Episode 49: 雪の朝(前編)
カーテンを開けると、世界が変わっていた。
――真っ白だった。
屋根も、道も、電線も、ぜんぶが雪に覆われている。
アパートの前にある街路樹の枝が、重たそうに雪を抱えてしなっている。
空気がひどく静かで、車の音も街の喧騒も、今日はやけに遠く感じた。
これだけ降っているせいか、街を行き交う人もまばらだ。
ここは北国ではないはずだが…ここまでの雪景色はとても珍しい。
「……マジかぁ。降りすぎだろ、これは」
天気を確認しようとスマホでyoutubeのニュースを見ると、キャスターが「十年に一度の寒波」なんて言っている。
そういえば子供の時に何回かドカ雪の様なものを体験したが、それに近い。
どうりで。
カップに入れたインスタントコーヒーの湯気が、いつもよりやけに白く揺らいでいる。
そんな中、ふと気づくと――クロが窓の近くに立っていた。
擬態していない、本来の姿。深緑色の蔓の体に、少しだけ光沢を帯びた葉のような肌。
ガラスの向こうを見つめるその背中は、なんだか人間よりも静かで、儚く見えた。
「クロー、そこにいて寒くねぇの?」
声をかけると、クロは小さく首をかしげた。
「……さむい。でも、みたい。しろいの、きれい」
目が、いつもよりも柔らかく光っていた。
その表情を見た瞬間、ああ、外に出たいんだなあというのがすぐにわかってしまった。
でも、外気は氷点下。クロは植物由来の生命体だ。下手に出たら本当に凍りついてしまうだろう。
俺は腕を組んでうなった。
「うーん……出してやりたいけどなぁ」
こたつの向こうでは敦史が、寝起きの顔でぼそりと呟いた。
「やめろよ。外出たら、マジで凍るだろ。光合成どころか細胞死ぬぞ」
「わかってるよ」
「やれやれ……物騒だな、朝から」
修二はコーヒーを啜りながら、ちらりとクロを見た。
「……そもそも、その姿で出たらニュースになってしまうだろうな」
確かに、今のクロは“植物の怪人”そのものだ。
俺も笑ってごまかしたけど、わかっていても胸の奥がちょっと痛んだ。
外に出られないって、こんなにも“閉じ込められてる”感じなんだな。
「なぁ、クロ。擬態って、どのくらいできるんだ?」
「……すこし、できる。やってみる?」
「お、おう。やってみてくれ」
クロが軽く体を揺らすと、蔓がしゅるしゅると収束し、人間の輪郭に近づいていった。
ただ、表面はまだ緑色のままで、質感も木の幹のように硬い。目の位置も少しずれている。遠目には人型に見えても、どこか不安定で、少しホラー寄りだ。
「お、おおお……がんばってるけど、ホラー感強めだな……!」
敦史も吹き出しつつ、触手の先が微妙に揺れるたびに笑いをこらえていた。
「この姿で夜に遭遇したら逃げるな…...。下手すりゃニュースに“未確認生物”って出るぞ」
「……笑い事じゃねぇよ」
修二がため息をついた。
「……とりあえず今のままだと寒さと姿をごまかすために服で隠すしかないかもな」
「服かぁ……」
俺は窓の外を見やりながら考える。
陣内博士の話だと、クロは生まれて意思が出来た状態からそんなに経っていないとの事で、身体は誰よりもデカいのに心はまだ幼い子供だ。
それでも理解力の高さなのか、素質の高さからか、自分がほかの人間と違うという事や、外に出ては危険だという事は十分にわかっている。
だからか子供らしいわがままを言い出すことはめったにない。
それが逆に不憫に感じる事は何回かあった。
今回も理解していて俺らには言いださないのだろう。
そんな外に出られないクロを見て、胸がちくっと痛んだ。
無理は言わないけれど、吹雪の中で笑いながら雪を受け止めるクロの姿を想像するだけで、胸の奥がほんのり温かくなる。
「よし……せっかくだし、防寒着買ってやろう」
「クロの?」
「ああ、こんな雪はめったにないんだ。せっかくなら、全員で雪を楽しみたいだろ?」
心の奥では、不安と期待が入り混じっていた。
もし外に出したら凍ってしまうかもしれない。けれど、防寒具でなんとかなるなら――クロの喜ぶ顔を見たい。
俺たちは一旦クロに留守番をしてもらい、雪道を踏みしめながら近くのモノクロへ行ってみた。
こんな雪の中でも店内は暖かくて、外の白い世界が嘘みたいだった。
手袋や帽子、ダウンジャケット、マフラー、長靴。
今回は擬態という意味もあるので、服装も色合いもあくまでも「よくいる冬服の人」でまとめた。
サイズが色々そろっているとはいえ変身後のクロの体格に合うのを選ぶのはなかなか骨が折れたけど、なんだかそういうイベントのようで楽しかった。
……当の着る本人がいないというのがちょっと残念だが。
帰ってくると、クロはまだ窓際にいて、外を眺めていた。
俺たちの手にある紙袋を見て、目がぱっと輝く。
「……それ、クロの?」
「そうそう。お前の雪装備、完成したぞ!ちょっと着てみろ!」
クロに服を着せる作業は、もうドタバタだった。
袖が長すぎて引きずったり、マフラーに触手が絡まったり、帽子は顔の半分を覆ってしまったり。
それでも何とか全部着せ終わると、見た目は意外と“人間っぽい”。ただ、緑色の皮膚や触手のうねりが少しだけ透けて見え、どこか人形のようでコミカルだ。
「おお……悪くねぇ!」
「夜道なら完全に通る」と修二が頷く。
敦史はスマホを構えて、「UMAの証拠写真みたいだな」と笑った。
クロも両手をぱたぱたさせて嬉しそうに言った。
「さむくない! あったかい! すごい!」
「そりゃ良かった。ほら、外、行ってみようぜ」
俺たちが勢い勇んでドアを開けた瞬間、冷気が一気に流れ込んできた。
でもクロは怯まない。
外に出るなり、ふわりと両手を広げて、空から落ちてくる雪を受け止めた。
「……つめたい! でも、きれい!」
その声は、ほんの少し震えてたけど、嬉しそうだった。
俺は思わず笑ってしまった。
「だろ? これが“雪”ってやつだ」




