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第五話

 夜寝ていると、ノックの音が聞こえて目を覚ました。


「はい。どなたでしょうか」


 声をかけるも返事はない。

 誰だろう。

 豚の短い足でよいしょとベッドを下り、扉の隙間から外に出るけれど、人影もない。

 聞き違いだったのか、夢でも見たのかもしれない。

 部屋に戻ろうとしたところに、ふっと遠くにピンク色の何かが動いた気がして、じっと目を凝らした。

 次第に暗闇の中にとっとこと歩く四頭身くらいの小さな四足歩行の生き物が見えた。


 豚だ。


 ――何故豚が?


 初めてスヴェンやレイノルド様の気持ちがわかった。

 たしかに夜中の廊下に豚が歩いていたら何故としか思わない。


 また誰かがティアーナに豚にされたのだろうか。

 聞いてみようと口を開きかけて、喋れないということを思い出した。

 いや。豚同士なら通じるのだろうか。

 でも自分から出てくる鳴き声を聞いてもただの鳴き声にしか聞こえないしなあ。

 迷い豚だろうと、ティアーナに変えられた豚だろうと、会話は成立しそうにない。


 あちらの豚がとことこと歩を進めるごとに、小さく「グッ……ガッ……」と聞こえる。

 そうなんだよなー。気を付けていないと歩く振動で自然と鳴き声が漏れてしまう時があるんだよなー。わかるわかる。

 語り合いたい気がしたけれど、ふと気が付いた。


 野生の豚だったらどうしよう。

 攻撃されるかもしれない。

 ケンカになったら勝てる気がしないし、鳴き声がうるさくてレイノルド様を起こしてしまうかもしれない。

 ここは身を隠しておくほうがいいだろう。

 私は部屋へと戻り、扉の隙間からその豚の様子を見守った。


 すると少し離れたところの扉がガチャリと開き、レイノルド様が姿を現した。


「オインッ」


 ちょうどすぐそこに迫っていた豚は鳴き声をあげて足を止めた。

 すごい。オインって鳴いた。

 本当にオインって鳴くんだ。

 いやどこか演技がかっていた気がする。もしかして豚の鳴き声が「オイン」だと知っていてわざとそう鳴いたのでは?

 私に背を向けたレイノルド様と豚はしばし声も発さず向き合っている。


「何故ここにいる」


 そう声を掛けたレイノルド様に、何故だか胸がじりじりとした。

 その豚に優しくしないで。

 それは私じゃない。

 ティアーナに姿を変えられたとしたら、元は誰だったのだろう。

 男だろうか。女だろうか。大人だろうか。子どもだろうか。


 だけど。レイノルド様にとって豚は豚だ。

 私じゃなくてもいいに違いない。

 私が女でも男でもかまわないのと同じように。どの豚でも温ければいいのだろう。

 でもそれじゃ嫌だ。

 私以外の豚をその腕の中に入れないでほしい。


 考えるより先に飛び出していた。

 短い足ではそこに見えているレイノルド様までの距離すらも遠い。

 その豚に触れないで。

 部屋に連れて行かないで。

 縮まらない距離に焦れながら必死に足を動かすと、「また(・・)ティアーナか」という呟きが聞こえた。


 また、ということは。

 別の豚だと気が付いている?


 こちらを振り返ったレイノルド様の目と目が合う。

 自然と速度の緩んでいた足はそのままレイノルド様の元へゆっくりと歩み寄り、あと一歩の距離で私はそっと抱き上げられた。


 涙が出そうになった。


 レイノルド様は立ち止まったまま見上げていた豚に「おまえも持ち場に戻れ」と声を掛けると、くるりと背を向け私を抱いたまま部屋へと戻った。


 誰(豚)にでも優しくしているわけじゃないんだ。

 それがわかって、ほっとするのと同時に、恥ずかしくなった。


 ――そうか。これが嫉妬か。


 別豚に私の場所を取られそうになって、焦ったのだ。

 私だけがその腕の中におさまれると勝手に思っていたから。

 誰にも取られたくなかった。

 私だけの場所であってほしかった。

 いつの間にこんなに強欲になったのだろう。


 そんな自分に戸惑うけれど、「もう遅い。寝るぞ」と私を抱いたまま寝てしまったレイノルド様の顔を見上げると、頬が緩んでいく。

 レイノルド様の静かな寝息を聞きながらゆっくりと眠くなっていくと、とても満ち足りた気持ちになる。

 たまらなく幸せだ。


 腕の中は温かくて、安心する。

 その腕の重ささえも心地いい。

 ずっとこうしていたい。


 けれど。

 すぐにはっとした。


 先ほどレイノルド様があの豚に掛けていた言葉を思い出す。

 またティアーナか、と言っていたということは、私の時と同じように魔法をかけられたことに気が付いたのだろう。

 さらにはレイノルド様は持ち場に戻れ、と言ったのだ。

 あの豚が元は誰だったのか、わかっていたのではないか。

 客は私だけということは、この城にいる人たちにはそれぞれ仕事があるはず。だからそう言っただけかもしれないけれど。


 いや。結界も見えると言っていたし、私がティアーナに制約をかけられていたことも知っていた。

 魔法を仕掛けられていることが見えるのかもしれない。

 だとしたら、最初の豚が人間のシェリーだということも知っているのでは。


『私が誰なのかを忘れるな』


 レイノルド様がティアーナにかけた言葉を思い出す。

 そうだ。レイノルド様はこの世で最も強いと言われる竜王陛下だ。

 知らないわけがない。


 だとしたら、恥ずかしい。


 豚は素っ裸だ。

 今までだって豚の時は裸だったけれど、ただの豚だと思われているのと人間のシェリーだとわかっているのでは違う。

 思わず顔を覆おうとしたけれど、二本の蹄では到底隠れなくて、混乱のあまりレイノルド様の胸に顔をぐりぐりと押し付けた。


 あああ。


 気づいてしまったからにはもう豚の姿で会えない。

 豚用の服を作ろうか。

 いや、元の姿に戻った時に跡形もなく破けるだろう。


 そもそも服を作ってまで会いに行きたいとか。

 それはもちろん私もこうして一緒に眠るのが好きだからだけれど、それにしたって、食事も食べさせてもらっているのだ。

 それ以上に傍にいたがるなんて、強欲がすぎる。


 そんな自分も恥ずかしい。

 私はいたたまれず、心の中でああぁぁぁと呻いた。


 悲しいけれど、これが最後になるだろう。

 私はレイノルド様の胸に頬を寄せ、ゆっくりと目を閉じた。




「――やはりこれがいい」


 夢なのか現実なのかわからない真っ暗な中で、頭を撫でられ、そんな声を聞いた気がした。

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