Episode 43: 節分訓練(後編)
節分当日。
午後から雲行きが怪しかったが、夕方になるとやっぱり降ってきた。
静かに、細かい雪が空から落ちてくる。
部屋の中はぬくぬくだけど、窓の外は冷えていて、街灯の明かりの中を、白い粒が漂っていた。
その雪と一緒に、さっき頼んで恵方巻用の具材の買い物に行っていた修二も帰ってきた。玄関の扉が開いて、ふわっと冷たい風が滑り込む。コートの肩に雪を乗せたまま、彼が入ってきた。
「……ただいま」
「おかえり。寒かったろ」
「うん、ちょっとな。雪もちらついてきたし…」
修二はコートを脱いで、玄関脇のハンガーにかける。
いつもの、静かな動作。それを見ながら、俺も立ち上がる。
「ちょうどいい。節分、やるぞ」
「……ああ。やるのか、早いな。」
修二はわずかに目を細めて、微笑むように言った。けど、その目の奥には、ちゃんとスイッチが入ってる気配がある。
準備はもうできていた。豆の袋、鬼のお面、さっき買ってきてもらった巻きずしの素材はキッチンに控えている。クロがさっきから豆の袋を手にして離さないでいるし、敦史はテーブルの横でお面を並べながら、「青鬼は絶対に俺がやる」と謎のこだわりを見せている。
けどまずは――“節分らしく”始めるのが俺たちらしい。
「よし。じゃあ最初に、“ちゃんと”やっとこうぜ」
「……ちゃんと?」
「豆まき。普通のやつ。“鬼は外、福は内”ってやつな」
そう言って、俺たちは玄関を少しだけ開けた。冷たい風がまたひゅっと入ってきて、クロが「さむいっ」と首をすくめる。
そのまま、俺と敦史で手分けして豆を一握りずつ持ち、交互に外へと投げた。
「おにはーそと!」
「ふくはーうち!」
クロが声を張って言うと、なんだか妙に儀式っぽくなる。
修二も、最初は半信半疑の顔をしていたくせに、最後にはちゃんと小さく「鬼は外」とつぶやいて、豆を投げた。
豆は雪の降る夕暮れに、さらりと音を立てて舞った。
その一瞬だけ、静かで、清められるような空気が流れた気がした。
そして全員で年齢の数だけ豆を食べた。
……たぶん、こういうのも大事だ。俺たちには特に。
「よし、じゃあ」
と、修二が振り返る。玄関を閉めながら、軽く首を回した。
「本番、行くか。地下」
「うむ。クロも準備ばっちりだよ」
「おに、やっつけるー!」
ということで、俺たちは豆とお面を持って、地下へと向かった。
今日は訓練じゃない。いや、正確には「遊びを兼ねた訓練」だ。
俺たちにとって、その境界線はだいたい曖昧だけど――それでも、今夜のこれは、ちょっと特別な戦いになる気がした。
いよいよ“本番”だ。
俺たちは、節分の豆まきを戦術訓練に見立て、地下室に移動した。
武装やスーツの使用はなし。今日はあくまで、体術と連携の訓練だ。
「ルール決めようぜ」と俺が言うと、自然と空気が切り替わる。
いつもの朝ミーティングでもそうだけど、“遊びと訓練の中間”を本気でやるのが、うちらしい。
「豆は30個以内で投げきる。実戦時の物資制限ってことで」
「攻撃側と防御側に分ける。投げる側は、時間内に“鬼”に豆を当てること」
「防御側はリビングと廊下だけで移動。部屋の外には出ない」
「クロは……」と俺が視線を向けると、当人が元気よく手を挙げた。
「クロ、“ふく”になる! ふくのおてつだいするの!」
その声に、全員がふっと笑った。なんか、和むな。
訓練内容としては、豆を使った簡易的な攻防戦。
弾数30という制約があることで、投げる側は命中精度とタイミングを考える必要があるし、防御側も姿勢・遮蔽物の利用・動線の把握が求められる。
この地下室は本来怪人スーツのテスト訓練用に作られたスペースで、照明や壁の耐久は最低限クリアしてる。だからこそ、こういう“ふざけた真面目”が成立する。
最初は俺と敦史が攻撃、修二とクロが防御。
敦史が妙に投擲精度高くて、「それ帰宅部だったんだっけ?」って聞いたら「ニートにそれは言わない約束だ」とかごまかされて笑った。
修二は終始冷静で、ポッドの影に潜みながら音を立てずに動いてくるから妙に怖い。でも豆投げられるたびに顔しかめてたのがちょっと面白かった。
クロは途中から「こっちこっち〜!」って言いながら自分で豆投げ返してきて、何の役なのかわからなくなってた。
「クロ、それ“ふく”じゃなくて、もはや“まめ鬼”だぞ……」
攻守交替してからは、修二が淡々と豆を投げ、俺たちが本気で回避。
といっても30発しかないから、流れ弾で逃げる方向を制限するだけでも十分戦術になる。
敦史はちゃっかり座布団と段ボールで即席の防壁を作ってたし、クロは防御側にまわると“ふくをまもるため”とか言って俺の後ろに張りついて離れなかった。
「ふく、つよいの。だから、まもる!」
そう言って豆を1個ずつ俺に渡してきて、ちょっと感動した。いや、投げる役、俺なんだけどな。
時間制限内で何度か組み合わせを変えて、計4戦。
戦術訓練とまでは言えないけど、柔軟な発想と動きの精度を確認するには悪くなかった。
「……なかなか、実りある訓練だったな」
最後に修二がぽつりとそう言って、一同が「うん」「だな」とうなずいた、その直後。
「うわ、床が豆まみれだ……」
俺が声に出した瞬間、みんなもあちこち見渡して言葉を失う。
床、机、壁の隅、ポッドの下……豆、豆、豆。
「これは……ちゃんと拾おう」と敦史が真面目な顔で言い、
「食べ物だからな。捨てずに、加工しよう」と即座に提案する。
修二も「回収ルートは2手に分けた方が効率いい」と冷静に指示し始めた。
まさか、節分の後に四天王全員で“豆回収ミッション”をやるとは思わなかったが、これもまた、悪くない。
「これ、あとでちゃんと料理して、また食卓囲おうな」
そう言って豆を手のひらに集めたとき、
クロが「ふく、ちゃんときた?」と無邪気に聞いてきた。
俺は笑いながら、うん、と頷いた。
「来たよ。ちゃんと、俺たちのとこに」
豆の後片付けは、意外と時間がかかった。
床のすみっこに転がったのとか、天井に跳ね返って飛んでったのとか。みんなで四つん這いになってかき集めるうちに、なんか掃除というより“調査”に近いノリになってくる。
「これ……集めたやつ、ちゃんと食えるかな?」
とりあえず大きめのタッパーに入れながら俺が言うと、敦史が首をかしげる。
「表面は乾いてるし、焼けば問題ないと思う。衛生面は別にして、栄養価的には普通の大豆だからな」
「いや、別に栄養の話はしてねえよ。味とかさ、メンタルとか……」
クロが、ぽふっと一粒手に取って見つめる。
「だいじょうぶ。こういうのは、なべにすれば、なんとかなる」
なんとかなるってお前……まあ、なんとかしてくれそうな顔してるからいいか。
片付けを終えたころには、いい感じに空腹もピークだった。
「じゃ、食べるか。恵方巻」
テーブルの上には、敦史が百均で買ってきた巻きすで俺が作ったありもので整えた豚汁、漬物とサラダ。豪華とは言えないけど、見た目は悪くない。
さっき買ってきてもらった巻き寿司の素材を海苔と酢飯を敷いた上に置いて、くるっと巻くとあっという間に恵方寿司の出来上がりだ。
「……恵方って、どっちだっけ」
「クロ、たしかそっちって言ってたよな?」
クロが真面目な顔で壁の方向を指差す。
「今年は、とうほくとーだって。ちょっと、こっちにかたむく」
俺らは揃ってその方向を向いた。
向きだけじゃなく、なんかこたつごと微妙に傾いたのがちょっと笑える。
けど、誰もツッコまない。空気が、すっと静かになった。
無言で食べ続けるって、こう……変な修行みたいだ。
誰かが咳をしても、咀嚼音がしても、誰も反応しない。
それが逆にじわじわくる。でも、誰も喋らなかった。最後の一口まで、ちゃんとルールを守った。
「……ごちそうさまでした」
それを合図に、ゆるっと空気が戻ってきた。
「いや、静かに食べるのって、地味にプレッシャーあるな……」
俺がそう言うと、修二が「本当にな」と頷きつつ、豚汁に手を伸ばす。
「つーか、恵方巻ってさ、俺がガキの頃にはもうあったけど……母ちゃんが『昔はなかったのに』って文句言ってたの思い出したわ」
俺がそう言うと、敦史がスマホをいじりながら、ふむと相槌を打つ。
「元々は関西圏の風習らしいよ。海苔業界が仕掛けて、コンビニが便乗して全国に広がったっぽい。90年代後半から急に」
「へえ。なんか、“広報戦略の勝利”って感じだな」
修二が感心したように言う。
「でもさ、無言で食べる意味って、今でも謎じゃね?」
「たしかに」
「たしかに」
「たしかに」
全員揃って頷いたのが妙におかしくて、笑いが起きる。
それから、残りの豚汁をおかわりして、いつものように食卓を囲む。
特別な日ってわけじゃないけど、なんかちょっとだけ特別な夜。
「……なんだかんだ、クリスマス、お正月、節分って、日本の季節イベントにちゃんと乗っかってるよな、俺ら」
誰ともなくそう言った。
確かに。誰も否定しない。
ほんの数ヶ月前までは、こんな暮らしができるなんて想像もしてなかった。
白物家電が届いて、鍋を囲んで、豆をまいて、こたつに入って、飯を食う。
戦う理由は、まだはっきりとはしていない。
でも、守りたいものの輪郭は、こうして少しずつ、目に見える形になってきている。
節分という行事をちゃんとこなしたかどうかより、
それを一緒にやる相手がいることの方が、きっと大事だ。
それができてりゃ、今日のところは百点だ。




