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5:武侠、後宮に入る事

 それからの一週間、紫炎はひたすらに研鑽を積んだ。


 既に積み重ねてきた功夫を、今の肉体に合わせる。それは、自らの修練の日々を繰り返すに等しい。

 故に、紫炎は寝食を忘れ、練武場に篭って鍛錬を続ける。

(肉体が変じて外功が失われようと、積み重ねた内功はここにある)


 離門派の套路をなぞる度に、自らの肉体への理解が深まっていく。

 拳と脚の間合い、剄力の強さ、肉体の柔軟さ……

(成程、これが女身か)

 男の頃より筋骨は弱まり、心もとない。しかし、肉体の柔軟さと、丹田より生じる気の強さは、以前よりも高まっている。


 だん、とひと際強く踏み込み、鍛錬用の木人を掌で打つ。瞬間、木人の背部が弾けた。

 掌打を受けた正面はそのままに。ただその背面だけが、突き抜けた剄力によってはじけ飛び、ささらのように捲れ上がっている。


「……お見事」

 そう声をかけてきたのは、徐栄だ。

「流石は、楊紫炎殿。女の姿となっても、拳の冴えは変わらぬご様子」

「そうでもない。まだまだ五分か、六分。本調子とはいかぬ」

「御謙遜を。私の時など、気を練ることすらままなりませんでした」

 その言葉に、紫炎はぎょっとする。

「まさか、徐栄殿……」

 髭面の偉丈夫は、照れくさそうに話す。


「はい、私も泥眼道士の秘術で、一時女となりました。そのまま後宮に行くつもりでしたが、まともに剣を振るうことも出来ぬ有様で、断念したのです」

(はて、この髭面が女身となったら、どのような顔になるやら)

 紫炎は一瞬失礼なことを考えてしまう。


 徐栄は、拱手しながら首を垂れた。

「楊紫炎殿。どうか、姫を……美蘭様をお守りくだされ。我が主は、穏江様が第一と申されましたが、本心は……」


 徐栄は、周兄妹が都に上がってきたからずっと仕えてきた身である。二人には、我が子にも等しい情を注いできただけに、美蘭が後宮という手の届かぬ場所で、命定かならざる怪事に立ち向かっていることが、もどかしい。


 紫炎は、ついと手を上げて徐栄をとどめる。

「皆まで申すな、徐殿。離門派祝融掌が師範の誇りにかけて、美蘭殿はこの楊紫炎がお守り致す」

「……お頼み申します」

 静謐な練武場で、武侠と武人が、互いに拱手し頭を下げる。



 その二日後、都において新たな帝が立つ即位の儀が、大々的に執り行われた。

 新たな帝となったのは、先々帝の甥にあたる傍流の周暢康。先帝・周高弦は、諡されて宥帝となった。

各地から慶賀の使者が集い、都には華やかな空気が溢れた。


 そして同日、一台の牛車が、楊紫炎を乗せて後宮へと入っていった。

「ありゃあ、新たな帝の妃かい?」

「いいや、ただの女官だそうだ。尚書令の楊元明が、養子を入内させるそうな」

「さては、どこぞの傾城を使って、新たな帝のお手付きを狙おうって魂担だな?」

「いやいや、それがどうやら腕自慢を連れてきたって話だ。帝の妹の護衛役だとさ」

 都雀たちが噂する中を、牛車は後宮へと続く門をくぐる。



 牛車を降りた紫炎は、連れられた先で服を向かれた上で老女官たちの検査を受けた後、数人の宦官たちが待つ部屋へと通される。


 その中央に座っていた一人が、声を発した。

「私は、後宮の差配を取り仕切る、内侍監の趙元尚である」

 宦官特有の高い声。白い細面に切れ長の目で、官服でなく女の装束を身につけていれば、どこの傾城かと見紛うことだろう。だが、ゆったりと椅子に座る姿は、この場の誰よりも威厳に満ちている。


 紫炎はその場に膝をついて礼をとりながら、考える。

(これが後宮の主とも噂される御仁か。只者ではないな)


 趙元尚。皺も少なく若く見えるが、先帝の頃より仕えている宦官で、後宮を司る内侍たちの長にして、実質的に後宮の一切を差配する立場にあるという。

 多くの宦官たちと違い、賄賂や付け届けの類は受け取らず、またいかなる政局においても中立を貫くため、巷では清廉の士と評価されている。


 その趙元尚が紫炎を見据える。

「そなたが、楊紫炎か。尚書令・楊元明殿の養女で、周美蘭様の警護役とのことであったな」

「左様にございます」

 と、隣に座っていた宦官たちがくすくすと笑う。

「ほほほ、楊姓で紫炎とは、大層な名だこと」

「巷間に謳われる「赫毛天狼』にあやかったか?」

 首を垂れたままの紫炎を嘲るような宦官たちを、趙元尚は窘める。


「おやめなされ、皆さま方」

 そして趙元尚は、紫炎の入内認可を求める書類に、自らの璽印を押して、言った。

「楊紫炎、その名に負けぬ務めを果たすがよい」

「ははっ」

 紫炎は深く頭を下げた。

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