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第六話

 次の日の朝、私はいつまでも落ち込んだ気分を引きずっていた。


「どこか具合でも悪いのか」

「いえ。寂しいなと思ってしまいまして」


 もはや恥ずかしいとか最初の頃の葛藤はどこかへ行って、それだけが残っている。

 食事が終わりそうになり、レイノルド様はもう行ってしまうのだと離れがたく思うようにまでなってしまった。

 重症だ。

 甘やかされ、私の我儘は留まるところを知らない。

 そんな私の様子にレイノルド様が問いかけようとしたのか口を開いたところに、ノックの音が響いた。


「ティアーナです。頼まれていた物をお持ちしました」

「入れ」


 扉を開けたティアーナは、カゴを二つ抱えていた。


「あれは……?」

「シェリーの服だ。好きな方を着るといい」


 言われて見れば、一つにはいつものシャツ、もう一つのカゴにはワンピースが入っていた。


「自分の意思ではなかったのだろう。今後は誰はばかることなく、好きな格好をすればいい」


 そんなことを気にしてくれたのかと驚くのと同時に、じわじわと嬉しさがこみ上げる。

 女なのだから女が着る服を用意するのではなく、着慣れた服も一緒に用意してくれた。

 それがどれだけ稀有なことか。

 身に染みてわかっているからこそ、嬉しい。

 生まれ持ったものとか、属性とか、そういうものではなくて、レイノルド様は私自身を、その意思を尊重してくれるのだ。


「ありがとうございます。こちらのワンピースもとても素敵で、懐かしい気持ちになりますが、薬を作ったり、資料室で脚立にのぼって本を探したりしますので、これまで通りの服をお借りします」


 せっかく用意してくれたのに怒ることもなく、レイノルド様はどこか楽しそうに「そうか」と笑った。

 ティアーナは私の返事を受けてワンピースの入ったカゴを再びその手にすると、一切目を合わせないまま、「では」と礼をして踵を返した。

 けれど「待て」と声を掛けられ、レイノルド様に向き直る。


「豚を増やしすぎるのはやめろ」


 ぴくりとティアーナの長い耳が揺れた気がしたけれど、平静なまま答えた。


「職務怠慢が目立ちましたもので」

「昨日のあれは階下の見張りの兵士だろう。だがシェリーに与えている職務などない」


 完全にバレている。

 もはや、まあそうだよね、と納得しかない。


「あの。やはり私にも何か仕事をいただけませんか。書類仕事などは他国から来た私にはさせられないかと思いますが、掃除とか、料理も教えていただければできると思います」

「何故そういう話になる」


 レイノルド様がぽかんとしたように私を見るけれど、ティアーナは、ふん、と鼻を鳴らした。


「何よそれ、私が職務怠慢って言ったことをあてこすってるわけ?」

「いえ。前にもお話ししましたが、私はこの国に迷惑しかかけていませんので、何か少しでも役に立てればと」

「何かしようってだけで迷惑なのよ。あんたはさっさと言い伝えでもなんでも調べて、用が済んだら出て行きなさいよ」

「ティアーナ」


 再びレイノルド様の静かな声が掛かる。


「この城への滞在を許したのは私だ。そして出て行くかどうかを決めるのは、シェリー自身。他の者が口を出すことは許していない」


 ティアーナは唇を引き結び、何も答えない。


「それと。安眠を妨げるな。次はない」


 レイノルド様のその言葉にはっと気が付いた。

 変にタイミングがいいなと思ったけれど、私の部屋の扉をノックしたのはティアーナで、レイノルド様も同じようにして起こされたのだろう。


 もしかして。

 前の日にティアーナはレイノルド様が豚の姿の私を部屋に入れたのを見ていた。

 それが許せなくて、代わりの豚を送り出したということ?

 そうしてそれをレイノルド様が部屋に連れ帰るところを私に見せて、お役御免だと思い知らせようとした、とか。


 なんか回りくどい気がする。

 けれどティアーナがやりそうなことではある。

 私を直接排除することができないから、そんな手を考えたのだろう。


「このところのおまえの行動は目に余る。何か申し開きはあるか」

「いえ――」

「そうか。では罰を与える」


 ティアーナがはっと息を呑む音が静かな部屋に響いた。

 顔を俯けたまま、きつく唇を噛みしめる。

 それからきっと顔を上げ、私を睨んだ。


「そもそもすべてはあんたのせいなんだからね! あんたもなんか言いなさいよ!」


 なんだか最近キャロルにもそんな風に言われた気がする。

 しかし、私は答えに困った。

 なんか言えと言われてもすぐには言葉が出てこない。

 先ほども的外れのことを言ってしまってレイノルド様をぽかんとさせてしまったし、会話とは難しい。

 けれど結局口を挟む隙もなくティアーナは続けた。


「あんたのせいで私は罰を受けることになったのよ!? あんたさえ来なければ……!」

「何度言えばわかる? 私が拾ったのだ。森に捨てられたのもシェリーの意思ではない。怒りを向ける矛先が違っている」

「ですが、これが来てからというもの、陛下は国王としてのおつとめもスヴェンに投げやり、これにかまってばかりではありませんか」

「それはシェリーが目を離せなかった頃のことだろう。今はすべきことをしているはずだが?」

「いいえ! 今だって、これの食事のために陛下のお時間を削り、夜も誰かが傍にいるとよく眠れないとおっしゃっていたのにそれを抱き枕なんぞにし、御身を犠牲にしていらっしゃいます。陛下はすっかり変わってしまわれた……。そのような事態を私やスヴェンが許せるはずがありませんわ!」


 さりげなくこの場にいないスヴェンを巻き込んだ。

 しかしレイノルド様は組んだ膝の上に頬杖をつき、首を傾げた。


「言っているだろう。それはシェリーのためではない。私はやりたいことをやりたいようにやっているだけだ。前と何ら変わっていない」

「これに食事を食べさせることの何が楽しいというのです?!」

「美味いものを口にすると、目が輝き、頬が赤くなり、さも幸せだという顔をする。美味いものほどもぐもぐといつまでも噛みしめている。ただのパンですら、ほうっと息を吐き、頬が垂れるのではないかというほど顔を緩めてもぐもぐと食べているのだぞ。見飽きぬだろう」


 そんな顔をしていたのか。

 自分が食べているところなんて見たことがないからわからなかった。

 何より言葉にして言われるととてつもなく恥ずかしい。


「寝るのも人間は駄目だというから豚のまま姿を戻さずにいる。そもそもその豚にしたのもティアーナ、おまえだ。そのために豚にしたのかと思っていたが」

「そんなわけはありません! 陛下から遠ざけるためです!!!」


 まさか真逆に捉えられるとはティアーナも想定外すぎたようだ。

 黙っていれば責めを負わずに済んだのに、否定せずにいられぬほど癪だったのだろう。


「シェリーは温い。サシェというものをもらったが、あれなどよりもよほどよく眠れる。代わりにはならん」


 それは嬉しいような、残念なような。複雑すぎる。


「陛下はこの世で最も強く、獣人たちを導くお方です。その陛下がこんな弱々しい人間にかかずらうなど――!」

「弱い人間と関わったら弱くなるのか?」

「――いえ、ですが」

「王などつまらぬものだ。かかってくる者もいなくなり、日々王としての務めを果たすだけ。今が何日でどれくらい時間が経ったのかもどうでもよく、何をしていてもつまらん。食事など生きるために腹に入れるだけ。ベッドに横になっても眠りなど訪れぬまま朝になる。耐え難いほどに退屈だった」


 レイノルド様も一緒に食べませんかと言っても、いつも私に食べさせるだけ。

 先日思わずパンを差し出してしまったけれど、食べてくれたのはあれが初めてだった。

 レイノルド様は食べるのがつまらなかったのだろうか。

 誰もが寝静まった長い夜に、ただベッドに横になっているだけというのはどれほど苦痛だろう。


「明日何をするか考えながら夜に眠る。美味いと言いながら食事を摂る。それがどれだけのことか、わかるか」


 私には少しだけそれがわかる気がした。

 ノーリング家にいた頃は、それがなかったから。

 このお城に来てからそれを得たのは、私も一緒だ。


 ティアーナは何を言われたのかわからないというようにレイノルド様の続きを待っている。


「シェリーが食べるのを見ていて、食べるのがいかなることかわかった気がした。いつでもあまりに美味そうに食べるから、それを食べたいと思うようになった。それは私にとって大きな変化だった。毎日こなさなければならないだけだったことが、楽しみに変わったのだ。だがそれだけではない」


 レイノルド様は浮かんでいた笑みをしまい、まだ少し残っていたパンに目を落とした。


「味など気にしたこともなかったが、いつも当たり前に食べていたパンですら、他の料理に合うよう日々調合を変えていることを知った。そうして城の者たちが日々自ら考え働いていることに思いを馳せたことなどなかった。働きを知り、それに見合う報酬を与えられぬ王は、王に足りぬ。だからこれまで王が立っては打ち倒され、この国は戦いに明け暮れてきたのだ」

「でもそれは、強さこそが王たる者に求められるものだからで――」

「これまではそうだった。だが外から攻め入られることも減った今、強さの価値とはいかほどのものか。いまや内からも挑んでくる者もおらぬ。ずっと同じ王が上に立ち続けるうち、不満は生まれ来るはずだ。だから個ではなく群を率いて王を打ち滅ぼした過去もある。強いだけの王では国は安定せぬ。この国は変わるべき時が来ているのだ」


 ティアーナは眉を寄せ、何か言いたげにしていたけれど、言葉にならないようだった。

 レイノルド様はふっと優しく笑って私に目を向ける。


「そのことに気づかせてくれたのはシェリーだ。シェリーは日常の当たり前の中の些事に心を留め、一つ一つに感謝し、幸せだという顔をする。戦いのない今、そうした豊かさを求めていくことこそが日々に生きる意味を与えるのではないかと思う」


 私は何もしていない。

 ただ本当にこのお城の食事がおいしくて、毎日が幸せだと感じているだけ。

 それを与えてくれたのは全部レイノルド様だ。


 誰かと関わるということは、鏡のようなものなのだなと思う。

 こちらからだけ一方的に見ているということはない。相手もまたこちらを見ているのだ。

 キャロルの時だってそう。

 私ばかりがキャロルに疑問を抱いていたのではない。キャロルもまた私に対して何故と思っていた。

 それと同じように、私がレイノルド様から与えられているだけでなく、その私を見てレイノルド様もまた何かを得ているなら、それが役に立つものであるなら、これほど嬉しいことはない。


 そもそも、変化に気が付き、それに応じて自分や国を変えていくのは容易いことではない。

 レイノルド様はすごいと改めて畏敬の念を抱いた。


 強い王を求めるということは、常に内乱の危機にあるということ。

 レイノルド様は圧倒的な強さでもってこの国の頂点に立っているのだとスヴェンから聞いた。

 それを打ち倒そうと考える者などもはやいないのかもしれない。

 けれど戦うことがなくなれば、絶対的な指標だった『強さ』が意味をなさなくなっていくかもしれない。

 その時に王に対する求心力がなければこの国は瓦解しかねない。

 それを危惧し、強さだけでなく、王が王足りえるものを備えて行かなければならないと考えているのだろう。


 けれどティアーナは唇を噛みしめたまま。


「そのような考えを持つ王に仕えるのは不満か?」

「不満、では――。ただ、陛下のあまりの変わりように心配になり、危険なものは未然に排除しようと動いただけのことです」

「そうか。今後の国のことはスヴェンも交えて話していかねばなるまい。だがシェリーが来てから今までのことはすべて私が私のためにしていることだ。シェリーが今の私とこの体を作っているのだとわかったのだから以後文句はあるまい」


 なんだか語弊があるような言われ方をした気もするけれど。

 ティアーナは長い耳をピンと立て、ばっと顔を上げた。

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