第六話
身の回りのことは自分でできるし、使用人に世話を焼いてもらわなくても何も問題はないから、父のように放っておいてくれたらいいのだけれど、そうはいかないものらしい。
キャロルはキャロルで顔を合わせると、すぐにさっと身を隠す。
そうして壁から片目だけを覗かせて睨み、「『滅びの魔女』は私に近づかないで!」と怒る。
屋敷の主人から疎まれている小娘を使用人が敬うわけもない。
幼い頃からかわいがっていたキャロルが怯えて避け続けているのだからなおさらだ。
使用人たちはいやいやながら最低限の仕事として私に食事を出しているといった感じで、その目は冷たかった。
私が体調を崩し、寝込んでいた時も使用人が近づくことはなかった。
食堂に行けなくなった私の部屋の前に置かれていたのは、かびたパンとゴミ入りの冷めたスープだった。
いちいち相手にするのも馬鹿らしく、ただベッドで唸りながら横になっていると、何日かして回復した。
ようやっと部屋を出たとき、たまたま出くわしたキャロルが幽霊でも見るみたいな目でがくがくと震えるのを見て、ああ、もしかして食事に毒でも混ぜられていたのかな、と思った。
だからつい、言ってしまったのだ。
「あなたの行動はいつも矛盾してるのね。毒を混ぜて殺したいのなら、食べたくなるような食事にしておくべきじゃない? 普段から食べ物を与えられていなくて飢えているならまだしも、ただでさえ体が弱っていてロクに食べられもしない病人が、余計具合が悪くなるような食事をわざわざ口にする確率ってそれほど高くないと思うのだけれど」
わなわなと唇を震わせるキャロルに、もしかしたら私の読みは違っていたのかもしれないと思った。
普段の食事のほうに毒が混ぜられていたのか。
体調を崩したのはそのせいだったのかもしれない。
だとしても、やはり矛盾している。
「あなたは私が『滅びの魔女』だから近づきたくないのよね? そんな力があると信じているのに、嫌がらせにしかならない行動をとるのは矛盾していない? 私が真っ先に仕返しするとは考えないのかしら」
純粋な疑問だった。
一息で殺すのならわかる。
けどただ嫌な思いをさせるだけの中途半端なやり口はなんなのだろう。
毒を盛ったにしても薬を飲みもせずただ寝ていただけで自然回復するような生温いもので、その先の報復を恐れはしなかったのだろうか。
いや、失敗したから追加で毒を盛ろうとしたのか?
それならなおさら、あんな見るからに手をつける気もなくすような食事にしなければいいのに。
耐えかねたように反論したのはキャロルのお付きの侍女だった。
「キャロル様は私たち使用人を含めたこの屋敷の人たちを守ろうとしてくださっている心優しい方なのです! だから私たちはキャロル様を守りたいだけです! 私たちはキャロル様のためだけに動いているのです」
わざわざパンがかびるのを待ち、スープにゴミを添える。そんな努力が一体何をどう守ることに繋がるんだろう。
「キャロルのため? だとしたら、キャロルに矛先が向くとは思わないの?」
心底不思議で、怯えるキャロルを庇うように目の前に立った侍女に思わず首を傾げ、不用意にそんなことを言ってしまった。
まだ子どもだった私にはただただ不思議だったから。
おかげで、切り取れば不穏でしかない発言は父に報告され、私は離れに軟禁されることとなった。
「キャロルが怯えて泣いている。これでは健やかに育つことなどできぬ」
そんな理由で。
「もう一人の子どもであるはずの私は健康どころか、育つことも望まれていませんのに」
つい、そう返してしまった私に、久しぶりに会う父は目も向けなかった。
「『滅びの魔女』として生まれたおまえが悪い」
「あんなギリギリの時期に子を成すことをお母様に強要したお父様の計画性の悪さと、後継ぎを作れと追い詰めたおじい様とおばあ様が原因では?」
父方の祖父母は、なるほど父の親だなと納得する言動の人たちだった。
母方の祖父母とは正反対すぎるほどに正反対だ。
「後継ぎを作るのは貴族の義務だ。いつまでも子を成さぬあいつが悪い」
その言葉に、純粋にあれ? とひっかかってしまった
「父親って生物学上不要なんでしたっけ」
心理的にはこんな父親など不要だけど。
たしか人間は女と男がいて子が成せるものだったはず。
「お母様一人が子どもを成すわけでもないのに、どこまでも自分には関係ない、自分のせいではないと仰っているお父様はまるで幼子の駄々っ子のようですね」
何にも見えていないがゆえの無垢さで人を責めるあたりが。
浅い人なんだな、と思い、つい笑ってしまった。
「――おまえは私の子などではない。生まれた時から『滅びの魔女』なのだから」
意味がわからない。
とにかく、父の中では何もかも自分以外の人間が悪いということになっているようだ。
そういう思考しか持てないほど、父は弱い人間なのだろう。
事実を受け入れ、向き合うことができない。そんな父の弱さを責めても何にもならない。
そして、どんなに正論でも相手が納得するわけではないし、正論こそ人を追い詰め、いらないことを言わせてしまうものなのだろう。
だが後悔はしていない。
言える時には言いたいことを言おうと決めていたから。
この屋敷では言いたいことがあっても伝えられる機会なんて滅多になく、言いたいことを言えずに一人でもやもや考え続けている時間が途方もなく多かったのだ。
結果として、この時の会話で私の中の父に対するすべての感情を断ち切れたからよかったと思う。
それまでは『滅びの魔女』である私がこの屋敷から逃げ出したら、父やキャロルが責めを負うかもしれないという迷いがあった。
けれど、私が父の子でないというのなら、父は私の親ではないことになるし、そんな気遣いは無用だろう。
キャロルも私がこの屋敷から逃げ出したくなるような嫌がらせをけしかけてくるのだから、お互いの願いは一致していると言える。
だから私はこの屋敷を出て、私のために私の人生を生きよう。
私の人生をどうにかできるのは私だけだ。
そのようなわけで、私は躊躇いなくドゥーチェス国に逃げ出すためにまた一から準備を始めた。
その日の夜、私はこっそり部屋の窓から外に出て、裏口から厨房に忍び込んだ。
火は落ちていたから、小麦に水を加えて溶いたものをまずいなあと思いながらなんとか飲み下して腹を満たす。
この屋敷で出されるものはもう信用できない。
自分で用意するしかない。
ということで、芋と人参を拝借した。
そう、拝借だ。
倍になったら返すのだから。
離れの周りはほとんど手入れされておらず荒れている。
こっそり野菜を植えてもバレないだろう。
芋は芽の部分を切り分けて、人参は頭の部分だけ植えた。
畑らしい畑を作るとバレてしまうから、元々生えていた草を少し残してある。
草に栄養が取られてあまり出来はよくならないかもしれないけれど、これなら毒の心配をせず食べられる。
他人に頼る必要もない。
だが食べて生きながらえるだけでは根本的な解決にはならない。
ここにいてはいつ殺されるかもわからないのだ。
それが父の手によるものか、国王の采配によるものかはわからないけれど、その前にここを逃げ出さなくては。
祖父母が探してくれた伝手を頼り、隣国で生きていくとしてもまずは旅の資金が必要だ。
この身一つで稼ぐためにはどうしたらいいか。
考えて、私はただ一つ持っていた手立てを使うことにした。
叔父を脅したのである。
酔っ払った自分のせいでこのような状況になったのだと責任を感じているらしい叔父は、時々会いに来てくれた。
「俺のせいでこんなことになったのに、何もできなくてごめんな」
と情けなそうに言う叔父に、
「何もできないと自分の行動を最初から区切るのはやめてください」
と詰め、
「いや、できることがあればするよ! だけどできることなんて……」
と言わせてから、
「では本を差し入れてください。本が高価であることはわかっていますから、一か月に一冊でかまいません」
と脅した。
「どうせ十八歳までの命です。それまでただここに閉じ込められているのは暇で暇で仕方がありません。私の暇つぶしに本を差し入れるだけのことで、誰かに不利益があるわけでもないでしょう」
それだけで叔父の自責の念がやわらぐなら、お互いに利益があるはず。
叔父はしばらく唸った後に、ようやっと了承してくれた。
本当の目的を悟られてはならない。
だから最初のうちは何年か前に人気だった物語を頼んだ。
そのうち飽きたから何か勉強でもしたいのだと言って、薬草の本をお願いした。
暇で暇でうんざりしているという顔で。
叔父は後ろめたさを刺激されいたたまれなくなったのか、私にせっせと本を差し入れてはさっさと逃げていった。
薬学は私がこの屋敷で生き延びるためにも大事な知識だ。
あの苦しい目に遭うのは二度と嫌だったし、自分を助けられるのは自分だけだから。
薬を煎じる道具は本を見て自作した。
材料は夜中に部屋を抜け出し、町を出てすぐにある小高い山に行き集めた。
いくつか簡単な薬を作って、自分でも効果を試した。
そのうちに部屋を抜け出すことに慣れた私は、物置部屋から予備のお仕着せを一揃え拝借し、それを着て昼間のうちに屋敷から出るようになった。
元々屋敷の人たちは私の顔などほとんど知らない。
堂々と歩いていればわからないものである。
中に男物の服を着込んでおいて、屋敷を出てからお仕着せを脱ぎ、町では『薬師の小間使い』として買い物をした。
そうして徐々に道具や本を集め、様々な薬が作れるようになっていった。
洞窟の入り口近くに生えているあるキノコは、日の光を浴びる時間、湿度などの条件がちょうどよく高い薬効をもつという本の記述を見て山に探しに行くと、ちょうど条件に合う洞窟が見つかった。
そこで採れたキノコはたしかに高い薬効を示した。
しかしいちいち採りに行くのは時間がかかる。
それで自分の部屋のクローゼットでキノコの栽培を始めた。
失敗を繰り返し、いくつかのキノコが安定的に収穫できるようになった。
それらのキノコから作った薬は、次第によく売れるようになった。
同じ薬でも私が卸したもののほうがよく効くと評判になったらしい。
狭い部屋の中でも煮炊きができる道具や最低限の調味料を揃え、庭で取れた野菜で自炊をして暮らせるようにもなった。
どれもこれも叔父に頼めば買ってもらえるようなものだが、叔父は信用できない。
悪人だとは思っていないけれど、父をとりなしてくれるわけでもなく、ただ私に謝るばかりの叔父は、自分を守ることが最優先で、危険性を孕むようなことには関りあいにならないだろうし、何かあれば簡単に私を裏切るだろう。
いや、裏切るも何も、最初から味方なわけでもない。
ただ良心の呵責に苛まれて会いに来ているだけなのだから。
この国から逃げようとしているとわかれば父に密告されてしまうだろうし、私が生まれた日のように大騒ぎして事態を悪化させかねない。
何より、叔父には守るべき家族がいるから巻き込みたくはない。
ただ、『滅びの魔女』に関する本を頼むときはそのまま理由を話した。
言い伝えは本当なのか誰もわからないから疑心暗鬼になり、疑わしきは滅せよと私の死を望むのだから、言い伝えなんて嘘で、滅びの魔女なんて存在しないと証明できれば自由になれると思った、と。
それが明らかになれば叔父も良心の呵責に苛まれることはなくなるだろうから。
それと、隣国であるドゥーチェス国の文字も読めるとわかった叔父は、私に仕事を与えてくれるようになった。
というより、自分の仕事を私に丸投げしていたというほうが正しいのだが。
叔父は空想の世界や物語を書きたいと常々思っているようなのだが、貴族ゆえに就いた仕事は文官で、読むのも書くのも硬い文章ばかりの毎日が辛いらしい。
そんな中、私が何かに没頭したいと薬草の勉強ばかりしているから、もっと建設的なことをしていたほうが気も紛れるだろうと持ちかけてきたのだ。
つまりは利用されていたわけだけれど、私にも利益はあった。
ドゥーチェス国とのやりとりが記された文書はレジール国とドゥーチェス国の内情を知る手がかりになったし、この国から逃亡するときにそれが何かの役に立つかもしれないから。
だがその目的が達成されることはなかったがゆえに、その知識が生かされることはないまま、あの日を迎えた。
路銀も貯まり、準備も整いかけていたところだったのに。
あの子の一声で、何年にも渡って計画してきたことが脆くも崩れ去ったのだ。