表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/45

9:武侠、魔拳を看破せしむる事

 翌朝のことである。


「おはよう、兄弟子。昨晩はよく眠れた?」

 紫炎が朝の挨拶に訪うと、美蘭は寝台の上で、特女たちに身の回りの世話をされている最中であった。

まだ夜着の薄衣を着たままで、肢体の稜線があえかに浮かぶ。

 紫炎は、慌てて背を向けた。


「よ、夜回り中に、言いがかりをつけられたりはしたが、お、概ね平和だったぞ!」

「……なんで後ろ向き?こっちを向いてよ?」

「ふ、婦女子の身だしなみを、覗き見るような真似はせん!」

 その言葉に、美蘭と侍女たちがくすくすと笑いだす。

「何言ってるのよ、自分だって婦女子のくせに」

「俺の、心根の問題だ!」

「第一、昔はみんなで裸になって川遊びだってしてたじゃない。何をいまさら」

「こんな小さな儒子の頃の話だろ!」

 必死な有様を美蘭たちに笑われ、紫炎は憮然とする。


「……はいはい、こっち向いても大丈夫よ、紫炎兄様」

 その言葉にゆっくり振り返ると、美蘭は既に普段着に着替え終わっており、紫炎は一息つく。

「……それで、これからどうするの?」

「私の推測が当たっているかどうか、先ずは玉英に確認だな」

 ほどなく、玉英が呼び出される。そして、照玉が殺された日の行動について、改めて問いただされた。


「……言われてみれば、鍛錬の疲れがたまって腱の具合が悪いと言って、照玉はあの日の午後に……」

「行ったか」

「はい。私は遠慮して行きませんでしたが……」


 玉英の語る事は、紫炎の推測を補強する内容であった。

「どうするの、紫炎」

 美蘭の問いかけに、しばし考え込む紫炎。

「……こうなれば、私が直接赴いて確認しよう」

「そ、それは危険なのでは!?」

 慌てる玉英に、紫炎は不敵に笑う。

「危難を避けるは、君主の務め。ならばそこに飛び込むのは、侠たる者の務めよ」



 その日の夕刻、所要の支度を済ませた紫炎はただ一人、後宮内を進んでいた。

 一日の業を為し終えて、安息の夜に移ろう途上の、おぼろな刻限である。下働きの女官たちが、其処彼処の燈明に火を入れるべく、動き回っている。

 そして、紫炎は目当ての建物にたどり着いた。

「御免」

 一言断りを入れて、戸口をくぐる。


 室内に一歩立ち入ると、途端に藺草の匂いが鼻孔をつく。

「どうかなさいましたか?」

 奥から、人当たりの良さそうな中年の女が現れる。

 紫炎は女に一礼する。

「私は、公主様にお仕えしております、女官の楊紫炎と申します。こちらで、鍼灸を施していただけるとお聞きしました。少々腰に痛みがあるもので、診て頂ければと思いまして」

「おや、それは難儀なこと。私は鍼灸師を務める黄明珠。どうぞこちらに」

 明珠と名乗った鍼灸師は穏やかに笑い、紫炎を奥の寝台に誘う。


「ささ、衣を脱いで横におなりなさい」

 言われるがまま、紫炎はその場で服を脱ぎ去り、胸を覆う晒布と下履きだけの姿となると、寝台の上でうつぶせに横たわる。

 明珠は、紫炎の背や腰に軽く触れる。

「ふむ。……男の如き、見事な筋でいらっしゃる。武術を……拳法を嗜まれておりますか」

「分かりますか」

「幾人も見ておりますので……ふむ、筋骨に歪みなし、悪くはないようですね」

「昔、強く打ったところが、季節の変わり目になると痛むのです」

「では、少し按摩でも施しましょうか」

 明珠は、ぐいぐいと紫炎の腰筋を採み解していく。

 安楽な様子で揉みしだかれるままの紫炎が、不意に問いかけた。

「ところで、明珠殿。先ごろ、後宮内で殺された孫照玉という女官が、十日程前にここへ来ませんでしたか?」

「……さあて、どうでしたか。それが、何か?」

「なに。彼女の屍に、鍼痕がありましたもので。死ぬ前に、ここに訪れていたものかと」

 明珠の手が止まる。


「……では、来たのやもしれませんな。それが何か?」

「実は私、かの女官を殺したものを探すよう仰せつかっておりまして。何か手掛かりでも得られれば、と。照玉殿は、何か話してはおりませなんだか?」

「さあ、取り立てて話はしませんでしたが……」

 明珠は立ち上がり、にっこりと微笑みかける。

「よくよく見れば、腰椎に若干の歪みがあるご様子。いささかの鍼と灸を施しましょう」

 明珠は鍼を取り出すと、紫炎の肌の上で指を滑らせていく


 その指が、紫炎の腋を捉えた。

「おおっと、それは御免蒙る」

 紫炎の体が寝台上でくるりと回り、明珠の腕を振り払う。

「!?」

 明珠は咄嗟に飛び退き、身構えた。

 寝台上では、不敵な笑みを浮かべた紫炎が胡坐をかいて、明珠に告げる。


「其は魔拳に非ず。両腋下の極泉に、腹の石門。それらを突いて身中の気脈を暴走させ、出口を失った自身の剄気によって内より骨肉を砕かしめる……魔技・三穴落魄。艮門派に伝わる点穴術よな?」

 明珠の顔から穏やかな気配は消え、三白眼の凶相が浮かぶ。


「貴様……なぜそれを!」

 言い放つ一呼吸の間に三発、明珠は鍼を投げ打った。


「!」

 眼を狙って飛来した鍼を、紫炎は指で掴みとる。同時に、前へと出て明珠の衣の裾を掴むんで、乱雑にはぎ取る。

「くっ!」

 露わとなった肩口に、奇妙な形の刺青が刻まれている。


 紫炎はそれを冷ややかに見つめながら、呟いた。

「落鳳印・・・・・・やはり、黄幇の徒か」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ