Episode 26:警戒
早朝、薄明るい住宅街の中――。
年末も近くなったある日、突然ボロアパートの近所にある放送スピーカーから、けたたましい爆音が鳴り響いた。
サイレンのような音が断続的に流れ、周囲の家々から人々が戸口を開けて外に出てくる。
「何の音だ?」
慌ててアパートの外に出た俺と修二は、音の方向を見やる。
廊下の奥、部屋の扉を少しだけ開けて敦史が顔を覗かせていた。
中にはクロもいて、怯えたように敦史の腕にしがみついている。
「……クロがびっくりしてる。
悪いけど、俺たちは中にいる、頼む」
敦史が低くそう言い、扉を閉めた。
かなりの大音量だったため、それを聞きつけた近所の住民たちが続々と顔を出す。
その中に、みっちゃん――近所に住むオバチャンの姿もあった。
みっちゃんは慌てた様子で、スピーカーの付近から小走りで戻ってくる。
「ああ、びっくりしたわ。こんな朝っぱらから何事かと思ったわ」
肩をすくめて息を整えるみっちゃんに、俺は思わず声をかけた。
「……大場さん、おはようございます。今の音、なんだったんですか?」
「あ~ら!おはよう、流星くん。ほぉんと、朝からお互い災難だったわねぇ!」
みっちゃんは不安そうに首を振る。
「たまたま近くを通ったら、放送スピーカーが突然大音量で鳴り出して……慌てて止めようとしたんだけど、何が原因かさっぱりわからなくてね。
ンモゥ、こんなこと初めてよ~!」
「この放送設備って、普段からこんなに音が大きかったりするんですか?」
「いえいえ、全然よ。
普段は市内の放送や町内会の呼びかけくらいしか使わないものぉ。
…これは本当に異常よ~?」
みっちゃんは困ったようにため息をついた。
「まぁ、詳しいことは町内会長さんに相談してみるつもり。
老朽化とかなのかしらぁ…しばらく様子を見るしかないわねぇ」
俺と修二は無言で頷き、アパートに戻ることにした。
アパートに戻ると、俺たちはこたつに腰を下ろし、顔を見合わせて軽くため息をついた。
まだ、あの爆音が耳に残っている。
「なんだか妙な音だったな……」
修二が首をかしげながら言う。
「誰かの嫌がらせか、機械のトラブルかもな」
敦史がクロをそっと撫でながら、少し笑みを浮かべる。
「まあ、今のところは特に変わった様子もないし、気にしすぎるのもよくない」
俺は窓の外の静かな町並みを見ながら言った。
「でも、何か変だとは思うよ。こんな時に、こんな音がするなんてな」
クロが小さく触手を揺らしてつぶやく。
「クロ、こわいけど……なにかあるかも」
そんな空気が、少しだけ俺たちの間に漂っていた。
――それは、ほんの数十分前のことだった。
人影もまばらな早朝の住宅街。
近所の路地裏で、大場美津子が静かに物陰にしゃがみ込んでいた。
手にしているのは、買い物袋に偽装された小型の盗聴装置。
古びたアパートの近く、見通しの悪い塀の影を選び、設置の準備を進めていた。
「……このあたりなら、ちょうど居間の位置かしらね」
ひとりごとのように呟きながら、盗聴器を取り出す。
しかし、起動した瞬間――
ブツッ、と不快なノイズとともに、機器がまるで拒絶するように沈黙。
液晶にエラー表示が点滅し、信号が途切れた。
「なに……? 反応しない?」
その瞬間、すぐ近くの町内放送スピーカーから――
「ピィィィィーーーー!!!」
という爆音が、けたたましく鳴り響いた。
「っっ!!?」
あまりの音に、咄嗟に身を縮める。
スピーカーの音量が突如跳ね上がったような異常な状況に、近所の窓がぱたぱたと開き、あちこちで「何!?」「うるさい!」という声が上がり始めた。
そこへ――アパートの玄関が開き、寝ぼけた顔の流星と修二が顔を出した。
私は素早く盗聴器を袋に押し込み、何食わぬ顔で二人に近づく。
「いやあ、びっくりしたわねぇ。私も止めようとしたんだけど、原因がさっぱり分からなくて……まったく、朝からこれじゃあねぇ」
自然な笑顔で言いながら、スピーカーから離れつつ、そっとその場を離れていく。
しばらく歩いたあと人目のない電柱の陰に立ち止まり、小型端末を取り出して呟いた。
「盗聴器がまったく反応しなかった……これはどういうこと?」
端末のログを確認するが、妨害信号や位置情報の記録はなく、異常が発生した原因は特定できない。
スピーカーの爆音も、どこから制御がかかったのか分からない。
しかも、出てきた若者たちは、無防備でまるで何も知らないような反応だった。
「偶然……? いや、でも……」
私は小さく首を振り、深いため息をついた。
「何かがある。でも、まだ正体は見えない……」
そして、最後にもう一度、背後にそびえる古びたアパートを見上げた。
「……この辺り、普通じゃないわね。もう少し調べる必要がありそうね」
そう呟きながら、静かに路地裏へと消えていった。




