第三話
あれから気づいてしまった自分の気持ちに戸惑い、どうしたらいいのかわからなくなり、レイノルド様の顔を真正面から見られずにいたのだけれど。
どうしたらいいも何も、別に何もしなくてもよいのでは? と、一晩寝ると開き直った。
レイノルド様が帰ってきてくれて、食事を一緒に摂ってくれて、毎日が幸せなのだから、それでいいじゃないか。
言い伝えのことが片付いても、そのまま薬師として置いてもらえるように、頑張って役目をこなそう。
あとは前に進むだけ。
そうふっきれた。
とはいえ、やはりレイノルド様がよく似合うと言ってくれた青いドレスを着ると、心が沸き立つ。
だが今日は浮ついていてはいけない。
目的を果たせるよう、しっかりと気を引き締めなくては。
そう気合いを入れ直し向かったセンテリース領主の館は、かなり古めかしいながらもしっかりと手入れされていることがよくわかった。
通された応接室に現れたのは、人当たりの良さそうな白髪交じりの壮年の男だった。
「やあ、ようこそいらっしゃいました。私がこのセンテリースの領主、エドワルドです」
「お初にお目にかかります。ノーリング伯爵家キャロルと申します。こちらは付き添いでいらしていただいたレイノルド様です」
さらりとしか紹介しなかったレイノルド様のことをあれこれ聞かれることもなく、エドワルド様は興奮したように話し出した。
「貴女が連絡をくださったおかげで、グランゼイル国と戦争だなどということにならずに済みましたし、なんとあの後、結界まで綻びていたことがわかりましてね。我が家もこの領地も最悪の事態に陥ることは逃れられましたから、感謝してもし足りません」
「ありがとうございます。魔物の被害があったと遠い噂には聞き及んでおりましたが、結界が綻びていたとは。お力になれたのでしたら幸いですわ」
「恩返しになどなりはしませんが、我が家にある本でしたらお好きにご覧になってください。お好みがあれば、私が探してまいりましょう」
すんなりと本を見せてもらえることになって、肩の力が抜けた。
「ありがとうございます。実は私、数々の物語の題材となっていらっしゃるエラ王妃に興味がありまして。これまであれこれと読んできたのですが、古くても百年ほど前のものしか手に入らず、もっとエラ王妃がご存命であった頃に近い物語などがあれば、ぜひとも拝見したいとこちらにおうかがいしたのです」
考えてきた言葉をゆっくりと話すことに精いっぱいだった私は、言い切ってからエドワルド様の顔が白くなっていることに気が付いた。
「エラ……王妃の? それは、何故」
「その、『滅びの魔女』の言い伝えに興味がありまして。エラ王妃の遺した言葉が言い伝えの元になっていると思うのですが、ドゥーチェス国で書かれた当時の記録を拝見したところ、国を恨むようなものではありませんでしたので、その後どのような変遷があって今の言い伝えになったのかということが知りたいのです」
どうしたのだろうかと思いながらも、必死で気を配る余裕がなく、用意してきたセリフをそこまで話し終えたところで、ああ、失敗したと悟った。
エドワルド様は膝の上に置いた拳を握りしめ、床に目を落とし、その肩はかすかに震えていた。
何かに怯えているように。
「『滅びの魔女』の言い伝えは、それは……」
言いかけた所で、ふと何かに気づいたように顔を上げた。
「『滅びの魔女』……? 貴女は、ノーリング伯爵家でしたよね……。ノーリング? たしか、『滅びの魔女』はシェリー・ノーリングという名だったはず」
気づかれてしまった、と思い切り顔に出てしまい、エドワルド様はみるみる青ざめた。
「貴女はまさか、『滅びの魔女』の姉妹か?」
何も答えられず、黙っていると肯定と受け取られたようだった。
「――帰ってくれ。早く、この屋敷を出て行ってくれ!」
・・・◆・・・◇・・・◆・・・
結局何もできなかった。
『滅びの魔女』の名を背負っているというのが、どういうことなのか。
改めて突きつけられた気がした。
それを払拭するために前に進もうとしても、それそのものが障壁となり、道を阻む。
悔しい。歯がゆい。
目の前に解決に繋がる道が見えていたのに。
『滅びの魔女』がいつでも邪魔をする。
それだけ『滅びの魔女』という言い伝えは人の心に強く根ざし、恐怖を与えているのだろう。
信じていないつもりでも、「もしかしたら」と考えてしまう。
絶対にないと証明することは難しく、まさかそんなことが起きるはずがない、でももしかしたら、と多くの人が揺り戻されていることだろう。
もしもそれが起きてしまえば、国が滅ぶのだから見過ごすことなんてできない。
『滅びの魔女』とはそういうものなのだ。
スヴェンやティアーナが警戒していたのも当然だ。
他国にまで来て居座ろうとする私のほうが傲慢だった。
いるだけで人に不安を与え、怖がらせる。それが私なのだから。
城に戻り、薬を作って無心になろうとしたけれど、それもうまくいかない。
気分を切り替えたくてすっきりするハーブティーを淹れた。
付き合わせておきながら無駄骨になってしまったお詫びがしたくて、レイノルド様の執務室にも持っていくと、ノックをする前にスヴェンが扉を開けてくれた。
スヴェンは「お茶ですか」とトレーにちらりと目を落とした。
「はい。気分をすっきりさせてくれるハーブティーを淹れましたので、よろしければ」
「入れ」
レイノルド様の声が聞こえ、私は頭を下げて執務室に入り、トレイを置いた。
お茶を注ごうとすると、「私がやるからいいわ」とティアーナの手が伸びて、私は黙って引き下がった。
「それでは」
退室しようとレイノルド様に背を向けると、「この城を出て行くつもりか」と声をかけられぴたりと足を止めた。
まさか。
私はこのお城にいたい。
だけど――。
何故わかってしまうのだろう。
悩んでいた。
私はレジールでも、グランゼイルでも、邪魔者にしかならない。
そう突きつけられた気がして、レイノルド様が好きだから、お世話になったこの城の人たちに迷惑をかけたくないから、出て行かなければと思っていた。
「自分は『滅びの魔女』なんかではない。その日に生まれた人なんてたくさんいるはずで、私はたまたま人々に知られてしまっただけ。誰かを傷つけるつもりも、国を滅ぼすつもりもない。だから許されたいと、そう思っていました」
私の存在を。
どこかで生きることを。
許してほしかった。
そのために足掻いてきた。
けれど、あのように恐怖した顔で見られると、存在しているだけで人々を不安にさせているのだと改めて思い知った。
スヴェンとティアーナが私を好ましく思っていないことを知っていながら、認めてもらいたいと思っていた。
それこそが傲慢だった。
「国が滅びたとて、それがなんだという?」
何を言っているのかわからなくて、首を傾げた。
レイノルド様は私を引き留めようとしてくれているのだろう。些事だと言いたいのかもしれない。
けれど、レジール国の人たちにとって、国が滅びることが些事なわけがない。
「国が滅びたら、そこに住む多くの国民が困ります。それを恐れ、怯えているのです。そうして私は存在しているだけで迷惑をかけている。それに私が滅ぼすのはレジール国とは限りません。言い伝えが何故あのような言葉で広まっているのかわからない以上、たしかなことは何もわからないのですから。私がここにいるせいで、グランゼイル国が滅んでしまうことだって、あるかもしれないのです」
こんなことは言いたくなかった。
大丈夫だと思っていたかった。
けれど、不安で、こんな自分が嫌で、止まらなかった。
「それほど国を滅ぼすことを恐れるのならば、さっさと滅ぼしてやろう」
「――え」
「ここに宣言する。今をもってこの国は終わりだ」
「そんな、レイノルド様!」
慌てた私の目の前で、レイノルド様はくいっと顎をスヴェンに向けた。
「次の王はスヴェン。おまえだ」
そんなことを言われて怒り狂うだろうと思われたスヴェンは、やれやれというようにため息を吐くと、「承知しました」と受けた。
嘘だ。
スヴェンがそんなことをこんなに軽々しく了承するなんて。
ついていけずにただおろおろする私の前で、スヴェンはその辺にあった白い紙にスラスラと何事かを書きつけた。
「では新しくここに建国します。みなさんには私を国王として崇め奉っていただきましょう」
スヴェンが『神聖レイノルド竜王陛下最強王国』と書かれた紙をぴらりと掲げ、どやっと銀縁眼鏡を押し上げた。
「ですが私はレイノルド様を唯一の神として崇めたいので反乱が起きそうですね。ごたごたする前にティアーナにこの国を明け渡すこととし、『神聖レイノルド竜王陛下最強王国』は私の心の中にしまい、滅します」
「はいはい。それならここに『幸せうさみみ帝国』を建国します。はい、一筆」
「おうさまバンザーイ」
「ほほほ私を崇めなさい」
えええ……幸せうさみみ帝国って何。
どうして二人ともそんなに簡単に受け入れてしまうのか。
「スヴェンに崇められてもまったく嬉しくないわね。ということで、レイノルド様に譲位いたしますわ」
「『幸せうさみみ帝国』はいらんな……」
「名前はお好きにどうぞ」
「では新しい国の名はディルハイト国としよう。古語で自由という意味だ。どうだ、よかろう」
「ええ、とっても」
「いえ、あの、ちょっとまっ……!」
「なんだ? 待つも何も、もうすべて終わったぞ」
「そんな……」
すべてが流れる速さで止める間もなかった。
「新しい国の名前が気に入らんか? それならグランゼイルに戻すか」
「そんな簡単に――!」
「そうだ。簡単なことだ。勝手に国など滅ぶし、新しくそこに国はできあがる。グランゼイルに限ったことではない。人間の国だろうが獣人の国だろうが、今もどこかの大陸では変わらず戦争が繰り返し起きている。だが私がいる限りこの地が滅びることはない。『滅びの魔女』が本当だろうがただの言い伝えだろうが、この国の民に累を及ぼすことなどない」
前にも言っただろう。忘れたのか?
そう優しい目が私を見ていて。その言葉に、ぽろりと涙が零れた。
どうしても不安でしかたがなくて、誰も――グランゼイルの人たちを傷つけたくなくて。
それでもここに居たくて、胸が引き裂かれそうに痛かった。
けれど不安に駆られるたび、レイノルド様は私のそんな気持ちを救ってくれるのだ。
スヴェンも。ティアーナも。
だけど。本当にこんなことでいいのだろうか。
そう戸惑っていると、スヴェンがふんと鼻を鳴らした。
「この辺りの土地がレイノルド様のものであるということは、世界中の国が認めてそうなったものではありません。ただそれぞれに境を引き、それぞれの国を治め始めただけ。人間がここからは入るなと線を引いたから、我らはここを我らの国と定めて住んでいただけのこと」
そう言えばレイノルド様もそう言っていたと思い出す。
レイノルド様が続きを引き取った。
「その国を滅するにも新しく国を建てるにも、誰の許可も必要はない。国など、ただその区切りに住んでいる者たちに名前を付けただけのもので、ありがたがるようなものではない」
「そこにレイノルド様がいること。自分たちの暮らしがあること。それで事足ります」
二人に次々言われ、涙がぽろりと零れた。
「ありがとうございます……」
次から次へと涙が溢れて、言葉にならない。
そんな私にティアーナが呆れたようなため息を吐いた。
「そんな弱々しい、泣いてばかりのあんたに国を滅ぼす力があるわけないでしょう?」
言われて、泣きながら笑った。
「そうは思ってたんですけどね。あまりに怯えられ、不安がられると、迷惑ばかりかける自分が嫌になってしまって」
「そりゃあ人間なんてこの国には迷惑でしかないのは当たり前でしょ」
「待て」
レイノルド様が言い募るティアーナを止めた。
眉間には深い皺が寄っている。
「泣いてばかり? シェリー。前にも泣いていたのか?」
「え? いえ、そんなことは」
「ぴーぴー泣いてましたよ。陛下がおられない間に、それはもう影でこそこそと、何度も」
そんなには……いや、たしかに泣いていたかもしれない。
でもそんな、ぴーぴーいうほどではなかったと思うのだけれど。
恥ずかしい。
顔に血が上っていくのがまた恥ずかしくて両手で頬を隠す。
レイノルド様の顔が見られない。
「まったく……。これだから人間は。何度繰り返しても学ばないものですね。戦争だって同じですよ」
スヴェンの言葉にふと引っかかった。
そう言えば。
エラ王妃の演説の後、戦争があったはず。
その戦争の結果はどうなったのだろう。
資料室の管理人である猫耳のおじいさんも何か言っていた気がする。
「あの、みなさんありがとうございました。私、資料室に行ってちょっと調べてきます!」




