生活になるだけで、施設の保護下ではあるんですが……ここを離れたくて」
彼の背は高くまだ子供らしい華奢さはありつつも、同世代では体格もいい方だろう。切れ長の目は鋭く光り、黒髪は母親と同じく艶がある。あの廃神社に倒れていた少女の、幼さの残るあの顔。――瓜二つと言っていいほどだ。
そういえば、もう数年で彼女と修二は同じくらいの年齢になる。
俺はふと思い出し、彼に伝えた。
「……お前の母親の遺骨は、県の施設で保管している。二十五年は預かる決まりだ。お前が大人になったとき……どうするか、その時に決めていい」
「……はい」
返事は、小さいがしっかりしていた。
「俺は、引き続き調べるつもりだ。あの晩、何があったのか。お前の母親が……どこから来たのか」
そう告げると、修二ははじめて俺の目を真っ直ぐに見て、言った。
「俺も……知りたいです。でも、今は……進まなきゃいけない気がして」
それは彼なりの決意だった。過去を追い続ければ前に進めなくなると、本能で理解しているようでもあった。
だが俺は思う。
母親の死は未解決のままだ。身元不明、出自不明、事件性も確定できない。錆びた刃物のような傷。四十年前に消えた村。廃神社。切り取られたタグ。四キロを超える大きな新生児。静かすぎる赤ん坊。
そして――
彼の名は“修二”。
看護師が付けた、当時流行りだったドラマの主人公の名前。
偶然なのか、何かの運命なのか。
俺には分からない。
だがこの先も、あの名前すらわからない少女の謎を追うことだけは決めている。彼女がどこから来て、なぜあの場所で命を落としたのか。彼がこの世界に“どう生まれ落ちたのか”。
いつか修二自身が、その答えに辿りつく日が来るのだろうか。
――あの静かな目に、真実を映す日が。
来年は1/9から再開の予定です。
それでは皆様、よいお年を!




