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41:武侠、貴人の邸宅を訪う事

 その日、壮港には雨が降っていた。


 通りには、行き交う人の傘が花のように咲いて、高所から眺めたなら、さながら花畑だ。


 そんな中、紫炎も傘をさして、通りを歩いていく。

 後宮の中での女官の装束ではなく、男物の服と帯を纏っている。


 紫炎にとって、久方ぶりの巷の喧騒だが、それに心を浮き立たせる様子はない。

 紫炎の心はむしろ、この春の雨よりもなお冷たく、固く凍り付いたかのようだ。



 やがて、後宮役人達の屋敷が立ち並ぶ区画に辿り着くと、一件の邸宅の門前で、門番にこう告げる。


「私は、後宮は玄嶺宮の警護女官、楊紫炎。後宮の変事について、お話ししたき儀がある。御主人にお目通り願いたい」



 暫く雨の門前で待たされた後に、紫炎は屋敷の中に通された。

 案内人の後ろについて、門を抜けると、邸内の長い廊下を歩く。


「……」

 柱の影や、壁の向こう側から、肌に突き立つ殺気を感じる。

 しかし、紫炎はまるで意に介さず涼しい顔のまま進む。



 そして、紫炎は大きな広間に通された。正面の壁を背に、豪奢な椅子に掛けた男が一人、紫炎を待っていた。


「さて、話したいこととは、一体何かな。楊紫炎殿」


 そう言って、白磁のような美貌を晒しているのは、内侍監・趙元尚であった。



 紫炎は一度拱手すると、口を開いた。


「此度の、帝や皇太子さまを狙った一件、その黒幕についてにございます」


 趙元尚は、ひじ掛けについた手で頤を支えつつ、紫炎を眺める。

「あれは、妙蓮による企みであった筈だが?」

「処刑される前、妙蓮様とお話いたしました。その折、妙蓮様に帝と皇太子様の暗殺を唆し、黄幇の手勢を貸し与えた悪党の存在をお聞きしております」


「はて……怪しき薬の毒に侵されたがための妄言。あるいは、罪科を免れんがための嘘であろう」

「いやいや、妄言とも嘘とも限りませぬ。私には、その悪党に心当たりが御座いますれば」


「ほう……では、聞かせて欲しいものだ。お前が申す、黒幕とやらを?」

 趙元尚は、笑みすら浮かべて問いかける。


 紫炎は、趙元尚の目を挑むように見つめながら、語る。


「かの悪党は、黄幇と繋がり深き者でございます。そして、後宮内を自由に闊歩できるのみならず、己が郎党を後宮に招き入れることが可能な立場の御方」


「ふうむ、はてさて、誰のことを申しているやら……」

 趙元尚は、戯れるようにはぐらかす。だが同時に、紫炎の視線に真正面から受け止める。


 ふと、紫炎は

「……話は変わりますが、いまより二十年程の昔、若くして艮門相柳拳の秘奥を会得し、黄幇の大幹部となった男がいたそうです」


 趙元尚の眉がぴくりと動いた。


「男の名は羅生。人を欺き操り陥れ、堕ちる様を嘲笑う悪辣非道の男なれども、武術の腕は確かなために黄幇盟主より多大な信頼を得て、欺笑操狐の二つ名まで与えられていたとか」


 紫炎がとうとうと語る中、趙元尚が頤から手を外して、ぴんと指を立てた。

 それが合図となったか、部屋に数名の男たちが入ってくる。それぞれの手には得物を携え、体からは殺気が溢れている。


 自分を取り囲む男達に気づきながらも、紫炎は平然と語り続ける。

「その男は、江湖で名を馳せておりましたが、ある時武林から姿を消しました。世俗の栄華を求めたのか、あるいは黄幇盟主の命か、人間の巷に身を投じ、以来男の消息は絶えております。が……」


 紫炎は袖から出した紙をぺらりと広げて突き付ける。


「これなるは、我が師よりの文。記されているところによれば、羅生は二十年前に都へと上り、宦官の趙覧堂殿の養子となったとのこと。いやはや、流石は我らが門主。世俗のこともよく御存知で」


 紫炎は、暢康を通じての文で、師に黄幇と宦官の双方に関わり深い武芸者を尋ねていたのだ。その回答が、示唆した男はただ一人。


「……戯れは、そろそろ仕舞にいたしましょう。趙元尚、いやさ、欺笑操狐の訊羅生!」


 叩きつけるような紫炎の言葉に、趙元尚から先程までの笑みが消え、その目に冷たい光が浮かびあがった。


「成程、そこまで存じておるとは。良くも調べたものよ」

 趙元尚は椅子に座したまま、緩やかに手を叩く。

「江湖に名高い武侠が、女身となって後宮にやってくるとは、何の冗談かと思っていたら、こんな喉笛にまで食らいついてきおった。流石は、赫毛天狼といったところか?」


 紫炎を取り巻き、じりじりと包囲の輪を狭める趙元尚の配下たち。

 それでも動じず、紫炎は趙元尚に問い質す。

「……一応問うておく。何故だ?」

「何?」


「何故に、あのように回りくどいやり方で、帝や皇太子を弑そうと企んだ?」


 趙元尚は、口の端を歪めるように笑う。

「勘違いするな、赫毛天狼。落鳳の誓いに縛られた、黄幇の老人たちの思惑など知らぬこと。俺自身は、帝の死など望んでおらぬわ」


 浮かぶのは、嘲弄の色。紫炎の嫌いな、笑みだ。


「ただ、あの哀れな女ども……あの籠の中の鳥である後宮の女どもが、滑稽に足掻き、躍る様こそが楽しかっただけのこと。哀れな女どものため、宦官となって働いているのだ。その程度の役得、許されてよかろう?」


 その言葉で、紫炎は静かに檄した。


 拳を握り、臍下で気を練りながら、構える。


「度し難し、欺笑操狐。ならばこの楊紫炎が、冥府への案内、仕ろう」


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