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Episode 14: 名刺の果てと川の記憶


ラーメンを食べ終え、敦史が箸を置いておもむろに口を開いた。


「実はあまりいい報告じゃないんだけどさ…昨日見つけた総帥の日記、解読が上手くいかないんだ。」


「どうした?」


俺は丼をそっと卓に置き、身を乗り出す。


「これを見て欲しいんだが…ほとんど読めねえ。

一日かけて目を通したが、今のままだと解読に時間はかかりそうだ。」


目の前に差し出された日記は一番新しいものだった。

それでも達筆すぎる筆の文字と文体は俺も読むのが難しい、いや読めないかもしれない。

修二も横からのぞき込んできたが、目を伏せて首を横に振った。


「クロ…日記…むずかしい…文字…わからない」


クロがキャベツサイズの体で、こたつの隅に縮まり、触手をそっと揺らす。

その純粋な声に、部屋の空気が少し和らぐ。


敦史が続ける。


「他にてがかりはないものかとざっと見たら、しおり代わりに名刺やメモが挟まってた。

一番新しいのは2年前、東京都S区の役場の名刺…。

もう一枚は関東圏郊外の住所を書いたメモだ。」


差し出された紙を見るとひとつは少し古ぼけた名刺、もうひとつは手書きのメモだった。

メモは相変わらず達筆で読みにくいが住所っぽい、一方名刺は印刷で「東京都S区戸籍課 田中義男」とはっきり書かれていてわかりやすい。

組織の復興には、総帥の過去も鍵になるかもしれない。

修二が静かに言う。


「…いまのところまだ手掛かりがないなら、ここに行くしかないだろうな。」


その渋い声は、いつも通り落ち着いてる。

敦史に目をやると、何か考え込んでいるように見えた。


「敦史、何か心当たりあるのか?」


「前に封筒にあった俺の戸籍謄本、新しい方にS区から転居した記録があるんだよ。

…S区なんてほとんど接点はないんだけどな。」


戸籍…敦史の声には、どこか重い影がある。

クロが「…アツシ…だいじょうぶ…?」と触手をそっと敦史の腕に絡める。

まるで家族を守るような、純粋な仕草だ。

敦史が「大丈夫だ、クロ」と小さく笑い、触手を撫でる。

近いうちにさっそくここに向かいたいが、ふとある事を思い出す。


「修二、バイトは大丈夫か? 明日も行くんじゃねえの?」


俺が振ると、修二が答える。


「ああ、明日は会社の都合で休みだ。ちょうどいい、動ける。」


そう言うがなんとなく言葉に歯切れがない。

不思議に思いつつも、今は一旦その事に関しては触れない事とした。


クロが「クロ…みんな…いく…!」と触手をブンブン振っている。

何か手掛かりを見つける事が出来ればいいのだが…。




翌朝、早速4人でS区の役場へ向かう事になった。

K県の静かな町を後にし、電車に揺られる。

K県とは違い、S区の雑踏は耳を(つんざ)く。

流石東京でも大都市…ビルの隙間に響くクラクション、歩道を埋めるスーツ姿の人波、派手な街頭テレビでの広告、なにもかも違う。


そんな中ひときわ大きな役場の入ったビルに着く。

勇んでやってはきたものの、肝心の名刺の「田中義男」って人は2年前に定年退職していたらしい。

当然プライバシーの関係で連絡先なんて教えてもらえるはずもなく…。


「手掛かりが、こんな簡単に途切れるのかよ…」焦りが胸を締め付ける。

だが、わざわざ来たのに得られたものは退職したという事実のみ。

田中の行方は、霧の中に消えたままだった。



「はあ、これからどうすっかなぁ…」


途方に暮れる俺たち4人。

役場の外で、ビルの影が長く伸びている。もう昼も過ぎているようだ。

修二が静かに言う。


「近くの川で、昔、俺が総帥と会った場所がある。

今は何も手掛かりもないし、軽く昼でも食べたらぶらぶら行ってみるか?」


「川? まあ、動かないよりマシかもな…。」


正直、今回の事は結構堪えた。

やっと手に入れたと思った手掛かりが、あっさりと無に帰したのだ。


気分転換もあって俺たちは徒歩で川へ向かう事にした。


雑踏が遠ざかり、30分後、言っていた川の土手に立つ。

夕暮れの空は茜色に染まり、水面が静かに揺れている。


「トレーニングの休憩でこの川べりにいた時、総帥に初めて会ったんだ。

その後何回か顔を合わせるうちにスカウトされてな…」


修二が総帥との出会いを話し始めた。

そういえば、暮らし始めて数日経つが…他のやつらの過去というのをほとんど知らないままだった。

修二はなぜ、組織に入る事にしたんだろうか?


「…佐伯さん?」


突然、作業服のおじさんに声をかけられる。

皺だらけの手でタバコを握り、川の風に目を細めている。

逆光で反射してメガネが光っている。


「ああ…すまない、間違えた…よく見たら背丈以外全然違うよな…知り合いに似ていると思ったんだが」


おじさんは頭を描きながら考え込んでいた。

だが、佐伯って…?

総帥はその偽名で名乗る事があったよな。


「あの、すみません、佐伯さんって、高齢で背の高い渋い感じの老人じゃないですか?」


「うん?確かにその通りなんだが…君ら佐伯さんの知り合いかい?」


おじさんはスマホで写真を見せてきた。

…これは、総帥だ。

偶然にも総帥の知り合いに会うことができるとは…だがこの人は総帥の事をどこまで知っているのだろう?


「そうか、まさか佐伯さんの知り合いと会えるとはなぁ。

佐伯さんとは、昔からよくこの川で話をしたよ。

若い頃、世話になって、俺なんかの悩み相談も聞いてくれたんだ。」


「そうだったんですね。

僕らも全員似たようなものでして、助けてもらった事があったんです。」


「そうなのか…少しおじさんの昔話を聞いてもらえるかい?」


ゆっくりと暮れ行く夕日を背におじさんは話し始めた。

おじさんが若かった頃、いわゆるバブルという時代だったらしい。

周りがありえないレベルで裕福になっていく中、一人取り残された様な気分になったそうだ。


「僕は公務員だったからね…民間企業と違ってバブルの恩恵は受けていなかったんだ。

やれ海外旅行だ、マンションを買っただのが周囲で頻繁に起こっていた中、なんだか自分だけがってみじめにもなってね。

そんな時に佐伯さんと初めて会ったんだ。」


その佐伯さん...総帥はひとしきりおじさんの話を聞いた後、公務員は国を支える大事な仕事だから胸を張っていいんだ、自信を持っていいと励ましてくれ、その後度々佐伯さんと話をする仲になったらしい。


「あの時、その事がかなり自分の支えになったんだ。」


懐かしそうに語るおじさん。

なんとなくその光景は目に浮かぶ、総帥は…そんな人だった。


「…ただね、一度だけ、ちょっとおかしな話をされたことがあったんだ。」


ちょっと真面目な顔になったおじさんは、意外な事を語り始めた。


「数年前かな…「人を救うために戸籍を改ざんしたい」って行って来たんだ。」


…戸籍?


「もちろん戸籍改ざんなんて法律的にもやばい事だ。

流石に驚いて聞いてみたら、どうも児童虐待にあっている子供を救いたいって話だったんだ。

こういうのは本来だったら公的機関に保護してもらうとかやり方はあるんだが、どうもそれが通用しない状況みたいでね…。」


詳しい状況は教えてもらえなかったそうだが、かなり厄介な状況だったらしく珍しく佐伯さんが悩んでいたらしい。


「僕はね…その時役場の戸籍を扱う部署に居たんだ、だからどうやればいいのか相談されたんだ。

たった一度だけだけど、僕はそれに協力したんだ…佐伯さんはそこまでさせれれないと断っていたけど…。

今までの恩もあって、佐伯さんの役にたちたかったのもあるんでね。

ただ、それ以来佐伯さんには会えなくなってしまったんだよ。

もしかしたら僕にこういう事をさせてしまった負い目もあるかもしれないけどね…。」


数年前の日記から出てきた名刺にあった…戸籍課…田中義男…まさかこのひとがそうなのか?

敦史が息を呑む。「その戸籍…俺のかもしれない」

おじさんが敦史を見て、目を見開いた。


「お前があの時の少年なのか…佐伯さんが救った子。」


「多分、そうなんだと思う…いや、そうなんだと思います。

特殊な状況で親の影響力が強くて、児相とかじゃきっと動けなかった。

あの時佐伯さんがいなきゃ、今も抜け出せてなかったかもしれません。」


「そうか、君は今、幸せなのかい?」


「…はい、昔よりずっとちゃんと生きている感じがします。きっと幸せなんだと。」


「…よかったなぁ、僕も会えてよかったよ。」


涙ぐむおじさんと敦史。

敦史も修二と同様、俺は過去の事はほとんど知らない。

ただ、なかなか語る事が難しそうな重い過去がありそうだった。


「佐伯さん…あの人は、普通じゃない雰囲気のある人だった。

まるで別の世界から来たみたいな不思議な人だったよ。

ただ本当にやさしくていい人だった。」


おじさんが続ける。


「佐伯さんはこの川が好きだったみたいなんだ。

僕も夕暮れにここで話すと、悩みが軽くなった気がしたもんだ。

偶然君たちに会えて、僕も嬉しいよ。」


そういっておじさんは去っていった。

彼が田中義男(名刺の人)さんだったかはわからない。

ただ何となく総帥の痕跡は感じる事が出来た。


しかし手掛かりはまた途切れてしまった。

帰宅したらもう一つの方のメモを解読してみるしかなさそうだ。


夕暮れ、俺たちの決意は固まった。総帥の遺志を、どこまでも継いでやる。


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