第七話
屋敷を出て、竜の姿に変われる広くて人気のない場所へと歩きながらレイノルド様に問われ、私は頷いた。
「はい。誰か一人が生きているだけで国が滅びるようなことなどないとわかりましたので」
「暴れるならば手を貸すぞ」
「いえ。レイノルド様や、周りの人たちがわかってくれているだけで私は十分です」
知らないどこかの誰かにどう思われようとどうでもいい。
どうせあと二年も経たないうちに予言のその日は訪れ、『結局何もなかったね』と日々は過ぎていくのだ。
「そうか」
レイノルド様に頭をくしゃくしゃと撫でられ、やっぱりまだ子ども扱いされているような気がして、それだけが不満だった。
けれど、私はようやっと、振り回されていたものから解放されたのだ。
これからの日々は誰に気兼ねなく過ごすことができる。
引け目を感じることなく、レイノルド様の傍にいられる。
レイノルド様が許してくれるなら、このままグランゼイル国にいたい。
「レイノルド様……」
呼びかけると、レイノルド様が足を止め、私を振り返る。
向かい合って、私はレイノルド様を見上げた。
「これからも、グランゼイル国にいてもいいですか? レイノルド様のお傍にいても、いいですか?」
「前から言っているだろう。それはシェリーの自由だ。今までも、これからも、どこでも居たい場所にいればいい」
そう。
レイノルド様はたしかに言ってくれていた。
けれど、たぶん、私が欲しいのはそういう『許し』ではない。
何も望まないなんて嘘だ。
私にとってレイノルド様は特別で。
レイノルド様にとっても特別でありたいのだ。
一番近くで触れられる人。
ずっと永い時を共にする人。
そういう人に、私はなりたいのだ。
それをなんと伝えればいいのかわからない。
ただじっとレイノルド様を見つめると、真っ直ぐな瞳が返った。
「私は……。私が傍にいたいのは、レイノルド様だけです。レイノルド様がいないところになど、いたくはありません。レイノルド様の一番近くにいたいのです」
「――そういう風に、捉えていいのか?」
そういう風、がわからないけれど。
言葉の通りだ。
「はい。レイノルド様が好きです。おかあさんとしてじゃなく。おじい様みたいにじゃなく」
「おじい様……?」
どう返されるのかわからなくて、不安で、じっとレイノルド様の言葉を待つ私に、「ふはっ!」と笑う。
それから、堪えられないようにくっくっく、とお腹をおさえて笑うレイノルド様に、ちゃんと伝わっていないだろうかと不安になったけれど、顔をあげるとその瞳には熱があった。
「そうか。母のように、祖父のように思っていたか。そうだろうな。私も子どもとしか思っていなかったからな。しかしいつから心の中で育っていたのだろうな。今はそれでは満足できぬ」
身長や髪だけでなく、心の中でレイノルド様に向ける想いも、いつしか育っていた。
それは、レイノルド様も同じなのだろうか。
――子ども扱いできない、って、そういう……?
いつかの言葉が頭に蘇り、理解すると顔に血がのぼった。
「ようやくわかったか?」
顔が赤らむのをどうにもできないまま、こくりと頷くと、レイノルド様が間にあった一歩の距離を詰めて、そっと私を抱き寄せた。
それから私の額に唇を落とす。
「私が言っているのはこういうことだが?」
「ぅぇぁ……はい」
変な声が出た。
口がわなわなと震えて開いたまましまらなくなった。
恥ずかしい。
レイノルド様の胸に慌てて顔を伏せると、頭上でふっと笑った息が漏れる。
「弱くて、強い。けろりと大胆不敵なことを言ってのけるのに、すぐに泣く。だがまたすぐに立ち上がり、生まれた時より背負っているものに押しつぶされそうになっても前を見て歩く。そんなシェリーから目が離せなくなった。ずっと見ていたい。そうして見ているうち、嬉しそうに柔らかく笑う顔だとか、楽しそうに動き回るのを見ているといとしくてたまらなくなった」
感情がはち切れそうで。
涙が滲んでくる。
「シェリー。どこに行くのも自由だと言った。だが、それは嘘だ」
見上げると、熱をもった瞳が私をまっすぐに見ていた。
「好きだ。どこにも行くな」
「――はい」
レイノルド様の胸に顔を埋めると、涙が零れた。
ずっと厭われる存在でしかなかった。
どこにいても迷惑をかけるしかなくて。
居たい場所に居ることは、大切な人を苦しめることになり、葛藤して、苦しくて、自分の背負うものが疎ましくてならなかった。
だけど、胸を張ってレイノルド様の傍にいられる。
行くなと言ってくれて、それに心から返事を返すことができる。
こんな日が来るとは思っていなかった。
居たい場所ができること。
好きな人ができること。
居たい場所にいていいと許してもらえること。
好きな人に好きだと言ってもらえること。
居たい場所にいろと言ってもらえること。
好きな人と、ずっと一緒にいられること。
「私、しあわせです」
「まだこれからだ」
そう言って不敵に笑ったレイノルド様は、私を大事に守るようにしてグランゼイルの城へと連れて帰ってくれた。
・・・◆・・・◇・・・◆・・・
キャロルには『滅びの魔女』の顛末について、手紙ですべてを伝えた。
マリアへの手紙はキャロルが届けてくれた。
マリアはただただ泣いて喜んでくれていたそうだ。
そしてキャロルから返ってきた手紙には『どいつもこいつも他人事だと思って傍観とは。他人事じゃなくしてやろうかしら』と恨み言がつらつらと書かれていた。
表に出られない私の前面に立つ形で常に矢面に立ってきたキャロルは、今もレジール国にいる。
結界は直せたとはいえ、魔物被害が『滅びの魔女』のせいだとする噂が消えたわけではないし、水害もそうだ。
今も厳しい立場に置かれているままのキャロルが、事実を知ったからといってそれですべて丸く収まるなんてことはない。
これで終わりになんてならない。
グランゼイル国にいる私とは違うのだ。
そのことに気が付いて、勝手に終わった気になっていたことを反省した。
やっとわかったこれらの真実を無駄にしてはならない。
これ以上キャロルが傷つけられていいわけがない。
そのために何ができるか。何をすべきか。
私はレイノルド様に相談した。
スヴェンやティアーナ、猫耳のおじいさんにも。
けれどその途中で、事は起こった。
変わったのは私だけで、キャロルを取り巻く状況が何ら変わっていないのと同じように、レジール国もまた、何も変わっていなかったのだ。




