Episode 38: 寒波と鍋と、ちょっと先の話
一月も終わりに近づいてきて、冷え込みはピークって感じだった。
窓の外をふと見ると、空気は澄んでて、細かい雪がちらちらと舞ってる。
「こりゃ、今夜は鍋にっすっかなぁ~…」
俺はそう呟きながら、白菜をざくざくと切っていた。
火を入れると甘くなる、この白いやつが好きだ。鍋に欠かせない相棒。
手軽にできるし、切るだけで比較的に楽だし、寒い時にはこれが一番だ。
そんなとき、玄関のドアがガラッと開いた音が聞こえた。
「……あ、修二、帰ってきたか?」
台所から顔をのぞかせると、廊下の奥でクロが駆けていくのが見えた。
「しゅーじ! おかえり!」
いつもどおりの元気な声……かと思ったら、なにやら廊下が騒がしい。
クロの声も、ちょっと慌ててる。嫌な予感がして、俺も包丁を置いて飛び出した。
「おいおい、どしたクロ、騒いで──」
「……うわ」
駆けつけた先にいた修二は、頬を赤くして、でも唇の端は青く、明らかに顔色が悪かった。
手袋のない指先は赤紫に近くなってて、細かく震えてる。
「おま、お前……なに、外にいたのか!?」
「……ちょっとだけ。外仕事でさ……」
「ちょっとの顔じゃねえだろ!」
さすがに焦った。
俺が慌てて敦史を呼びに行き、風呂を早めに沸かしてもらうよう頼むと、敦史も驚いた顔で頷いてくれた。
クロには、こたつに修二を連れてってもらって、とにかく温める。
俺は急いで鍋の準備に戻る。こういうとき、あったかいもんがいちばんだ。
しばらくして修二がこたつで落ち着いた頃、俺は湯呑みを手渡しながらそっと問いかけた。
「……ほんと、大丈夫か?」
「ん。……まあ、あったまったし、平気」
「ていうか、なんでそんな雪の中に?」
「今日、屋外の現場だったんだよ。
足場の上に雪積もってて、凍ってて、ちょっと危なかったけど……まぁ、なんとかなった」
「おい、それ笑って言うことかよ。
……こき使われてんじゃねーのか?」
思わず詰め寄るような声になったけど、修二は首を横に振って、ふっと笑った。
「違うよ。むしろ、すごくよくしてもらってる。
最年少だから、何かと気にかけてもらっててさ。
……だからこそ、応えたくなるんだよ。期待されてるってわかるから、ちゃんと応えたくて」
……その言葉に、胸がちくっとした。
「修二、お前さ……自分のこと、後回しにしすぎじゃないか?」
「ん?」
「いや。いつも誰かに合わせてばっかで、無理してるように見えるときあんだよ。
今日だって、こんな寒い日に、そこまでして……誰が頼んだってわけじゃねぇだろ」
「……誰も頼んでないから、逆にやらなきゃなって思うんだよ。
俺だけ若いし、経験も浅いし。だったら、せめて役に立たないとさ」
真面目な声で言われて、俺は何も言い返せなくなった。
修二はそういうやつだ。
無理してる自覚もないまま、自然に「自分より誰か」のために動く。
「……でも、自分が冷えきってたら意味ねぇよ。
“なんとかなった”とか笑って言えるほど、身体って丈夫じゃねえからさ」
俺がそう言うと、修二は少しだけ目を伏せて、苦笑した。
「……ごめん。ありがとうな」
「……なら、いいけどさ」
「それでさ、今日……バイトじゃなくて、来月から契約でやらないかって言われた」
「は!?」
「ちゃんと、月給制で。上げてくれるって」
「……まじか。すごいじゃん!」
正直、驚いた。
あの修二が、ちゃんと現場で信頼されて、評価されてるんだってことに、なんかじんと来た。
「……俺なんか、あんま金銭面で役立ってないしなあ……」
思わずぼやくと、修二はふっと笑った。
「家に、みんながいるから頑張れるんだよ。
そうじゃなきゃ、こんな雪の中で外仕事なんか、やってらんないって」
ちょっとだけ照れてるような声だった。
そのとき、「ピッ」と風呂の湧いた音がした。
「お、湧いた。修二、先入ってこいよ。あったまってこい。今日頑張った分、しっかり温まれ」
「……ありがとうな」
立ち上がる修二を見送りながら、俺は鍋に火を入れる。
すでに部屋の中は出汁の香りで満ちてて、白菜もぐつぐつと煮え始めていた。
修二が風呂から上がって、全員がそろった頃には、部屋はあったかくて、鍋もいい具合に仕上がってた。
「明日、俺休みなんだよ」
修二がぽつりと告げると、クロが「やすみ!やったー」と歓声を上げた。
「だからさ、明日、一回ちゃんと時間とって……組織のこれから、話し合わないか?」
「……ああ、いいな、それ」
「うん!クロ、いっぱいはなす!」
「じゃあ、明日は“悪の組織会議”だな。朝からみっちり」
俺が言うと、みんなが笑って、うなずいた。
外はまだ、雪がちらついていたけど――
こたつの中と、鍋の湯気と、仲間の声で、部屋の中はとてもあたたかかった。
ふたを開けると、ふわりと立ちのぼる湯気の中に、煮えた白菜の甘い匂いが広がる。
鶏団子はふっくらしていて、豆腐もぷるぷる。えのきとしらたきは出汁をよく吸っているし、春菊の香りがまた食欲をそそる。
仕上げに彩りで入れた人参が、ほっこり温かい色をしていた。
「おー、いい感じじゃん! いただきまーす」
「うん! いいにおい、あったかい!」
クロが手を合わせてにっこり笑う。
俺は大皿をまわしてみんなに具材を配りながら、ちょっと気になって修二を見る。
「……少しは芯から温まったか?」
「ああ。風呂上がりの一杯が、人生で一番うまかった気がする」
修二が湯呑みを持ち上げて笑った。ほんのり頬が赤くなってるのが、ちゃんと回復してきた証拠だ。
「春菊、入れるぞー。あ、修二は問題ないよな?」
「ん。好きなほうだよ」
「で、問題はこっちだな。敦史、自分で用意する時はほんとに野菜食わねえよな」
「いやいや、俺だって食ってるし。カップ焼きそばのかやくとか」
「それ“野菜風のなにか”な。しかも乾燥して戻したやつ」
「うっせ。火通してりゃ栄養あるって言うだろ」
「それは理論の暴力だろ……とりあえず夜くらいはしっかり野菜摂っとけ」
わははと笑う声に、クロが箸を止めて目をぱちくりさせる。
流星と敦史の掛け合いに笑っていたクロが、ふと鍋の中をのぞき込むようにして言った。
「これ……やさい? におい、ちょっとへん……」
「お、気になる? 春菊って言うんだ。葉っぱの野菜だよ。苦いけど、旨いんだぜ」
クロは少し首をかしげて、湯気の向こうをじっと見つめる。
春菊の独特な香りが、クロにはちょっと変に感じたのかもしれない。
「しゅんぎくって……からいの?」
「いや、からくない。春菊はちょっと苦いだけ。からいのとはちがう、大人の味、ってやつだな」
「にがい……?」
「うん。でも、好きな人はすっごく好きなんだよ」
「ふーん……じゃあ、クロもたべてみる。おとなになる」
春菊を口に運んだクロが、もごもご噛んで、少し眉をひそめる。
「……うべ…...」
「だよな」
笑いながら、俺たちは次々と鍋をつついた。
ふいに、修二がぽつりと口を開いた。
「……なんか、不思議だなって思ってたんだよな」
「何が?」
「こうやって、みんなで鍋囲んで……ちゃんと笑えてるのが、さ。
今までの俺には、なかったから」
こたつの上で、クロがぽん、と修二の腕に寄りかかる。
「いま、ある。しゅーじ、ここにいる」
「……ああ。そうだな」
その言葉に、修二が静かに頷いた。
こたつの中はぬくくて、鍋の湯気でほんのり湿っていて、外の冷たい空気がまるで嘘みたいだった。
「……なあ、明日はどうする? 朝から“作戦会議”ってことでいいのか?」
俺が言うと、敦史が軽くうなずいた。
「うん。ちゃんと“どうやって金を稼ぐか”とか、“組織の方向性”とか、そういうのまとめたいと思ってた」
「クロ、そういうの、かんがえるの、たのしみ!」
「……じゃあ、朝飯はちょっといいやつにしてからな」
「お、いいね。ホットサンドとか作ろっか?」
なんでもない会話。だけど、その“なんでもなさ”がとにかく嬉しかった。
この時間を守りたいと、自然に思った。
だから俺たちは――明日からの“悪の組織”の未来を、ちゃんと考えるつもりだ。
鍋の底が見えてくるころには、心も体もぽかぽかになっていて、
窓の外には、まだ小さな雪が舞っていたけど――
こたつの中の俺たちは、確かに、未来へ向かって進もうとしていた。




