第一話
センテリース領主から返事があったら、キャロルが手紙をくれることになった。
とはいえ、普通に手紙を出してもレジール国からグランゼイルまで届けてくれる人などいない。
それで困っていると、レイノルド様がキャロルに一枚の紙を渡してくれた。
魔法が込められているそうで、その紙を切って同封し、空に投げればレイノルド様の元へ届くのだそうだ。
初めて触れる魔法にまじまじとその紙を観察しながら大事にしまい、キャロルは侍女と共に帰って行った。
その背中を見送り、私はレイノルド様に向き直った。
キャロルのことは片付いた。
けれどもう一つ、話をしなければならないことがある。
「ごめんなさい。私――」
女なんです。
そう直球で告げようとして喉が詰まった。
言えない。
そうだった。ティアーナに制約をかけられていたんだった。
きちんと話したいのに。
レイノルド様を騙すようなことはしたくないのに。
言おうとすればするほど苦しくなって、涙が滲む。
「待て。無理をするな」
言いながら、レイノルド様は私の額に触れた。
その途端、締め付けられていたような喉が解放されて、一気に息を吐き出した。
「ティアーナに制約をかけられていただろう。今解いた」
お見通しだったのか。
「ありがとうございます。私は、事情があって男の格好をしていますが、女なのです」
「知っている」
「え……」
それも?
レイノルド様に隠し事などできない。
改めてそう思わされた。
「騙してごめんなさい」
「先ほど妹も姉と呼びながら男の格好をしていることを当たり前のように受け入れていた。元々そうして生きてきたのだろう? それは騙したというのではない。わざわざ言わなかっただけのことだろう」
レイノルド様は真っすぐに私を見て、「どんな格好をしようと咎めることでもない」と言い添えてくれた。
本当にレイノルド様は私が男だろうと女だろうとどうでもよかったのだろう。
だからわざわざティアーナに制約をかけられていると知っていてもそれを解かなかったし、問い詰めることもしなかったのだ。
ほっとした。
けれど。何故だか胸がもやもやする。
私にとっても女だからとか、男だからとかで何が変わるわけでもないのに。
「ルークという名は、父がつけたものです。『滅びの魔女』だなどと受け入れたくない父は私に男の格好で過ごさせました。おかげで町に忍んで行くには都合がよかったですし、身軽で楽でしたが」
「それで男の格好をしていたのか」
「はい。私の本当の名前は、シェリーです。シェリー・ノーリングと言います」
「そうか。おまえによく似合う」
レイノルド様の手が、私の少しだけ伸びた髪に触れた。
その手から流れ落ちた短い髪が、頬を撫でていく。
何故だか耐え難いほどに頬に熱が集まり、私は顔を俯けた。
心臓がうるさい。
「亡くなった母が、この名前をつけてくれたのです」
「シェリー、と。これからはそう呼ぼう」
ふ、と笑ったレイノルド様が森に向かって歩き出した。
私はその背を追いかけながら、風に拭かれて頬にかかる髪に触れた。
――髪。伸ばそうかな。
別に他意はない。
ただ伸ばしたくなっただけ。
誰に見せたいとか、そんなのもない。
そう考えて、一体誰に弁解しているのだろうと恥ずかしくなり、首をぶんぶんと振った。
なんとか無心になり歩き続け、森のひらけたところに出ると、竜に姿を変えたレイノルド様が鋭い爪の伸びた手を丸く囲うような形にして、そこに私を座らせてくれた。
寒そうだったからな、と何も言っていないのに気にかけてくれたレイノルド様が嬉しい。
長い爪は鋭くて怖かったけれど、そっと、大事に大事に包むように運んでくれた。
おかげで帰りは寒さに震えることもなく、落ちないよう必死にしがみつく必要もなく、グランゼイルの城へと帰り着いた。
レイノルド様の指の隙間から覗けば、城の向こうに落ちかけた橙色の夕日を浴びながらスヴェンとティアーナが恭しく頭を垂れ、揃って出迎えている。
手のひらの中にいた私はその目の前にそっと差し出されるようにして降り立った。
真っ先に対面したのが私でなんだか面目ない。
「おかえりなさいませ、陛下」
スヴェンとティアーナは私を睨みたいだろうに、頭を下げたまま。
レイノルド様は竜の姿から戻り、服を着ると「変わりなかったか」とスヴェンに尋ねた。
「はい」
「そうか。夕餉の用意はできているか」
「すぐに召し上がれるように準備を整えてあります」
「ではシェリー。すぐに用を済ませてそちらへ行く」
「わかりました」
なんだかその名で呼ばれるとくすぐったい。
久しぶりだからだろうか。
けれどすぐに「あ」と声が出た。
ティアーナの顔が驚愕に染まっていたからだ。
どうしよう、と思う間もなくレイノルド様の声が掛けられた。
「ティアーナ」
「――はい」
ティアーナの長い耳がピンと立ち、顔が白くなっていく。
「おまえにはこの国を守るという役目がある。だから何をしても国のためだとわかっている。大抵のことは何も言いはしないし、おまえたち二人に任せている。だが私が誰なのかを忘れるな」
裏で何をしようと全部わかっているぞ、ということだろうか。
脅している、というよりも、無駄だ、と聞こえた。
「はい」
ただ返事を繰り返し、深く頭を下げたティアーナの前をレイノルド様が歩き去って行く。
しかし、足音が遠ざかりしばらくして上げたティアーナの顔は諦めてなどいなかった。
次はどうしてやろうか、と言いたげに顔を歪め、私を斜めに見下ろしている。
さすがというか、それでこそティアーナというか。
安心した。この様子なら大丈夫だろう。
しかしその隣でぽつりと怪訝な呟きが漏れた。
「シェリー……とは?」
そうだった。
スヴェンは何が起きているのかわからない、という顔でティアーナの隣で困惑していた。
「私の本当の名前です。シェリー・ノーリングと言います」
「シェリー?」
「『ルーク』は父が私に男であれとつけた名前なんです」
「男であれ?」
「ええと。黙っていてごめんなさい。男の格好をしておりましたが、女なんです」
ただおうむ返しするばかりだったスヴェンは、言葉がやっとしみ込んだかのようにはっとして私を見ると、変な物でも見るように顔を歪めた。
「女?」
「はい」
「それで?」
ひどい。
「見ます?」
「見るか!!!」
売り言葉に買い言葉でつい言ってしまったけれど、私も見せたくはないし、そもそも見せた所で信じてもらえるかは疑わしい。
最近しっかり食べているし、とにかく広い城を移動するのに体を動かしているからか、肉付きもよくなってきたと思うけれど、一朝一夕では育ってくれないらしい。
スヴェンは「アホですか! 馬鹿ですか! 子どもですか! ――いや子どもですがね??!」と早口で怒りをまき散らしていたけれど、怒っているのはそこだけのようだった。
「まったく! 軽率にもほどがあります!」
言い捨てるようにして、スヴェンはぷりぷりと長い尾を揺らしレイノルド様の後を追いかけていった。
ティアーナも長い耳をぴくぴくと動かし、「あれはまずいわ。何かいけないものが目覚めかけている気がする」と顎に手を当てぶつぶつ呟きながらその隣を歩いていく。
とりあえず本当のことを言えてよかった。
これでもう後ろ暗いことはない。
晴れやかな気分で私は部屋へと戻った。
いつか、ちゃんと迎え入れられて帰って来られる場所になるといいな。
改めてそう思った。




