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幕間 弱くて強いそれ(レイノルド視点)

 普段、この城に客など来ることはない。

 それでも城の者が毎日せっせと掃除をしていたらしい客間の扉を開けると、小さな呻きが聞こえた。

 この国を滅ぼすという、なんとも大胆な宣言をしたまま意識を失った子どもだ。

 広々としたベッドにちんまりと身を縮こまらせて寝ているその姿からは、とてもそんな大それたことをしでかしそうには見えない。

 レイノルドは広い空間の空いているベッドに腰を下ろし、その子どもの様子をじっと観察した。


 ぜえぜえと息をする度、薄い胸が上下する。

 頬は赤く、額には汗が玉のように浮いたままで拭われることはないまま。


「苦しそうだな」


 それくらいはわかるが、レイノルドにはどうすることもできない。

 人間のことなど何も知らないし、そもそも病に対して何をすればいいのかも知らない。

 魔法で怪我を治すことはできるが、失われた血が戻ることはないし、傷を塞ぎ、骨をくっつけるだけで、病を治すこともできない。


 レイノルドは特段慈悲深いというわけではない。

 命など知らぬところで消えていき、生まれていくもので、レイノルドがいちいち関与するものではない。

 だが不思議と、この子どものことは気になって仕方がなかった。

 最初は、大胆不敵な宣言をされ、どうやってそれをなすつもりなのか興味が湧いただけだった。

 あれだけのことを言っておきながら自分こそが死にかけているのだ。

 目を覚ましたら、何を考えているのか聞いてみたかった。


 早く起きないだろうか。

 そう思って部屋を覗き見るうち、あまりに弱々しく苦しむ姿に、また別の興味が湧いた。

 いや。興味というのとは少し違うのかもしれない。


「う……、みず――」


 小さな唇から苦しげに漏れる呻きは掠れていた。

 熱が高く汗をかきっぱなしで、喉が渇いているのだろう。


「水か?」


 尋ねるが、目は開かず、ぜえはあと息をするばかりで返事はない。


「仕方がない」


 レイノルドは子どもの頭の下に腕を差し入れて上半身を起こそうとしたが、ぐったりとしてだらりと落ちてしまうので、自らの胸にもたれさせるようにして、小さくひび割れたその口にコップをあてがった。


「飲め」


 コップを傾けるが、薄く開いた口には水が入っていかない。


「ふむ。寝ていては無理か」


 しかし、ずっと目を覚まさないままこうして汗ばかりかいては干からびてしまう。

 レイノルドはコップの水を自ら口に含むと、胸にもたれた子どもの小さな口へと直接流し込んだ。

 子どもはそれを自然と飲み下すと、もっとと欲しがるように口を開けた。


「生きろよ」


 レイノルドはゆっくりと、様子をうかがいながらそうして水を流し込んだ。

 コップ一杯の水が空になると、子どもは大きく息を吐き、静かな呼吸を繰り返し始めた。

 それを見届けると、レイノルドは水の伝った首や濡れた口元をぐいぐいと自らの袖で拭いてやり、そっとその頭を枕の上に寝かせてやった。

 胸はゆっくりと上下するようになったが、頬の赤みはそのままだ。

 青白いよりはマシなのか、これ以上熱が上がるとまずいのか。

 わからない。


 レイノルドは子どもから目を離せず、観察を続けた。

 手足は細く棒切れのようで、こんな体で森を歩いて来たのかと思うと眉が寄る。

 人間とは、こんなにも脆いものなのか。


「さ……さむい……」


 その体が小さく震えるのを見て、レイノルドは部屋を見回した。

 何か温めるものはないか。

 暖炉にぱちぱちと火は爆ぜているが、あまり暑くしても今度は汗をかきすぎて弱ってしまわないだろうか。

 わからない。

 人間がどの程度の気温で寒いのか、どれくらいの暑さまで耐えられるのか。


「自分と違いすぎる生き物というのは面倒なものだな」


 レイノルドは布団にもぐりこみ、震える子どもを自分の体で覆った。

 しばらくはガタガタと震えていたその体が、静かに収まっていく。

 熱を求めるように、華奢な手がレイノルドのはだけた胸に触れた。

 熱い。

 寒いと震えていたのに、体はこんなにも熱を持っているのか。

 寒いのか暑いのかわからない。わからなすぎて、気づいたらいつの間にか死んでいそうだ。

 レイノルドは力を入れすぎないよう気を付けながら、熱い子どもの体を抱き寄せた。

 子どもの頬がレイノルドの肌に触れると、その気持ちよさにほうっと息をつくようにして、力が抜けた。

 頭をぐりぐりと動かし寝心地のいい場所を探し当てると、子どもはゆっくりとした寝息を立て始めた。


 ――なんだ、これは。


 胸に湧くものがある。

 いまだかつてない、そわそわとしたような、落ち着かないような。

 それでいて胸のどこかが満ち足りるような。

 弱いものを見ると湧くらしい庇護欲というものだろう。

 まさかレイノルドがそんな感情を抱くことがあるとは思いもしなかった。


「だが悪くない」


 これはレイノルドが面倒をみよう。

 胸の中の熱の塊が、この国を滅ぼすと言った不敵さを取り戻すまで。

 そう決めると、久しく緩むことのなかった口元に笑みが浮かんだ。




 そうしてせっせと甲斐甲斐しく世話を焼き、夜はくうくうと寝息を立てるそのベッドの中にもぐりこんでいるうち、熱の落ち着いたそのちょうどよい温さが心地よく、気づけばぐっすりと眠り込んでいるのはレイノルドのほうだった。

 だというのに、夜中客間へ入っていくのをスヴェンに見咎められ、「人間の小僧なんぞと同衾!? あの小僧を霧にしますよ!?」とうるさいので、戻ったふりをして再び客間で寝ていたら、今度はティアーナに追い出された。


 この胸の中からあのぬくぬくがいなくなってしまったと思うと、つまらない。

 せっかく夜眠るのを心地よく感じられるようになっていたのに、仕方なくベッドに入るだけの毎日に逆戻りだ。

 夜になっても眠りたくない。

 退屈な思いで夜の廊下を歩いていると、ちょうどいいものに出会った。

 姿かたちはあれとは違うが、同じぬくもり。

 そうしてレイノルドは再び快眠を手に入れた。


 しかしその夜以来、廊下を歩き回ってもあまり見かけることがない。

 かと思えばスヴェンに追いかけまわされており、面白くないことこの上ない。

 その腕の中に戻ってきたと思ったものの、気づけば代わりとばかりに布団が丸められており、あの熱の塊はいなくなっていた。

 熱ももたぬ布団など寒々しいだけ。

 面白くない。

 つまらない。


 ふと、昼間受け取ったサシェというものがあったなと思い出し、サイドチェストから手に取った。

 何かの花やら草やらが詰められているらしいが、そのようなもので眠れるかはわからない。

 鼻に近づけ、深く息を吸い込むとどこかで嗅いだ覚えのあるような匂いがした。

 あの子どもの匂いだ。

 いつもこういった花や草を扱っているらしいから、そのせいかもしれない。

 枕元に置き、ゆっくりと呼吸を続けるうちに自然と眠気がやってきた。


 仕方がない。

 しばらくはこれで我慢してやろう。


 レイノルドは瞼を閉じ、明日に思いを馳せた。

 あれが幸せそうな顔で食べていた、あの柔らかな白いパンと香味野菜のスープをもう一度作るよう厨房に言っておこう。

 あの顔がもう一度見たい。

 燻製肉の薄切りもまた食べさせたい。

 頬が落ちそうなほどにとろけた顔で噛みしめていたから。


 次は何を食べさせようか。

 何なら喜ぶのか。

 どんなものを食べさせたら、どのような顔をするのか。


 夜が明けた後のことを考えながら眠ることなどなかった。

 毎日が退屈で決まり切っていて、楽しみにする明日などどこにもなかったから。

 誰も彼もが強いレイノルドに関心はあれど、最も強いレイノルドが誰かを気にすることなどなかった。

 この国に強い以外の関心ごとなどなかったから。

 だから、こんなにも他人のことを考えたことなどなかった。


 ――あれは一刻も早く己の負っているものに片を付けて出て行きたいようだが。


 協力はする。

 つついただけで死んでしまいそうなほどに弱いのに、悩み、思うように進まず、それでも強く歩み続けるあの姿を見ていたいから。


 だが、いつか来るその時に、とても手放せる気はしなかった。


 ――さて、どうするか。


 自然と笑みが浮かび、レイノルドは飽きもせずに明日のことを考えながら眠りについた。

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