Episode 34:総帥日記解読再挑戦(敦史視点)
日記をクロが最初に見つけたのは、去年のことだった。
階段裏の物置。埃をかぶった木箱の底。
無造作にねじ込まれていた何冊もの古びたノートに、「日記」とあって興味をひかれた。
けど、ページをめくってすぐに、俺は本を閉じた。
理由は簡単だ。
…読めなかった。
字が崩れている。言葉が古い。書式が現代のとだいぶ違う。
そもそも文章の“入り口”が見えなかった。
「これは、自分にはまだ早い」
文字の読めないクロはともかく、流星や修二も一目見て匙を投げた。
そう思って、日記はそのまま、居間のの片隅に置かれ続けていた。
……それが今になって、また気になったのは、スマホとPCを手に入れたからだ。
年末にようやく中古のPCを導入し、俺自身もこっそり新しいスマホに慣れ始めていた。
ふと、そのとき思った。
「……今なら、あれ、読めるかもしれない」
正確には、“読ませられるかもしれない”。
俺の脳じゃなく、機械の力で。
こたつの上にノートを置き、スマホのカメラをかざす。
1ページずつ撮影して、PDF化する。
そのデータを、PCに送る。
PDFから画像抽出、さらにOCRで文字を起こし……
テキスト化された断片を、AIチャットへ投げ込んだ。
「この文章を、現代語に翻訳してくれ」
数秒の沈黙の後、返ってきた文字列が、俺の目を止めた。
《昭和二X年 二月三日 東京にて》
国が焼けていた。
人が、いなかった。
影も声も、何も残っていなかった。
俺は、寒さで千切れそうな指を握りしめ、
仲間の遺髪の袋を抱えて駅を降りた。
ただそれだけのことだったのに、
涙が止まらなかった。
シベリアで死んでいった奴らのほうが、まだ“何か”に護られていた気がする。
ここには、それすらない。
温度も、敬意も、記憶も、ない。
俺たちは、何のために死に、何のために生き残った?
この国のため? 家族のため? 未来のため?
——笑わせるな。
未来なんて、どこにもなかった。
国家なんて、跡形もなく崩れていた。
腐った瓦礫と沈黙しか残っていなかった。
「帰ってくるな」と言わんばかりの沈黙だ。
あまりに重い内容におもわず目を、そらしたくなった。
「これが……総帥……?」
思っていたのとは、違った。
俺たちの知る“悪のカリスマ”じゃない。
そこにいたのは、戦争を終えても帰る場所を失った、ただの若者だった。
AIが示した文字は、静かに、そして重く、俺の中に沈んでいく。
《二月十四日》
死体を運んで歩いた。
骨壷もなければ、棺もない。
防寒着の裏地に、仲間の遺髪を縫い込んで帰ってきた。
皮膚に直接触れるように。
熱を忘れぬように。
俺は彼らを背負って帰った。
だが——
その遺髪を届けた先には、誰もいなかった。
瓦礫に野良犬が吠え、
焼けた壁に、焦げた家族写真だけが貼られていた。
名前を言っても、誰も知らなかった。
町ごと、消えていた。
彼らの死を、証明する者は、俺だけになった。
《三月》
何人も死なせた。
戦争とはそういうものだ。
だが、死んでいった奴らが、"いなかったこと"になるのは、違う。
この国は、無関心だった。
戦地で死のうが、凍土で果てようが、
今ここで税金を払っていない者は、存在しないものとされる。
彼らの死を、国家は覚えてなどいない。
その事実に、俺は初めて本気で怒った。
《四月》
空襲で家族を焼かれた女が、
「夢を見ました」と言って泣いていた。
その隣で、復員兵が人殺しと罵られ、
市井のゴロツキが傷痍軍人を殴っていた。
すべてが狂っていた。
勝てば正義、負ければゴミ。
国家とはそういうものだったのだと、俺は骨で知った。
それでも俺は信じていた。どこかに希望があると。
愚かだった。
《四月二十三日》
誰も彼もが自分のことで精一杯だ。
正義も思想も語らない。
語れば笑われる。
「お国のために戦った? あはは、冗談でしょ」と女が言った。
その夜、俺は壁を殴って骨を折った。
あの氷の大地で、俺は一度も泣かなかったのに、
この街の空気は俺を泣かせる。
この国は、俺を殺す。
《五月一日》
俺は人間をやめることにした。
この国に復讐する。
だがそれは、焼き払うことではない。
俺はこの国より、正しく、美しく、恐ろしくなってやる。
無縁仏となった仲間たちの名前を名乗り、
記録の上では“死んだ男”として、
“誰でもない男”として、俺は生き直す。
科学の裏側へ潜る。
そこにこそ、牙がある。
牙を持たぬまま、正しさなど叫べない。
もう祈らない。
もう期待しない。
ただ、造る。俺だけの“秩序”を。
……最初に読み終えたあと、十秒ほどPCの画面を見つめたまま固まった。
鼻の奥がツンと痛み、画面が滲む。
「……こんなもん……一発目に読むもんじゃねぇだろ」
かすれた声で呟き、そっとPCを閉じる。
言葉にならない。頭も心も、うまく動かない。
無言で立ち上がり、台所へ向かう。
戸棚から湯飲みを取り出し、茶葉を入れ、湯を注ぐ。
注ぐ手が少し震えていた。
だが——
これは一人で抱えきれるものじゃない。
違う時代とはいえ、同じような年齢で、これほどの地獄を見てきた総帥の運命。
そのあまりの重さと孤独に、痛みが滲んだ。
そして思う。
——読まなきゃよかった、なんて言わない。でも、簡単に読むもんじゃない。




