Episode 4: 総帥の最後の言葉
「……開けるか?」
修二の低い声が、静まり返った部屋に響いた。
俺たちは顔を見合わせたが、誰も動けなかった。
目の前の封筒――おそらく総帥の遺書。
その存在の重みに、思考が追いつかない。
俺は手の震えを抑えながら、ゆっくりと封筒を開いた。
中からは、手紙と分厚い封筒、それに薄いもう一通の封筒が出てきた。
手紙を広げると、そこには総帥の達筆な字が並んでいた。
「諸君へ。
もしこれを目にしているならば、わが戦いが敗北に終わったことを意味する。
改造手術の直後、私の予後不良により余命3ヶ月と判断された折、急遽、組織の再編と総力を挙げた最終攻勢を決断した。
本来ならば諸君と再び対話する機会を設けたかったが、それを果たせず、深く遺憾に思う。
流星、お前は母を失った悲哀を乗り越え、わが存在を恩恵と捉えてくれた努力家である。
修二、お前は孤児院にて孤独を経験しつつも、わが指導の下で強靭な精神を育んだ。
敦史、お前の潜在能力は未だ開花の途上にあり、自由な環境での発展を望む。
クロ……お前は科学の力で生まれた大切な子である。
しかし人ではない改造人間の幼いお前には、この世は一人で生きていくには厳しい環境だと思う。
山中に植樹適地の土地を取得済みであり、そこに植え付けられれば自然と調和し、樹木として命を永続できる可能性がある。
手間をかけて申し訳ないが、残された者にその措置をお願いしたい。
仮に敗北した場合、ここにある200万円を贈与し、諸君には自らの意志で生活を構築することを望む。
この朽ちた住居は暫定的に居住可能と判断される。
この金銭は、諸君が自由に生きるための力となるだろう。
だが、どんな時も忘れてはならぬことがある。
それは、己の力をもって弱者を守ることに他ならぬ。
そのことを胸に刻み、歩むべき道を選ぶのだ。
忝いお願いではあるが、これがわが最終の遺志である。
――総帥」
読み終わった瞬間、分厚い封筒の中からくしゃくしゃになった現金が出てきた。
……200万円。
ピン札じゃないその札束が、総帥の切実さを物語っていた。
(こんな状況でも、俺たちの生活を考えてたんだな……)
「……総帥らしい、しっかりした文章だな」
思わずそう呟いた。重みが、じわじわと胸に染みてくる。
もうひとつの薄い封筒に気づいた。「敦史へ」と書かれている。
俺はそっと、それを敦史に手渡した。
敦史は困惑した表情を浮かべながらも、封筒を開けた。
中から出てきたのは2枚の書類。
1枚には「財前 敦史」――死亡扱いの記載。
もう1枚は「佐藤 敦史」――新しい戸籍のようだ。
「……それって……?」
思わず声が漏れる。
修二はじっと書類を覗き込み、「何だこれ……?」と眉をひそめた。
クロは視線をちらりと向けたが、触手をモジモジと動かすだけで反応は薄い。
敦史は2枚の書類を見つめたまま、唇をかんでいた。
……何か、過去と決別する覚悟がいるような内容なのか。
わずかに手が震えていた。
「総帥……敗北って、どういうことだよ……どこにいるんだ……?」
俺の呟きに、再び部屋が沈黙に包まれた。
余命3ヶ月。
総力戦。
ポッドで眠っていた俺たちを残して、総帥はすべてを終えた……?
今がどんな時代で、世界がどうなっているのかすら分からない。
ただ、空気だけが張り詰めていた。
「……待てよ。こんな状況だけど、せめてお互いのことくらいは知っておきたくないか?」
場違いかと思いつつも、思わず口をついた。
だが、他の3人は意外にも素直に頷いてくれた。
「そうだな。俺は修二。施設育ちで、孤独だったけど……総帥に拾われた」
「……俺は敦史。ニートだった……けど、それ以上はいいや。恩がある、それだけだ」
敦史は書類を握りしめたまま、目をそらして言った。
「俺は……流星。母子家庭で、母が亡くなって、途方に暮れてた時に助けられた」
話すことで、ほんの少しだけ、空気が和らいだような気がした。
クロは首をかしげていた。
「ナニ……?」
自己紹介という概念自体が分かってないらしい。
触手で床をトントンと突きながら、どこか幼い仕草を見せていた。
「……クロ」
赤い目をこちらに向けながら、ポツリと名乗った。
(見た目に反して、子どもみたいな存在なんだな……)
そのときだった。
「遺書ってことは……まさか、総帥……もう、この世にいないのか……?」
俺の呟きに、クロの赤い目が大きく見開かれた。
「トウチャン……トウ……イナイ……?」
声が震え、その場に崩れ落ちた。
触手が床を這い、赤い目から涙がこぼれる。
「トウチャン……カエッテキテ……! トウチャン……イナイ……ダメ……!」
嗚咽が静かな部屋に響いた。
先ほどまでの無言の存在感とは一転、まるで幼子のように泣きじゃくる。
「トウチャン……アイタイヨ……!」
敦史が驚いたように呟く。
「クロ……お前、こんな幼いのか……?」
書類を握ったまま、目を丸くしていた敦史。
その視線の奥には、戸惑いと、それ以上に「放っておけない」感情が滲んでいた。
修二が静かに言った。
「人ではないと書いてあったけど……それでも、総帥にとっては大切な子だったんだろうな」
その声は、静かであたたかかった。
どこか、哀しみを含んだような響きだった。
……俺も、クロの泣き声に胸が締め付けられた。
総帥の遺言――「自由に生きてほしい」
けれど、総帥がどこにいて、どうなったのかも分からないまま。
何を頼りに、どう生きればいいのかも、まだ見えない。
重苦しい空気が、部屋を静かに包み込んでいた。