第六話
「先触れもなく不躾にご訪問し、失礼いたしました。ですが『滅びの魔女』はノーリング伯爵家にいないことがわかりました。どうか話だけでも聞いてください」
そう伝えてもらうよう出迎えた執事にお願いしたけれど、戻ってきた言伝は「帰ってくれ」だった。
やはり『滅びの魔女』を恐れていたのではないのだろう。
それは言い伝えの結果であって、隠し事の本題はエラ王妃のほうにあるのだ。
「エラ王妃の元護衛であった先祖について話がある、と伝えろ」
執事は困惑した様子で再び下がり、今度は応接室でお待ちくださいと通された。
やがて姿を現したエドワルド様は、前回のように白い顔ではなかったものの、きょどきょどと落ち着きがなく、私と目を合わせることのないまま席についた。
「ご無礼をお詫び申し上げます。お時間をいただき――」
そう話し出した私に「それはもういい」と遮り、エドワルド様が待てないというように声を上げた。
「こちらも聞きたいことがたくさんある。まずは、シェリー・ノーリング嬢が『滅びの魔女』ではないとは、どういうことですか」
ちらちらと私の様子をうかがいながら、おずおずとエドワルド様が切り出す。
私はまず事実だけを話した。
エラ王妃が亡くなった時と今では暦が異なり、当時の暦では『滅びの魔女』が生まれるとされた日は私が生まれた日ではないこと。
そもそもレジール国は既に一度滅んでいて言い伝えがただの言い伝えでしかないということ。
その二つがあれば、『滅びの魔女』の身内に対する怯えはなくなると思っていた。
しかし「そうだったのですね」と話を聞き終えた後も、おどおどとした様子は変わらなかった。
やはり『滅びの魔女』の身内だから怯えたのではない。
何かを知っている。
その疑念が膨らみ、じっと見つめると、視線に気づいたエドワルド様はびくりと肩を揺らした。
私の視線から逃げるように目を彷徨わせた後、耐えかねたように肩を落とす。
「そうしてあれこれご自分で調べていらっしゃるうちに、この家の先祖についてもお知りになったのですね」
知らない。
エラ王妃の元護衛という情報しかない。
けれど黙っておくほうが喋ってくれそうだ。
視線を外さずに次の言葉を待っていると、観念したようにエドワルド様は話し出した。
「まさか、『滅びの魔女』の身内の方から訪ねて来られるとは思ってもいませんでした。何もなく時が過ぎればそれでいいと、そう思っていました。ですがそれは違いますね。貴女はずっと『滅びの魔女』の身内として虐げられてきたのでしょう。嫁いできた頃のエラ王妃が他国から来たという本人にはどうしようもない理由で冷遇されていたように」
この人はどこまで知っているのだろう。
噂で聞いただけなのか。それともこの家に伝わるものがあるのか。
そう考えて、はっとした。
「そう代々伝えられてきたのですか? エラ王妃の元護衛であるご先祖様の書き残したものが、この家に遺っているのですか?」
腹をくくったように、エドワルド様が頷く。
「三百年というのは、長い、長い時です。戦争ばかりだったあの時代には、三百年もレジール国が残っているなどありえないことだったのだと思います。だから、まさか言い伝えのその時が来て、『滅びの魔女』の名を負い、虐げられる人が生まれるなんて、そこまでこの話が残り続けるだなんて、考えもしなかったのだと思います」
まさか。
言い伝えの元となったのは。
「その被害を被った貴女には聞く権利があります。どこまでご存じかはわかりませんが、私が先祖の手記から知り得たこと、その他の収集された書物に遺されたこと、すべてお話しします」
そう言って話し出したのは、長い、長い話だった。
当時、レジール国を含め近隣諸国は戦争を繰り返していた。
しかし次第に疲弊し、同盟を組むためドゥーチェス国とレジール国はそれぞれ王女を差し出した。
そうして嫁いできたのがエラ王妃だ。
当初レジール国王には既に王妃がおり、側室として嫁いだが、スヴェンの先祖の記憶から聞いた通り、後宮で冷遇された。
和平の証であるのに虐げるとは愚かなことだ。
しかし度重なる戦争で双方に恨みつらみが募っているところ、矛先が向けられてしまったのだろう。
エラ王妃は二国間に亀裂を生じさせてはならないと、そのことをドゥーチェス国に報告することはなく、一人耐え忍んでいた。
それをドゥーチェス国から一緒にやって来た護衛は、悔しい思いで見ていた。
その後、王妃が亡くなり、側室であったエラ王妃が正妃となったものの、すぐに悪い噂が流れた。
エラ王妃が正妃を亡き者にしたというものだ。
そうしてレジール国内でのドゥーチェス国への敵意は増していき、同盟後にやってくるようになった商人なども石をぶつけられるなど、町中でも騒ぎが度々起きた。
それを憂えたエラ王妃が演説に立ったのだ。
そうして徐々に二国間の確執が薄れていった頃に、エラ王妃が亡くなってしまった。
護衛は、それを心労がたたったせいだと思い、レジール国を恨んだ。
しかしエラ王妃は、護衛に大切な夫と子ども、そして国民たちがいるレジール国を守るようにと言い残した。
葛藤を抱きながらもその言葉を守り、エラ王妃の産んだ王女の護衛としてレジール国に残った。
ところがまもなくして、同盟を組んでいたはずのドゥーチェス国が攻め入ってきた。
密偵がいたのか、はたまた事実などどうでもよかったのか、エラ王妃が虐げられたことを理由とした報復戦だというのが言い分だった。
おかげで護衛が密偵だと疑われ、捕らわれたものの、突然の攻勢に準備の整っていないレジール国の兵力はあっという間に削られ、護衛までもが戦いに駆り出されることになった。
その後の流れは猫耳のおじいさんに探してもらった本にあった通りだった。
敗戦し、ドゥーチェス国の王弟がレジール国を乗っ取り、また旧レジール国の兵士が奪還。
護衛もその奪還に一役買い、その功績を買われてセンテリース領主となった。
そうして妻を娶り、子が生まれ、しばらくはやっと訪れた平穏の中にいた。
ところがレジール国が復興してからというもの、ドゥーチェス国と同じであった言語も暦も何もかもを捨てさせられ、ビエンツ国にならうようになった。
それはドゥーチェス国から来た護衛にとっては耐え難いことであった。
戦争で町を壊され、敗戦後も何もかもを搾り取られ、恨みがこれ以上ないほどに募っていたのだから仕方ないとはいえ、ドゥーチェス国と決別するかのようにすべてがレジール国から排除され、二国の和平のためにとその身を捧げたエラ王妃の努力がなかったことにされるようで、許せなかったのだ。
憎しみを募らせた元護衛は、詩人を屋敷に招き入れるようになった。
国を恨んで死んだとある王妃が三百年後に生まれ変わり、この国を滅ぼすだろうという詩を作り、広めさせたのだ。
そのうち詩には名前の登場しなかった『とある王妃』がエラ王妃だと語られるようになり、さも事実かのように人々の口にのぼった。
詩は事実とは異なるとわかっていても、人々は刺激的なその詩に飛びつき、噂として広まっていったのだ。
「そこからその刺激的で創作意欲を煽る内容は創作物語の題材として好まれ、少しずつ形を変え、広がっていったのです。それらを見つける度にこの屋敷に集められていきました。元護衛であった先祖が、自分の流した話のその結果を知るために。そうして一時の感情に呑まれ、自らエラ王妃を貶めたのだと気が付いた時には、遅かったのです。大きな愛を持ち、両国のために理不尽に耐え忍び、レジール国を憂えて亡くなったエラ王妃を、敬愛していた護衛こそが魔女の身に落としたのです」
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結局、私が『滅びの魔女』ではないとする根拠も、レジール国が既に滅びていて、ただの言い伝えでしかないという根拠も揃ったけれど、そのどれも公にすることはできないものだった。
エドワルド様から聞いた話もだ。
元護衛は既に亡くなっているが、エドワルド様は今に生きている。
すべてを知りながら黙って安全なところにいたことに腹が立たないわけじゃない。
だけど、そもそもの過ちを犯したのは先祖であって、それを子孫が背負うのはもうやめにしたい。
三百年も前のことに振り回されてきた身だからこそ。
だけど、私だって黙っているわけにはいかない相手もいる。
私をずっと心配してくれていたマリア。
時には私よりもその身に罵詈雑言を浴びてきたキャロル。
二人にだけは、『滅びの魔女』など人が創った存在なのだと知らせたい。
その了承を得て、私とレイノルド様はセンテリース領主の屋敷を出た。
きっとスヴェンとティアーナに話したら、また「クソですね」と言われることだろう。
そう考えただけで自然と笑いがこみ上げて、もういいやと思える。
これでいい。
私は『滅びの魔女』ではない。
それだけで私は生きていていいのだと思えるから。
真実を知らない人たちはまだ国が滅びるかもしれないと不安に怯えることもあるかもしれない。
けれど私はもうレジール国にはいない。
それを王家が公にすれば済む話だ。
国民に対してどうするかを考えるのはレジール国がすべきことであって、私じゃない。
「これで終わりでいいのか?」




