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第十一話

『外の国から嫁いできた私を、陛下は愛し、受け入れてくれました。

 同じように、この国にはたくさんの国から人々が訪れ、恋をし、子を成しています。

 その人たちをただ外から来たというだけで『悪』とするのは間違っています。

 生まれだけでその人が決まるのではありません。

 何を考え、何を成してきたのか。

 その人自身を見るべきです。

 いつまでも憎み合ってばかりではこの国は衰退していくでしょう。そしてまた百年後、二百年後、三百年後も同じような悲劇が繰り返されてしまいます。それではいけないのです』


 そのように語り、ドゥーチェス国との懸け橋となった、ということだった。

 前後の記述を見ても、レジール国は当初、ドゥーチェス国から来たエラ王妃に冷ややかな目を向けていたようだった。

 けれどこんな言葉を残した人が国を恨むだろうか?


 それからはこれといった進展もなく停滞している。

 資料室にこもり、別の本を開いたまま何度も同じ疑問にぶつかり、考えに耽っていると、猫耳のおじいさんに頭を小突かれた。


「手が止まっているぞ。読まんのならさっさと出ていけ」

「すみません。考え込んでしまって」

「まったく。おまえはいつになったら用を済ませて出て行くのか」

「いえ、その。調べれば調べるほど、わからなくなってしまって。恨むようなことがたしかにあったとして、本人の意思はそうではないとわかるような言葉を公に残している。なのに恨む言い伝えが残ったのは何故なのか」


 一つわかるとまた一つ疑問が増える。


「『滅びの魔女』の言い伝えに繋がる何か……。それをこれ以上探しても、言い伝えなど時を経て形を変えていくもの、としかわからないのかもしれません。けど、どうにも気になって」

「ここで考えたところで埒が明かんだろう。とりあえず出ていけ」


 相変わらず冷たい。


「人間の作った国なんぞ、あちらこちらで滅びては新しい国ができているだろうが。いちいち騒ぐようなことでもあるまいに」


 戦うことが当たり前のグランゼイルの人にとってはそうなのかもしれない。

 ただ国の名前と王が変わるだけ。

 だけどそこに暮らす人たちはそうはいかない。

 それが戦争の結果であればなおさらだ。

 それなりの被害があったからこそ敗けたのであって、苦しむのは国民だ。


 けれど猫耳のおじいさんの言っていたことは大事なことだったのだ。

 私がそのことを思い知るのは後々のことだった。


   ・・・◆・・・◇・・・◆・・・


 あっという間に二か月が経った。

 スヴェンの元にはレイノルド様から定期的に連絡があるらしい。

 国防に関わることでもあるし、部外者である私にその内容が伝えられることはない。

 けれど、「レイノルド様が傷一つ負うわけがなかろう」と殊更私を馬鹿にしたように無事だけは伝えてくれる度、ほっと胸を撫でおろした。


 無事ならばそれでいい。

 そう思っているのは本当だけれど、どうしても会いたくて、寂しくなる時がある。

 薬を作るため木の実をごりごりと潰していたり、単調な動きが続くと、ついぼんやりとレイノルド様のことを考えてしまう。

 早くエラ王妃の遺した言葉を伝えたい。

 レイノルド様は何て言うだろう。

 薬を使ってくれる人が増えたことも、早く話したい。

 そうか、と言って優しく笑ってくれるだろうか。


 城を発ったあの日、ぎゅっと抱きしめたレイノルド様のぬくもりを思い出すと、胸が苦しくなった。

 触れたい。

 レイノルド様の顔が見たい。

 怒っていてもいい。不機嫌でもいい。

 どんな顔でもいいから、無事な姿が見たい。


 そうしてぼんやりしていたら、薬を擦っていたテーブルの上にぱさりと何かが落ちたことに気が付いて、はっとして顔を上げた。


「薬の材料に人間の涙なんてあるわけ? 気持ち悪いからそんなもの誰かに渡さないでよね」


 ――涙?

 いつの間に泣いていたのだろう。

 テーブルの上に置かれていたのは、白いハンカチだった。

 手に取ると、ほのかに嗅ぎ覚えのある匂いがした。


「これ……」

「何よ。文句があるなら使うんじゃないわよ」


 ティアーナがすぐさま私の手からそれを取り上げようとしたのをひょいっと避けて、まじまじとそのハンカチを見つめた。


「サシェ。使ってくれてるんですね。ありがとうございます」

「なんであんたが礼を言うのよ。気色悪……」


 相変わらずなティアーナに笑って、「いつでも感謝してますよ」と告げたら、強引にハンカチを奪われた。

 でも自分のハンカチを持っている。

 私がハンカチを取り出し涙を拭いていると、ティアーナは「そういうところがかわいくないって言うのよ」とぷいっと顔を背けた。


「まったく、レイノルド様はこんなのの何がいいんだか……」

「前に言っていた『おもしれぇ女』というやつですね」

「そんなんであんなに怒りはしないわよ」

「……怒る?」


 いつのことだろうか。

 少々不機嫌そうだったことはあるけれど、怒っているところを見たことなど――。


「あ……。マーモルト国の襲撃の時?」

「これまでどこから攻め込まれたって、ほとんど表情も変えずにさくっと打ち払って終わりだったのに。あれほど怒りに呑まれたようなレイノルド様は見たことがないわ」

「因縁のある相手だったのですか?」


 ティアーナはちらりと私を見ると、再びそっぽを向いた。


「あんたがいたからよ」

「私、ですか」

「この国の獣人はみんな戦える。自分の身は自分で守るのが大前提よ。レイノルド様もそれを信用している。だから攻め込まれたって血相変えて飛び出していくなんてことはないわ。嬉々として迎撃しに行くことはあってもね」


 そうか。私は人間だから。

 戦う力なんてない。

 だから、私を守ろうとしてくれたのだ。


 それなのに私は。

 レイノルド様を怖いと思ってしまった。

 それも私が無力だからだ。

 これほど自分の非力さを悔いたことはない。


「別に……。あんたにトドメをさすために話したんじゃないわ。どう思おうと勝手だけど」


 ガラじゃないのよ、とティアーナは腕を組み苛立った顔でぶつぶつ呟いた。

 いつも通り貶されていただけのような気もするけれど。

 もしかして、慰めてくれようとしたのだろうか。


「あんたは黙って待ってればいいのよ。レイノルド様が負けることなんて万が一にもありえないんだから」

「それはわかっているつもりなんですが、ずっと一人でいるといらぬことを考えてしまって」

「時間がかかっているのは、マーモルト国王バーニンを叩き潰してもどうせまた次の王が立つだけだから、何度でもしつこく戦いを挑んでくるのに付き合って何があっても勝てないと思い知らせてるからよ。あいつ、本当しつこいから……。それが周辺国にも脅しになるはずよ。時間をかけるほど、圧倒的な優位を見せつけるほど、どこもグランゼイルに攻め入ろうなんて思わなくなるでしょうね」


 そうだったのか。誰も教えてくれなかったから、知らなかった。


「待って。今考えていることをやめなさい」

「え?」

「これを話すとあんたが『私のせいで』とか『私のために』とか勝手に思い込むからスヴェンも言わないのよ。レイノルド様が動くのはあくまで国のため。私たちのためであって、まったくもってこれっぽっちもあんたのためじゃないんだから」


 なるほど。たしかに思ってしまう。

 でも何故突然私に話してくれたのだろう。

 そう思っていたのがわかったのか、ティアーナは窓の外を睨むようにして続けた。


「あんたに悲劇のヒロイン(ヅラ)なんてされたくないから釘をさしておきたかっただけよ」


 私は自分のハンカチをじっと見下ろした。

 実はティアーナと同じサシェを作ってハンカチと一緒にしまってあるのだ。

 それを言うと絶対に使ってくれなくなるから言わないけれど。


「この間ティアーナさんがいい匂いって言ってた花を使って、また新しいサシェを作りますね」

「別に、そんなこと言ってないし。そんなのいらないし」


 別にそんなこと言われてもいいし。作っちゃうし。

 だって、気に入らなかったら絶対使わない人だもの。

 他にティアーナに返せる恩なんて、何も思い浮かばない。


 それに。

 何かしていたかった。

 立ち止まると余計なことばかり考えてしまう。

 一秒も止まりたくない。

 めそめそ泣いて時間を無駄にしたくない。

 いつまでも私が『滅びの魔女』だから、なんて余計なことを考えなくて済むように、やらなければならないことはたくさんあるのだから。




 そうして半年が経つのもあっという間だった。


「同じ人間とは思えませんね」

「こんなのちょっと成長したところでおこちゃまはおこちゃまよ」


 私の成長期は遅れてきたらしい。

 背はぐんと伸びて、資料室の本も脚立を使わなくても一段上まで届くようになった。


 新しい薬草茶や薬草入りのクッキーができると、城内の人間の口に入れる前にスヴェンとティアーナが毒見をすることになっているのだけれど、苦い時は思い切り顔を顰め、食べれるなという時は黙って次々に手を伸ばすから、わかりやすくて助かっている。

 今日もそうして新しいお茶を試してもらっていたのだけれど、ティアーナは猫舌らしく、ずっとふうふうと冷ましてばかりでなかなか飲まない。

 スヴェンは優雅に一口飲むと、片方の眉を上げ、黙ってまた一口飲んだ。

 どうやら合格らしい。


「髪も伸びましたし、もはや性別詐称は難しいでしょう。まったく、紛らわしいことを」


 まだ根に持っているらしい。

 

「どうせ私が男だろうと女だろうと、何も変わってないじゃないですか」


 スヴェンは文句を言いたいだけなのだろう。こうしてなにかにつけてぶつぶつ言われている。

 ギロリと私を睨んだまま何も言い返さないところを見るに、その通りなのだろう。


「そうは言っても、いい加減男物の服はもう無理よ。ズボンだってお尻がパツパツだし、シャツもそのままじゃボタンがはじけるわよ」


 ティアーナの軽口に、スヴェンがぶっっっとお茶を噴き出す。


「ちょっ……! 汚いわね! 何してるのよ、スヴェン」

「スヴェンさんが笑うなんて珍しいですね」

「笑ってなどいません!!」

「いくらなんでもそんなお芝居みたいなことにはなりませんから大丈夫ですよ」


 スヴェンは苛々したように「まったく……」とぶつぶつ言いながらお茶を拭く。

 腕にも筋肉と一緒に余計な肉もついてきた気がするし、がりがりで貧弱だった体は健康そのものになったとはいえ、胸が豊満になってボタンがぱちーんとはじけるだなんてことは起きはしない。

 屋敷にいる時も時々こっそり抜け出してはいたものの、ほとんど部屋の中で過ごしていたから、年齢なりに成長することができなかったのだろう。

 毎日しっかりご飯を食べて、太陽を浴び、歩き回っていたからやっと成長し始めたけれど、父も母もそれほど背が高いほうではなかったし、この半年で大体年頃らしくなったかな、というくらい。


「とにかく男物の服はもうやめなさい」

「じゃあティアーナさんみたいなシャツがいいです」

「却下よ」

「何故……!?」

「何で私があんたと同じ格好しなきゃいけないのよ。冗談じゃないわ。あんたはそこら辺の簡素なワンピースでも着ときなさい」


 たしかにスラリとしたティアーナのような恰好が、ずっと子どもと言われてきた私に似合うとは思えない。

 それからワンピースを着るようになったのだけれど、思ったよりも違和感はなかった。

 屋敷でキャロルが着ていたような装飾が華美なものではなく、掃除や作業もしやすい簡素なもので、特に身動きを制限されるようなこともない。

 気を付けなければならないのは脚立にのぼる時くらいだ。


 癖のある髪も肩まで伸びて、歩くごとにふわふわ揺れる。

 その髪を指でもてあそびながら、早く帰って来ないかな、と窓の外を眺める。

 寂しさに泣いたりすることはない。

 けれど、それでも、レイノルド様に会いたい気持ちがなくなることはなかった。

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