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第十二話

「証拠はここにあるわ!」


 そう言って手にした紙を盛大にばら撒き始めたキャロルを唖然と見守る。


「キャロル、それは――?」


 キャロルは私を振り返ることなく、人々に向かって声を張り上げた。


「これはお姉様が毎日夜遅くまで時間をかけて研究し尽くし、編み出した薬の精製方法よ」

「あれからしばらくして薬は出回るようになっている!」

「嘘つきめ!」

「それは一部の薬でしょう? まだ供給が止まったままの薬がいくつもあるはずよ。その精製方法がここに書かれているわ。そこら辺にいる薬屋に聞いてみればわかることよ」


 そう言うと、キャロルは人々に顔を向けたまま、普通の声に戻した。


「お姉様から預かった薬の精製方法は、今も私が持っている。書き写して、一つずつ薬屋に渡してるの」

「どうしてそんな面倒なことを」

「いくら騒ぎを収めるためとはいえ、全部渡したらお姉様の功績がなかったことになるじゃない。本当に薬を求めて困っている人もいるから、先に薬屋にどんな薬が一番必要か聞いて回って、それを優先的に渡してあるわ」


 あいつらはこっちの足もとばかり見てるのよ、とキャロルは唇を噛みしめる。


「これを作ったのがお姉様だと明かす人はいない。だって、『滅びの魔女』が作った薬だなんて言ったら、誰も買わなくなるもの。だから、精製方法を渡すときに条件をつけたの。これまでにあった『上』や『特』を上回る区分の『超』としてお姉様の精製方法で作られた薬を売るようにね」

「『超』……。なんかちょっと、ダサいわね」

「ダサければダサいほどいいのよ。そのほうが印象に残るでしょう」


 一理ある。

 ずっと黙って楽しげに成り行きを見守っていたレイノルド様も「なるほどな」と口を開いた。


「その『超』の区分で売られていた薬は『滅びの魔女』が研究を重ねた精製方法で作られたものだと言っても、直接取引をしていた薬屋以外は信じない。だから原本は手元に残しておき、王都にまで評判が広まった今、証拠として原本をバラ撒いたわけか」


 原本?

 原本……?!


「キャロル、あれは全部書き写しよね?」

「いいえ。原本よ。当たり前でしょう、証拠なんだから。お姉様の書いた、そのものよ」


 たしかに好きにしていいとは言ったけれど、私の努力の結晶が役に立たないままどこかに散逸してしまったらやるせない。


「待って、それをこんなところでばら撒いたら、薬屋に届かなくなるわ」

「そんなこと、知ったことではないわ。私の話を信じずに踏みつけ、捨て去るならばこの国の人たちなんてそれまでのこと。『超』薬が手に入らないと騒ぎ、勝手に困っておけばいいのよ」

「そうは言っても……」

「薬屋は私が精製方法を渡した後も、お姉様が作った薬だと公にすることなく、自分たちの功績かのように薬を売り、利益を得ている。人が時間をかけて作り出したものよ。当たり前に供給されるものじゃない。必死になってかき集めればいいのよ」

「でもあれ、ドゥーチェス国の文字で書いてあるんだけど……。読める人いるかしら?」

「わけがわからないほうが、それっぽくていいじゃない。そうしてその価値が認められれば、高値で取引されるようになり、お姉様の功績はますます高まっていくのよ。これまであんなに『滅びの魔女』と忌避していたお姉様が、素晴らしい薬を生み出したと名声が轟いていくの。ああ、考えただけで愉快でたまらないわ! おーっほっほっほっほ!!」


 キャロル……。

 なんて強くなったのかしら。

 我が妹ながら恐ろしいほどだ。


 案の定、集まっている人々にはドゥーチェス国の文字が読めず、紙を手にしてもその真偽も確かめられず、どう反応していいのかわからないらしい。

 けれど気づけばまとまりのない群衆の中に、いくつか人だかりができていた。


「たしかにこれは薬の精製方法が書かれているようだ。ただの商人にはそれがどんな薬なのか、とんとわからないが」


 なるほど。ドゥーチェス国を行き来している商人の中にはある程度読み書きができる人もいるのだろう。

 移住してきた人もいるだろうし、親戚がいるという人もいるだろう。


 ふと、エラ王妃の演説を思い出した。

 あの時も、こうして様々な立場の人たちがその言葉を聞いていたはずだ。

 聞き流したり、納得できずに終わってしまった人もいるだろう。

 それでも伝わった人もいるはずで、その人たちが伝え広めてくれることを期待するしかない。

 今のキャロルの言葉も、どれだけの人が受け取ってくれたことだろう。

 今わからなくても、薬の価値が認められて信じてくれる人もいるかもしれない。

 それを今は、期待することしかできない。


「だが、他はどうなんだ? 薬だけのことじゃないか」


 そう上がった声に、キャロルはそれはそれは大層待ち構えていたかのように笑みを広げた。


「水害のことも魔物被害のことも、そこに行けばわかることよ。それを確かめる努力すらせずに非難するのは同じことの繰り返しにしかならないわ。だけど、あなたたちは大事なことに気がついていない」


 そう言ってキャロルはたっぷりと間を空けた。


「あなたたちが今、何故生きていられると思う?」


 その言葉に、人々はしんとなった。

 何を言っているのかわからない、という顔でキャロルを見上げる人、周りの様子をうかがう人、こそこそと隣同士で囁き合う人。

 それらを見下ろし、キャロルはキッと顔を怒らせ、大声を張り上げた。


「先ほど私が言ったことを忘れたの? 我がレジール国は国境を侵したのよ。それも、獣人が住み、竜王が治めるグランゼイル国に対して」


 その言葉に、一気に人々はざわめき出す。


「そうだ……! なんてことだ、バレたらグランゼイルが攻め込んでくる!」

「竜王がこの国を滅ぼしに来るんだ!」

「やっぱり『滅びの魔女』じゃねえか! 結界のことなんか騒ぎ立てなきゃよかったんだよ!」


 その騒ぎを冷ややかに見下ろしながら、キャロルは「黙りなさい!」と一喝した。


「この期に及んで自分たちの悪行を棚にあげて、新たな魔物被害が起きないようこの国を守ったお姉様をまた責め立てるとは。どこまでも愚かしい人たち。いつだって自分のことしか考えていなくて、勝手で、人が一人死ねばこの国は平和だなんて勘違いしている。この国が様々な危機に見舞われるたびにそれらがなぜ起きたのか考えもせず、調べもせず、真実を見ずに、たった一人の人間がその原因だなんて騒ぎ立てる。だからいつまでも解決しないのよ。本当に救う価値もないわ。――なのに!」


 キャロルはキッと人々を睨み、声高々と続けた。


「お姉様はこの国が滅びるのを良しとしなかった。国土を侵され、怒りに燃えるグランゼイル国の竜王を、お姉様が宥め、この国に攻め入らないようお願いしたのよ。だから今もあなたたちの命がある」


 いや、ええ? それは違う。

 レイノルド様は最初から国境なんてどうでもいいと言っていた。

 たしかに滅ぼしてやろうかと口にすることはあったけれど、本気ではなかったと思うし。――たぶん。

 まさか本人の目の前でこんな大嘘を喚きたてるとは。


「キャロル、待って! レイノルド様はそんな――」


 慌てて足を踏み出そうとした私の肩を、レイノルド様がぐいと抱き寄せる。


「かまわん。好きにやればいいと言ってある」


 そうか。何故キャロルがこんなところにいるのかと思ったけれど、レイノルド様が連れてきてくれたのか。

 それで事前にいろいろと話してあったのだろう。

 随分と周到だと思った。


「でも、嘘をついたらまたエラ王妃の時と同じことに」

「嘘ではない。本当にレジールなど滅ぼしてやろうと思っていた。それを止めたのは正しくシェリーだ」


 そんなやり取りをしている間に、キャロルの熱気はますます高まっていく。


「お姉様は、『滅びの魔女』なんかじゃない。その身をもってレジール国を救った『救国の聖女』よ! お姉様に感謝しなさい! 崇め奉りなさい!」


 言い過ぎだ。

 汚名を晴らそうとしてくれているのは嬉しいけれど、いたたまれない。

 なのにさらにキャロルは、後ろに立っていた私とレイノルド様に向かってばっと手を掲げ、一際声を張り上げた。


「ここにいるのがその『救国の聖女』と、グランゼイル国王、レイノルド陛下よ!」


 ざわつく人々の前でキャロルは、言い伝えは三百年の間に変化し、誤って伝わっただけだ、というような大口上をまことしやかにまくしたて、もう止めようがない。

 レイノルド様も楽しそうに見守るばかりで、私の肩を離してくれないし。

 気づけば人々はざわざわとしたざわめきから、次第に熱を帯びていった。


「あれが本当に竜王なのか?」

「ただの人間だろ」


 ざわめきに混じるそんな声がレイノルド様にも聞こえたのだろう。

 被っていたフードを下ろし、マントを脱ぎ捨てた。

 レイノルド様の頭から生える大きな巻き角が現れるなり、あちこちで悲鳴が上がる。


「本物だ……!」

「あれが竜王……なんて恐ろしい」

「でも肩を抱き寄せて、とても愛しそうに『滅びの魔女』を見ていらっしゃるわ」

「ねえ。よく見てごらんなさいよ。『滅びの魔女』が灰金色の髪に翡翠色の瞳。竜王が黒髪に黒い瞳よ」

「あれは……あの服は、そういうことなの?」


 前のほうにいる人には私たちの瞳の色まで見えるらしい。

 言われてみれば、お互いの服装が髪と瞳の色と同じだ。

 それが一体どういうことなのだろう。


 キャロルは人々の様子を眺めながら、ようやっと言いたいことを言い終えたというように大きく息を吐き出した。 


「言い伝えだって最初は本当のことだったのでしょう? それを後に生きる人が勝手に利用した。嘘で塗り替えられた。だからまた嘘で塗り替えてやっただけよ」


 そうかもしれないけれど、その嘘で私のように傷つく人が出ないか、大変なことになりはしないだろうか、気が気ではない。

 なのにこちらの戸惑いなど知る由もなく、人々は次第に熱狂し始めた。


「『救国の聖女』とは、本当だったのか!」

「水害も魔物被害も、薬も、竜王の侵攻もすべて『滅びの魔女』のおかげで救われたってことは、他にもあるんじゃないのか」

「『滅びの魔女』なんて、嘘くさいと思ってたんだよな」

「だったら『救国の聖女』だって疑わしいじゃねえか」

「『滅びの魔女』は三百年も前からの言い伝えだが、『救国の聖女』は今目の前の話だろ。同じにすんなよ」 


 ほらね、というようにどこか冷めた目のキャロルが振り返る。


「いい皮肉でしょう? 『国を滅ぼす魔女』がほんのひと時で『国を救う聖女』に変わってしまうだなんて。その命をさんざんを疎んじてきた人たちが、その善行により救われて、今度は崇めるようになるのだから。笑いが止まらないわ」


 あーっはっはっは! とキャロルは腰を反らせて高笑いを響かせた。

 随分と振り切れたようだ。

 使用人の後ろに隠れてぴょこんと髪の毛だけが覗いていた少女と同一人物とは、にわかには信じがたい。


「別に善行というほどのことはしていないし、自分のためにしてきたことが結果として役に立ったというだけなのだけれど」

「そんなつまらない真実なんて誰も求めてはいないのよ」

「大嘘じゃない……」

「それの何が悪いのよ」


 堂々と返されて、こちらが言葉に詰まってしまった。


「ただ事実だけを述べても、噂が大好きなあの人たちの耳には届かない。人っていうのはね、わかりやすい作り話が大好きなのよ。事実なんてつまらないのよ。表も裏もあって、完全にいいことばかりじゃないから。だから真実に少しだけ嘘を混ぜた作り話は人の心を沸かせ、その口にのぼる。何もしなくたって勝手にどんどん広まっていってくれるわ」


 嘘だろうが何だろうがその善悪など関係なしに、劇薬をぶちまくくらいでなければ大勢の人を動すことなんてできないのかもしれない。

 たくさんの人に悪意の視線をぶつけられ、戦ってきたキャロルだからこそ、そういう結論に辿り着いたのだろう。


「グランゼイルにとっての生きることと娯楽は戦うことだ。それが人間の国では遠い他人の心躍る英雄譚なんだろう」


 楽しそうに人々を眺めていたレイノルド様は「さて」と私を見た。

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