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第九話

 夜は眠れなかった。

 目を閉じても真っ暗な空やびりびりと響く轟音が蘇って、はっと目を開いてしまう。


 体を起こして枕にもたれ、ぼんやりとしたまま朝を迎えた。

 ゆっくりと体を動かし、着替えをしてただ椅子に座る。

 そうしているうちに、扉がノックされる音が聞こえた。


「――はい」

「入ってもいいか」


 レイノルド様のその声は、どこかためらいがちに聞こえた。

 いつもだったら私が返事をすると、入るぞ、と言ってこちらにかまわず扉を開けるのに。


「はい」


 私の返事を待って、扉が開く。

 レイノルド様は食事をテーブルに置いたまま、椅子に座ろうとはしなかった。


「マーモルト国を滅ぼすことはしない。だが国王のつとめとしてグランゼイルを守らねばならん」


 いきなりの言葉に、何が言いたいのかわからず、レイノルド様を見上げる。


「昨日、『滅ぼしに行く』と言っただろう。滅ぼしはしない。ただしばらくの間仕掛けてくることができぬよう、叩き潰してくるだけだ。いや……。戦力を。削いでくる」


 できるだけ怖がらせる言葉を使わないようにしてくれている。

 私が本能的に怯えてしまったことに気づいているのだろう。

 きっと、私がその言葉に反応してしまったことにも。だから、滅ぼしはしないと言ってくれたのだ。

 私が『滅びの魔女』だから。

 国と国とのことで私のせいだなどと言い出すのは傲慢だ。

 けれどあまりに聞き慣れた言葉だけに過敏になってしまう。

 そんなしょうもない私に呆れず、こうして気にかけて来てくれた。


 昨日のレイノルド様を見た時は、知らない人みたいに見えた。

 轟音も、真っ暗な空も、初めて見る戦いの跡も、怖かった。

 けれどレイノルド様は、今もこうして私の心と体を守ろうとしてくれる。

 優しくて、温かい。

 昨日の戦う姿も、私を傷つけまいとする目の前の姿も。

 全部がレイノルド様なのだ。


 そう思ったら、何故だか涙が零れた。


「何故泣く?」


 何の涙なのか、自分でもわからない。

 ただ首を振る私をレイノルド様がじっと見つめる。


「シェリーに泣かれると困る」


 言葉にならない想いが、胸から溢れ出す。

 こんな時にどうしたらいいかなんて知らない。

 涙を止めることすらできなくて、私はただただ流れる涙をそのままにしていた。


「触れてもいいか」


 こくりと頷くと、レイノルド様の大きな手が私の頬にそっと伸ばされた。

 ああ、温かい。

 レイノルド様の手だ。

 ごつごつとしていて、だけど優しいその手に手を重ねる。

 見上げると、ただ私をじっと見つめる黒い瞳がそこにあった。 

 その瞬間、腕を引かれ、私はレイノルド様の胸に収まった。

 驚いて、涙が止まった。


 じわり、じわりとレイノルド様の温かさが私に移っていく。

 その心地よさに、目を閉じた。


 レイノルド様の匂いに、サシェの匂いが混じっている。

 私はその背中に手を伸ばし、ぎゅっと力いっぱいに抱きつくようにしてレイノルド様の胸に顔を埋めた。

 胸が何かでいっぱいになって、でもそれが何なのかわからない。

 温かくて、でも苦しくて。

 今にも喉から言葉が溢れそうなのに、何も言葉にならない。


 レイノルド様の指が私の髪に触れる。

 少し癖のある髪に指をうずめ、それをもてあそぶようにふわり、ふわりと流しては捕まえる。


「もう触れさせてはくれぬかと思った」


 ふるふると首を振ると、ふ、と笑いが頭上から漏れ聞こえた。


「これほど手放しがたくなるとは思っていなかった」


 見上げると、優しい黒い瞳が私を見ていた。


 ――手放す?


 自然と眉が寄ってしまったのかもしれない。

 レイノルド様が少しだけ困った顔になった。


「もう少しで、行かねばならない」


 その言葉に、背筋がひやりと冷えた。

 戦いに行くのだ。

 この国を、守るために。


「マーモルト国は海を挟んだ大陸にある獣人の国だ。後発隊がこちらに向かっている可能性はあるが、潰しながら行く。グランゼイルを戦場にはしない。この城に敵が辿り着くこともない。だからここにいれば安全だ」

「いつ――お帰りになりますか」

「わからない。だが国王を叩いても新たな王が立つだけ。ただ戦うだけでは終わりがない」


 だから、長くなるかもしれない。

 それは何日なのだろう。

 何か月なのだろう。

 待つのが怖い。

 行かないでと言ってしまいそうだ。


 けれどレイノルド様はグランゼイルの国王。

 この国を守るのが務めだ。


「帰りを。この城で待っていてくれるか?」

「――はい」


 私に言えるのはそれだけだ。

 どうか無事に帰ってきてほしい。


「シェリーの涙を見ると去りがたくなる」

「ごめんなさい。もう泣いていません」

「だが声が聞けてよかった。昨日のあの顔を瞼の裏に残したまま発ちたくはなかったからな」


 レイノルド様が私を覗き込むように首を傾け、じっと見つめた。

 何て言えばいいのだろう。

 何か言いたいのに、言葉が出ない。

 喋ろうとすると、言ってはいけないことばかり喉から零れてしまいそうで。


 行かないで。寂しい。

 そんなことは絶対に言いたくない。

 国のために戦いに行く人の服を掴むようなことはしたくない。


「帰ってきたら……ご飯を一緒に食べたいです。レイノルド様と一緒に。同じものを」

「わかった」


 答えながらレイノルド様がそっとその体を離すと、先ほどまで触れていた場所がひんやりと冷たくなっていく気がした。

 レイノルド様は「惜しいな」と困ったように笑う。

 その顔を見たら、また新しい涙がぽろりと零れた。 


「泣いていてもいい。その顔をよく覚えておこう」


 それは嫌だ。こういう時は笑顔を覚えていてもらうものではないのか。

 頑張って笑顔を作ろうと見上げると、レイノルド様が私の眦に唇を寄せた。


「!」


 また、涙を……!

 しかも今度は直接だ。


「ははは! やはりしょっぱいな」


 なんでそんな楽しそうなのか。

 私が困惑してぱくぱくと口を開けたり閉めたりしているうちに、レイノルド様はくるりと背を向けた。


「行ってくる」

「はい――。どうか、ご無事で」




 そうしてレイノルド様は一人この城を発った。

 スヴェンは「一国の王が単騎で敵国に攻め入るなど聞いたこともありませんよ!」とぷりぷり尻尾を揺らし怒っていた。

 置いて行かれたことが心底から悔しいらしい。


「私たちはこの城を、この国を守るのよ。そのための戦力として私たちを置いて行かれたのだから、その期待に応えなければならないわ」


 ティアーナは意外なことに冷静だった。

 泣きもせず、怒りもせず、ただ淡々と仕事をこなしていた。

 ティアーナは心から王としてのレイノルド様を崇拝しているのだろう。

 スヴェンもそれは一緒だけれど、レイノルド様の戦う姿にほれ込んでいて、傍で一緒に戦いたかったのだそうだ。


 私も待っている間にできることをしよう。

 今度こそ笑っておかえりなさいを言うために。

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