Episode 63: セーラー服の少女・中編(筒井視点)
数日後……午前九時。
県警鑑識課の部屋の前に立った筒井警部は、胸の奥に重いものを感じていた。
昨夜のうちに“結果が出た”と連絡が入ったが、その声色はどうにも事務的というより、困惑を押し殺したように聞こえたのだ。
ノックもそこそこに扉を開けると、鑑識主任の榊原が険しい表情で資料をめくっていた。
「来ましたか、筒井警部。……正直、何から説明していいのか迷うんですがね」
「そんなに悪い状況か?」
「悪い、というより……不可解と言うべきでしょう」
榊原は長いため息をひとつこぼし、厚いファイルをこちらに向けた。
「まず、あの推定年齢十代後半の女子学生の身体状況ですが……亡くなる直前に相当ひどい暴行を受けています。殴打痕、裂傷、擦過傷……これでもかというほどです。唯一、性的暴行がないのが救いですね。」
「……現場の印象以上ということか」
「ええ。しかし、直接の死因は暴行そのものではなく――」
「大量出血によるショック死、だな」
「ええ。ただし問題は、その“切り傷”です」
榊原は一枚の写真を指で叩いた。
そこには少女の腕に残った断面の拡大図が写っている。綺麗とは言い難い、不自然にささくれたような切り口。
「鋭利ではない。つまり……?」
「“錆びた刃物のようなもので切られている”という分析です。刃の欠け、腐蝕……近代的なナイフでは説明がつかない痕跡が残っている、しかも……刃物も一種類ではない」
「……なるほど」
「しかし警部、こんなのは序の口なんですよ」
榊原はさらにファイルをめくり、深い眉間の皺をそのままに言葉を続けた。
「まず衣服。タグがすべて切り取られています。制服だけではなく、インナーや下着に至るまで。徹底しています」
「犯人が身元をわからなくするために……か?」
「そう考えたいところですが、奇妙なのはここからです」
榊原は制服の解析結果のページを指で押さえる。
「この制服、県内外の現行校には存在しない。資料を洗っても見つからず、最後は制服コレクターの協力まで仰ぎました」
「で?」
「四十年前に廃校となった現場近隣の高校のデザインに酷似しているそうです」
筒井は数秒だけ言葉を忘れた。
「四十年前、だと? しかし少女の制服は――」
「ええ。多少の着古しはあっても、保存品のような古さはない。生地も縫製も近年のもの。古着とも違う。再現品とも思えない」
榊原の声には、長年鑑識をやってきた者らしからぬ戸惑いが混じっていた。
「さらに靴。メーカーを割り出そうとしたら……これが十五年前に倒産した地元企業でして」
「十五年前……」
「その企業の“学生用ローファー”は三十年前に廃番になっている。にもかかわらず、少女が履いていたのはそのデザインと完全一致」
「……再生産は?」
「確認済みですが、存在しません」
言葉のひとつひとつが、異常の上に異常を積み上げていく。
「下着についても同様。うちの女性検察官が言うには――“妙にデザインが古い”。素材も平成初期以前のものに近いと」
「……」
「鞄は空。身元につながるものは一切なし。靴底の砂を調べても、神社周辺の土粒子しか出なかった」
「……あの場所以外の痕跡がない、と?」
「はい。まるで“あの神社で生まれ、あの神社で死んだ”ような足跡ですよ」
榊原が声をひそめた瞬間、背中を冷たいものが這う感覚が筒井を襲った。
「だが――ひとつだけ、確実に判明したことがあります」
榊原は最後の一枚を開き、紙を軽く叩く。
「DNA検査の結果、少女と保護された赤ん坊は親子です」
「……そうか」
それだけは現実的な答えだった。しかし同時に、謎をより濃くした。
四十年前に廃校になった制服。二十年前に廃番になった靴。古いデザインの下着。タグの切除。そして神社以外での痕跡なし。
なのに――生後間もない赤ん坊は、確かに“今この瞬間に生まれた”命だ。
榊原は疲れ切った目をこすった。
「警部、わたしも長いこと鑑識をしていますが、ここまで不可解な遺体は初めてですよ。引き続き調べますが……進展は、正直、難しいかもしれません」
「わかった。何かわかればすぐに頼む」
筒井は資料を返し、重い足取りで鑑識室をあとにした。
榊原の背中は、研究室の蛍光灯に照らされて小さく見えた。
――ここまで手がかりがない事件は、確かに初めてだ。
病院に着いたのは昼過ぎだった。
筒井は受付で事情を説明し、特別室に案内してもらう。
透明な保育器の中で、赤ん坊は小さな胸を規則正しく上下させていた。生後数日とは思えないほど大きく、四キロを超えているという。
「健康状態は良好ですよ。母体の状況を考えると奇跡と言っていいくらいです」
担当の若い看護師が柔らかい声で教えてくれた。
「名前が……“修二”と書いてありますが?」
「あ、それはですね……」
看護師は照れたように笑った。
「まだ身元がわからないので、呼ぶ名前がなくて。
不憫に思って、今流行ってるドラマの主人公の名前を仮につけてるんです」
「……なるほどな」
筒井は思わず小さく笑った。
不思議と、その名前は赤ん坊に似合っているように思えた。
しかし同時に、胸の奥がずしりと重くなる。
「このまま身元がわからない場合、この子はどうなる?」
「規定により、養護施設に……。ただ、赤ちゃんは人気があるから、すぐ里親さんが見つかるかもしれませんよ」
「……そうか」
明るく言ってくれる看護師に対し、筒井は曖昧に頷いた。
少女は何者だったのか。
なぜあの廃神社にいたのか。
赤ん坊の父親は誰なのか。
そして、どんな地獄をくぐって最後の力でこの子を抱きしめて倒れたのか――。
答えはどれひとつとして見えない。
保育器の中で眠る赤ん坊は、あの日の血の匂いとは無縁の静けさの中にいた。
その小さな手に、少女の最期の願いが宿っているのだとしたら――。
筒井は、そっと手をガラスに置いた。
「……必ず、君の母親が誰だったのかを突き止める。必ずだ」
だがその誓いが叶う日は、まだ霧の中だった。
事件は、始まりにすぎない。
廃神社の闇は、まだ何も語っていない。
明日この続きを更新します。




